
日本で最も歴史ある製菓専門学校である東京綜合食品学園東京製菓学校。戦後間もない時代に「食文化の発展が日本の復興につながる」という創業者の理念のもと設立された。海外での経験や生花店の起業など、多様なキャリアを経て、同校の経営を担うことになったのが、理事長の山本陽平氏である。創業者である祖父の思いを受け継ぎ、旧態依然とした組織にメスを入れ、大胆な経営改革を断行。利益追求とは一線を画す「菓子は人なり」の教育理念を胸に、業界の未来をどう見据えているのか。その軌跡と教育にかける情熱に迫る。
アメリカ放浪、花屋の起業を経て学校経営の道へ
ーーはじめに、山本理事長のこれまでの歩みについてお聞かせください。
山本陽平:
中学・高校時代から海外に行きたいという思いが強く、当時テレビや映画で見たアメリカに憧れていました。そして夏休みに1か月かけてバスでアメリカを一周する旅に出たのです。その旅の序盤で出会ったイギリス人の旅人と、何千キロも離れた安宿で偶然再会した経験が、もっと広い世界を見たいと思う大きなきっかけになりました。当時はスマートフォンもなく、そうした偶然の出会いが冒険心をくすぐる時代でしたね。
ーー帰国されてからは、どのような道に進まれたのでしょうか。
山本陽平:
26歳で帰国したものの、海外を旅していただけで、いわゆるプータローの状態でした。履歴書に書ける職歴もなく、お金もありません。そこで、世の中にある仕事を全て書き出し、資格や経験、資金がなくても始められるものを探しました。その結果、意外にも花屋が当てはまったのです。全くの知識ゼロからでしたが、スーパーマーケットの軒先で販売するところから始め、最終的には10人ほどの従業員を抱える会社にまで成長しました。
ーー家業であった学校の経営には、どのような経緯で携わることになったのでしょうか。
山本陽平:
もともと学校は祖父が創業し、父が継いでいました。私には兄がいて彼が理事長になる予定だったので、自分が学校経営に携わることは全く考えていませんでした。しかし、兄が急に学校を辞めることになり、海外にいた私に突然話が来たのです。
当初は断るつもりでしたが、滞在していたオーストラリアの図書館で偶然手に取った2冊の本が私の運命を変えました。どちらも、本来後継者ではなかった三男や四男がトップに立ち、国を良くしていく物語だったのです。その直後に父からの連絡を受けたので「これも運命かもしれない」と感じ、赤字状態だった学校の立て直しに挑戦しようと決意しました。もし経営が順調だったら、逆に引き受けていなかったかもしれません。
当たり前を徹底する経営改革

ーー入職当時、学校はどのような状況だったのでしょうか。
山本陽平:
私が入職した18年ほど前は、学校法人が当たり前に行うべき経営努力ができていない状態でした。かつては少子化の影響もなく、営業努力をしなくても学生が集まる時代が長く続いたのです。そのため、教職員全体に「なんとかなるだろう」という公務員的な気質が根付いていました。たとえば、何かを発注する際に相見積もりを一切取らず、業者からの請求書にそのまま印鑑を押すのが当然とされていました。
ーー学校経営の立て直しは、具体的に何から着手されたのでしょうか。
山本陽平:
私は会社を経営していた経験から、その状況に違和感を覚えました。そこで、まずは「一定金額以上の発注には必ず複数社から相見積もりを取る」という、ごく当たり前のルールから徹底していきました。もちろん、長年の慣習を変えることに対して、年上の職員からの反発は大きなものでした。「面倒だ」という声も多くありましたが、学校といえども赤字になれば存続できないという危機感を共有し、一つひとつ理解を得ながら改革を進めました。
ーー職員の方々の意識改革のために、人事制度はどのように変更されたのでしょうか。
山本陽平:
一般企業とは異なり、営業成績のような数値で評価できる組織ではありません。そこで、教育を専門とするコンサルタントの力も借りながら、理念への共感や仕事への情熱、日々の業務態度などを重視する評価制度をつくり上げました。上司からの評価だけでなく360度評価も導入し、多角的な視点で個人の貢献を評価する仕組みです。当初は戸惑いの声もありましたが、評価と賞与を連動させる比率を段階的に引き上げるなど、時間をかけて制度を浸透させていきました。
創業者から受け継ぐ「菓子は人なり」の教育理念
ーー貴校ではどのような専門分野を学ぶことができるのでしょうか。
山本陽平:
本校は洋菓子、和菓子、パンという三つの分野に特化しています。他の専門学校のように広く浅く学ぶのではありません。一つの分野を2年間かけて徹底的に学ぶカリキュラムが最大の特徴です。そのため、入学してくる学生も「本気で一流のパティシエや職人になりたい」という高い意識を持っています。その熱意に、私たちは業界最高水準の教育で応えなければなりません。
ーー他校にはない、貴校ならではの教育環境の特長を教えてください。
山本陽平:
質の高い教育を提供するためには、質の高い教員が不可欠です。本校の教員は確かな技術と経験を持っています。コンテストでの受賞歴や、業界の第一線で活躍してきた実績があるのです。そうした優れた指導者から直接学べる環境を維持するために、学費はどうしても高くなります。しかし、それ以上の価値を入学してくれた学生に提供する自信があります。そのための投資は惜しみません。
ーー教育において最も大切にしていることは何ですか。
山本陽平:
創業者である祖父は「菓子は人なり」という言葉を残しました。これは、単にお菓子をつくる技術だけでなく、人をつくることが教育の本質である、という考えです。
18歳から20歳は、人生で最も多感で重要な時期です。その2年間を預かるわけですから、責任は非常に重いと感じています。学生たちには技術の習得はもちろん、感性を磨くよう伝えています。本を読み、旅行に行き、多くの人と話す。そうした経験がお菓子づくりにつながるのです。
本校は、卒業生が毎日のように学校に遊びに来てくれます。就職や仕事の悩み、時には恋愛相談までしに来て、先生方とお菓子を食べながら話して帰っていく。そんな光景が日常茶飯事です。これは、在学中に教員が一人ひとりの学生に愛情を持って接し、深い信頼関係を築けている証しだと思います。卒業式で先生の方が泣いてしまうほど、人と人とのつながりが強い。この温かい校風こそが、私たちの何よりの誇りです。
未来を見据えた組織づくりと展望
ーー採用面ではどのような点に力を入れていますか。
山本陽平:
現在、事務方の年齢構成が高齢化しており、20代、30代の職員が少ないという課題があります。学生と年齢が近い若い職員がいると、彼らの気持ちを理解しやすく、意思疎通も円滑になります。実際に、近年採用した若手職員は組織の活性化に大きく貢献しています。「こうすればもっと効率的になる」といった新しい提案が次々と出てくるのです。
ーー5年後、10年後を見据えた今後のビジョンについてお聞かせください。
山本陽平:
人口減少に伴い、教育業界が縮小していくことは避けられません。その中で生き残るために、私は事業規模を拡大するのではなく、あえてダウンサイジングを選択します。学校の規模を需要に合わせて最適化し、強靭な経営基盤を築くことで、教育の質を維持・向上させます。むやみに利益を追うのではなく、卒業生や社会のために学校を永続させることが最も重要です。戦後の何もない時代に、祖父は私財を投じて日本の食文化の未来を信じました。その理念である「菓子は人なり」という言葉を胸に、これからも教育の道を歩んでいきます。
編集後記
海外放浪から生花店の起業、そして突然の学校経営への転身。山本氏の歩みは、まさに波乱万丈だ。しかし、その一つひとつの経験が、旧弊を打破し、組織を未来へ導くための強固な礎となっている。特に印象的だったのは、創業者である祖父への深い敬意と、「菓子は人なり」という教育理念を次代へつなぐ使命感である。事業拡大が善とされる風潮の中、あえてダウンサイジングを掲げ、教育の本質を守り抜こうとする姿勢は、変化の時代におけるリーダーの一つの在り方を示しているのではないだろうか。同校の挑戦から、今後も目が離せない。

山本陽平/1970年、東京都生まれ。高校卒業後、米国大学留学(中退)。7年間ほどの海外放浪生活などの後、1997年に生花販売卸の会社を設立。2007年に東京綜合食品学園東京製菓学校に入職。2015年に同校理事長就任。