※本ページ内の情報は2025年9月時点のものです。

デジタル化の流れを受け、倒産する企業が相次ぐ印刷業界。そうした中、総合印刷会社からダイレクトメール専門会社に移行し、V字回復を果たしたのが株式会社ガリバーだ。今回、代表取締役の中島真一氏に、家業を継ぐまでの経緯と事業転換を決断するまでの背景をうかがった。

教育、印刷、広告業界とキャリアを転々とした過去

ーーまずは中島社長のご経歴からお聞きします。

中島真一:
弊社は1950年から代々続く家業なのですが、仕事ばかりで家庭を顧みない父への反発心から、同じ道には進みたくないと思っていました。そのため大学卒業後は、体育の非常勤の講師として働き始めます。しかし、学校側と自分の価値観が合わず、教員の仕事に疑問を感じて会社員に転身。印刷会社に転職しました。

家業と同じ印刷会社に入社したのは、単純に他の業界のことを知らなかったからです。会社員として働く中で、印象に残っている出来事があります。ある編集プロダクションの編集長に「会社ではなく、君に仕事を出しているんだ」と言われたことです。このひと言がきっかけで、仕事に対して責任を持って取り組むようになりました。

ーーその後のキャリアについてお聞かせください。

中島真一:
印刷会社で9年ほど働いた後、学生時代にお世話になったスキーショップの方から広告代理店の会社を紹介されました。その会社では、スキー、アウトドア関連の雑誌広告やイベント企画、カタログ制作などを手がけていました。

学生時代にスキーに夢中だった私は、「この仕事は楽しそうだ」と思い、転職を決意します。ワールドカップや世界選手権の会場へ足を運び、選手たちに取材するなど、好きなことを仕事にできて本当に楽しかったです。

一方で父は、私が同じ業界で働いていたため、いずれ家業を継いでくれると期待していたようです。当時のガリバーの副社長からも「戻ってこい」と声をかけられましたが、スポーツ関連の仕事にやりがいを感じていたので、頑なに断り続けていました。

家業に戻る後押しとなった出来事

ーー家業に戻られたきっかけは何だったのですか。

中島真一:
あるとき妻の介護が必要になり、出張の多い広告代理店の仕事を続けることが厳しくなりました。そして、仕事を紹介してくれたスキーショップの社長からの一言も大きかったですね。いつか家業を継いでくれると期待している父の気持ちを汲み、「親父さんのところへ戻れ」と説得され、家業に戻る決断をしました。

ーー入社当時の様子をお聞かせください。

中島真一:
デジタル化で印刷の仕事が減っていく中、毎年売上が下がっていました。まさに「息子が帰ってきた途端に会社の売上が下がる」という、同族経営でよくある展開になってしまい、悔しい思いをしました。

あるとき、スキーショップの社長に「印刷業界はもう駄目です。印刷の仕事がどんどん無くなるし、価格競争も厳しい」と愚痴を言ったところ、黙って聞いていたその方が「うちなんか地球温暖化だぞ。俺の会社はそれでも売り上げを伸ばしている。伸びない奴はどこにいても伸びないし、伸びる奴はどこにいても伸びる。お前は自分の会社を伸ばしていきたいと思っているなら二度とそんな愚痴など言うな。愚痴を言ってる暇があるならどうやったら商売がうまくいくかを考えろ」と、厳しく叱責されました。

その方は3年前にお亡くなりになりましたが、私が学生の時に競技スキーを始めたころから面倒を見ていただいた父親のような存在でした。それ以来、私は後ろ向きなことは絶対に言わないと心に決めました。もちろん社員の前でも同様です。

ダイレクトメール専門会社への転換

ーー総合印刷からダイレクトメール専業に事業転換された経緯を教えてください。

中島真一:
当時、売り上げが全体の10%程度だったダイレクトメールに特化しようと決めたのは、自分自身が競技スキーで国体出場をした経験が大きいです。私が本格的に競技スキーを始めたのは大学からで、雪国出身の選手と当然ですが大きな実力差がありました。

スキーで国体出場すると決めた私は、彼らに勝つために国体のスキー競技の種目である大回転だけに絞って徹底的に練習すると同時に、用具もいろいろと研究して神奈川県の予選に臨みました。その結果、雪国出身のライバルたちを抑えて国体出場を果たすことができたのです。

弊社の事業も同じで、印刷の仕事を幅広く請け負うよりも、ダイレクトメールに特化した方が強みを出せるのではないかと考えました。当時はダイレクトメールを専門に行っている会社がなかったこともあり、他社との差別化を図るためにも専業の道を選びました。

強みは独自のアイデアと提案力

ーー改めて貴社の事業内容について教えていただけますか。

中島真一:
弊社の柱はダイレクトメール事業です。企画からデザイン、印刷、発送までワンストップで提供しています。特にこだわっているのは、紙だからこそ表現できる「見て、触れて、開ける楽しさ」を感じていただけるものづくりです。

また、新たにデジタルコンテンツ制作も始めました。ダイレクトメールに印刷されたQRコードを読み込むと、会社のウェブサイトや商品を紹介するサイトにアクセスできる仕組みです。このように、アナログのダイレクトメールとITを融合した、新しいツールの開発に取り組んでいます。

ーー貴社の強みをお聞かせください。

中島真一:
弊社の最大の強みは企画力と提案力。さらに印刷・加工・宛名印字から発送まで一貫して社内で行えることです。ダイレクトメール事業を展開している企業は他にもありますが、画期的なデザインを生み出し、効果的な販促方法も提案できる会社は多くないでしょう。

たとえば、あるレコード型のダイレクトメールは、その一つです。これは令和6年度のジャグラ作品展(※1)の広告印刷物部門で、経済産業省大臣官房商務・サービス審議官賞を受賞しました。本物のレコードのような質感を再現し、受け取った方の印象に残るよう工夫しています。

これからもさらに創造性溢れる企画やデザインで「ダイレクトメールはガリバーにお願いしたい」と言っていただけるような会社を目指して行きます。

(※1)ジャグラ作品展:一般社団法人日本グラフィックサービス工業会(JaGra)が主催する、印刷業界の技術力を評価・向上させるためのコンクール

ーー新商品開発に関しては中島社長が指揮を執っているのでしょうか。

中島真一:
社員たちが積極的にアイデアを出してくれるので、私は何も手出ししていません。若手社員たちも次々と新商品の案を出してくれるので、頼もしいばかりです。

今後の成長戦略と戦力となる人材にかける思い

ーー今後の展望と求める人材についてお聞かせください。

中島真一:
お客様の方からお声がけをいただく機会は増えましたが、大手企業のシェアは10%ほどに留まっています。そのため、新規顧客を開拓しつつ、既存顧客の売上も伸ばしていきたいと考えています。

求める人材としては、クリエイティブな感性を持っている人がいいですね。また、弊社は主体的な社員が多いので、自発的に行動できる方が社風に合っていると思います。そして何より、業務内容は多岐に渡るので、遊び心があり、どんな仕事にも楽しく取り組める方に来ていただきたいです。

ーー新しく仲間に加わる方々に期待することは何ですか。

中島真一:
デジタルネイティブ世代のみなさんは、私たちにはない圧倒的な情報を収集する能力と拡散する能力を持っています。インターネットの拡散力があれば、社員数100人足らずの弊社でも、3000人、5000人規模の企業と同等の力を発揮できるでしょう。みなさんのスキルと、私たちがこれまでの経験で培ったノウハウをかけ合わせ、さらなる成長につなげていきます。

編集後記

「商品企画に関しては社員たちに一任しています」と話す中島社長。それは、社員が積極的に意見を出し合える活気あふれる職場である証拠だろう。株式会社ガリバーは、発想力が豊かで仕事に前向きに取り組む社員たちとともに、ダイレクトメールの新たな形を切り拓いていくに違いない。

中島真一/1958年神奈川県生まれ。日本大学卒業。印刷会社・広告代理店で約20年間経験を積んだ後、2000年に家業である株式会社ガリバーに入社。2012年に代表取締役に就任し、現在に至る。