
不動産事業を核とし、設立からわずか1年で売上100億円という驚異的な成長を目指す、三崎未来ホールディングス株式会社。同社を率いるのは、「青汁王子」として一世を風靡した三崎優太氏だ。実業家として栄光の頂点を極めた後、脱税容疑での逮捕によって多くを失うも、再び経営の舞台へと舞い戻った。
YouTuberとしての華やかな成功の裏で抱えていた心の空虚と、交通事故をきっかけに見出したバイク事業という新たな「ロマン」。その壮大な夢を実現するため、泥臭い努力を厭わず不動産事業で圧倒的な成果を追求する。逆境すらもエネルギーに変え、新たな伝説を築こうとする同氏の軌跡と、その先に描く未来に迫る。
絶頂からの逮捕と世間の声がもたらした心の空白
ーー10代で起業された経緯についてお話いただけますか。
三崎優太:
子どもの頃から画一的な集団行動に馴染めず、学校生活にもどこか息苦しさを感じていました。その結果、高校を2年留年し、一般的な全日制のルートから外れて通信制高校へ移ることにしました。
そこでは膨大な自由時間が手に入りましたが、明確な目標や進むべき道が見えない状況でした。周りの同級生たちが決まった道を歩んでいくのを横目に、自分だけが社会のレールから取り残されているような焦りが、将来への漠然とした不安を日々募らせていったのです。
そんなある日、パチスロ店の行列に並ぶ同級生の父親の姿を見ました。その姿に未来の自分を重ね、「このままでは20年後、自分もこうなってしまうのか」と衝撃を受けたのです。思い描いていた将来とは全く違うその現実に、「これではダメだ」と強い危機感を覚え、わらにもすがる思いで書店へ向かいました。
そこで偶然手に取った一冊の「アフィリエイト」の本が、暗闇の中に差し込んだ一筋の光のように思えたのです。あの時、あの本と出合わなければ、今の自分はなかったかもしれません。
それからは、これまで持て余していた時間のすべてをアフィリエイトに捧げ、寝る間も惜しんで知識を吸収し、実践を繰り返しました。空虚だった毎日が、明確な目標を持った熱い日々に変わったのです。その結果、高校卒業前には月400万円という、同世代には想像もつかない額の利益を上げられるようになっていました。
ーーアフィリエイト事業で成功を収めた後、次に取り組まれた事業について教えてください。
三崎優太:
2015年から、青汁の開発・販売を始めました。これが急成長し、初年度で年商10億円、2年目で30億円、そして3年目には年商130億円、営業利益42億円に達し、まさに順風満帆でした。
しかし2018年、国税局の調査が入り、脱税の容疑をかけられました。もちろん私には言い分があり、容疑に納得できなかったため、1年間にわたって徹底的に戦いました。ですが、あまりにも執拗な追及に疲弊し、最終的には修正申告に応じようとしました。ところが、その修正申告すら受け付けてもらえないという理不尽な状況に陥ってしまったのです。
このままでは埒が明かないと考え、一度日本を離れて海外へ移住しようとした矢先、「海外逃亡の恐れがある」という理由で、だまし討ちのような形で逮捕されました。報道が過熱し、「金持ちの転落、ざまあみろ」という世間の声に晒され、私は社会的信用のすべてを失いました。このままでは終われないと、「絶対に一矢報いてやる」と心に誓いました。
ーー事態はどのような結末を迎えたのでしょうか。
三崎優太:
社会的信用が失われていくなか、「金持ちの転落劇をオープンにすれば、逆に世間は耳を傾けてくれるはずだ」と考え、SNSでの発信、いわゆる「青汁劇場」を始めました。
そして最終的に有罪判決が下された翌日、ひとつのけじめとして、また応援してくれた方への感謝を示すため、脱税したとされる1億8000万円を配るキャンペーンを実施したのです。これが大きな話題を呼び、結果的に多くの方から応援の声をいただくきっかけになりました。
YouTuberとして再起のチャンスをいただけたことには心から感謝しています。ですが、どこか心にぽっかりと穴があいたような状態でした。インフルエンサーとして人気を得ることよりも、私自身、経営の方が圧倒的に得意だと分かっていましたし、「本当にやりたいことは何なのか」という問いが常に頭から離れなかったのです。
交通事故がもたらした人生の転機と新たな事業への決意
ーーその後、どのようにして新たな道を見出したのでしょうか。
三崎優太:
何か没頭できるものがほしくてバイクの免許を取り、休日はドライブに出かけるようになりました。風を切って走っている間、バイクはつらい過去や将来への漠然とした不安など、すべての嫌なことを忘れさせてくれました。私にとってそれは、単なる趣味を超えた、精神的な救いともいえる時間でした。
そんななか、転機となったのが2024年4月に遭った大きな交通事故です。左手が神経麻痺で動かなくなるかもしれないという深刻な事態に陥り、「自分の体の一部を永久に失うかもしれない」という恐怖を味わいました。
その時、「バイクによって自分の人生の一部を失いかけた。だからこそ、失わずに済んだこの運命を力に変え、今度はバイクで世界に羽ばたくメーカーをつくろう」。そう思い、2024年の夏に、「glafit」というバイクメーカーの事業を買収しました。
壮大な夢の実現に向けた不動産事業という現実的な第一歩

ーーバイク事業実現の前に、まず不動産事業から着手されたのはなぜでしょうか。
三崎優太:
バイクメーカーの設立と運営は、ホンダやヤマハといった大手企業がある中で、ベンチャー企業にとっては極めて難度の高い挑戦です。莫大な資金が必要になるため、まずはキャッシュを生み出す強力な事業を確立する必要がありました。ちょうどその頃、かつて「青汁ヒルズ」と呼んでいたオフィスに2億円もの内装費をかけました。にもかかわらず、定期借家契約という都合ですべてを失うという悔しい出来事がありました。その経験から、自分で資産を築くことの重要性を痛感し、もう一度しっかり稼ぐなら不動産事業だと考えたのです。
ーー事業を立ち上げた際、特にご苦労されたことは何ですか。
三崎優太:
設立当初は株の大暴落でキャッシュフローが非常に厳しくなり、本気で会社がつぶれるかもしれないという危機に瀕しました。そこで目が覚めたのです。YouTuberとしての甘えを捨て、経営にフルコミットしようと。
そこからは文字通り、寝る間も惜しんで同業他社の研究を重ねました。X(旧・Twitter)で不動産業者を探してはダイレクトメッセージを送り、あらゆる会合に顔を出して必死に情報を集めました。当初は相手にもしてくれなかった金融機関にも、何度も何度も頭を下げて足を運び、少しずつ信頼関係を築いていきました。
組織の成長を加速させる挑戦が生み出す圧倒的な躍動感
ーー事業を展開するうえで、大事にされている信念についてお聞かせください。
三崎優太:
「利益は手段であり、目的ではない」と考えています。お金はもちろん重要ですが、人生は一度きりです。その人生で何を残せるかが最も大切だと考えています。私にとって利益とは、社員や顧客、取引先、そして応援してくれるフォロワーの方々に夢を見せるための原動力であり、社会に貢献するための手段です。特に弊社の不動産事業は富裕層が顧客の中心であり、社会に価値を提供できているのかを常に自問しています。だからこそ、利益の一部を社会貢献活動に充て、企業として果たすべき責任を常に意識していたいのです。
ーー設立1年目で「売上100億円」という目標を掲げた背景を教えてください。
三崎優太:
それは何よりも、一緒に頑張ってくれている社員のためです。世間が「インフルエンサーの会社がうまくいくはずがない」と見ていた中で、私を信じてついてきてくれた創業メンバーたち。彼らに「自分たちはたった1年で売上100億円の会社をつくったんだ」と胸を張ってほしいのです。その圧倒的な成功体験が、彼らの揺るぎない自信となり、これからのキャリアの糧になると信じているからです。
ーー貴社ならではの一番の魅力は何だとお考えですか。
三崎優太:
「躍動感」。これに尽きると思います。私自身が常に挑戦し続けているので、会社全体がものすごいスピードで動き、日々成長しています。「今、自分たちが歴史をつくっているんだ」というライブ感や高揚感は、他では決して味わえない経験です。昨日まで不可能だと思っていたことが、今日には可能になる。そんなダイナミックな環境で、個人の成長スピードも会社の成長に追随する形で加速していくはずです。
社員と共に目指す誰も見たことのない未来の景色
ーーバイク事業という未知への挑戦に向けて、現在の心境はいかがですか。
三崎優太:
正直に言って、成功するかどうかは分かりません。ベンチャー企業が電動バイク事業を成功させた前例はまだありませんから。ですが、来年には必ず「MISAKIバイク」が公道を走る姿をお見せできると確信しています。そこからが本当のスタートです。たくさんの苦労はあると思いますが、不動産事業で得たキャッシュをすべて投下してでも、この「ロマン」に挑戦し続けます。
ーー最後に、今後の展望についてお聞かせください。
三崎優太:
まずは、過去の自分を超えることです。かつての最高業績である年商130億円、営業利益42億円を更新することが自分自身への挑戦です。そして会社としては、不動産事業という強固な基盤の上で、バイク事業という夢を世界へ羽ばたかせる。この両輪で、誰も見たことのない景色を社員と共に見に行きたいと思っています。
編集後記
「青汁王子」としての栄光、逮捕による転落、そしてYouTuberとしての復活。そこからさらに不動産事業を立ち上げ、バイク事業という新たな夢へと挑戦を続ける三崎氏の半生は、まさに波乱万丈という言葉がふさわしい。しかし取材を通して見えたのは、その華やかなイメージの裏で、誰よりも泥臭く、執念深く努力を続ける一人の経営者の姿だった。
バイク事業という壮大な「ロマン」の実現を見据え、まずはその土台となる不動産事業で圧倒的な結果を出す。この冷静な戦略眼と、夢と現実の両極を高いレベルで両立させる力こそが、同氏を再び頂点へと押し上げる原動力なのだろう。設立1年で「売上100億円」を目指す組織の躍動感は、この明確なビジョンを掲げるリーダーの情熱から生まれている。同社の新たな伝説は、まだ始まったばかりだ。

三崎優太/1989年3月29日生まれ、北海道出身の実業家・投資家。10代で起業し「青汁王子」として一躍有名に。18歳で株式会社メディアハーツ(現・ファビウス株式会社)を設立し、美容通販で年商131億円を達成。現在は三崎未来ホールディングス代表として、不動産やEVバイクなど多角的に展開。YouTuberとしても活動し、若者への発信や社会貢献にも力を注いでいる。