※本ページ内の情報は2025年9月時点のものです。

電子機器の心臓部であるプリント基板の実装を手がけ、日本のものづくりを支える加美電機株式会社。多品種少量生産を得意とし、「できないとはいわない」を信条に顧客のあらゆる要望に応えることで厚い信頼を築いてきた。同社を率いるのは、ソフトウェア開発者から経営者に転身した菓子俊之氏である。義父から事業を継承後、属人化した組織の改革を進め、就任から10年で売上を倍増させるなど着実に会社を成長させてきた。畑違いの世界からいかにして会社を牽引するリーダーとなったのか、その軌跡と展望を聞いた。

予期せぬ後継者指名 腹を括った決断

ーーどのような経緯で、事業を継承することになったのでしょうか。

菓子俊之:
学生時代は電子工学を学び、ハードウェアに関心があったものの、就職氷河期という時代背景もあり、ソフトウェアの受託開発を手がける大手企業に入社しました。それから6年半、携帯電話の基地局に組み込むプログラム開発などを担当し、月100時間の残業も当たり前というハードな環境で働きました。今思えば、若い頃のこの経験は非常に貴重だったと感じています。

そんな折、加美電機の社長だった妻の父から、後継者を探していると声をかけられたのです。妻は三姉妹の末っ子でした。姉たちの配偶者である義兄たちにも後を継ぐ意思はなく、最後に私に白羽の矢が立ったのです。私はごく普通の公務員家庭で育ちましたし、経営者になるなど考えたこともありませんでした。お話をいただいてから決断に至るまでの1ヶ月間は、その重責に眠れない夜を過ごし、悩みのあまり心身共に不調をきたすほどでした。妻も父の苦労を見てきたので、当初は乗り気ではありませんでしたが、夫婦で何度も話し合った末に「断る理由を探したけれど、見つからなかった」という結論に至ったのです。せっかくいただいたチャンス。覚悟を決めて挑戦しようと、腹を括りました。

模倣から始まった社長業と改革への第一歩

ーー入社後、社長就任までどのような業務を経験しましたか。

菓子俊之:
入社後の半年間は、まず主要なお客様先で基板づくりの基礎を学ばせていただきました。その後は自社製品の担当として、営業からクレーム対応まであらゆる業務を手探りで経験しました。社長就任は突然「来年から頼む」と告げられ、本当に驚きましたね。就任当初は、とにかく先代である会長の経営哲学を忠実に守ることだけを考えていました。常に「会長ならこの局面でどう判断するか」と自問自答する毎日で、独自のカラーを出す余裕など全くありませんでした。

ーー社長就任後、特に注力したことは何ですか。

菓子俊之:
まず注力したのは、リーマンショックのような経済危機が訪れても耐えうる、利益体質な会社にすることです。内部留保を厚くし、盤石な土台作りに取り組みました。同時に、先代は社員一人ひとりと向き合うカリスマ経営者でしたが、社員一人ひとりが自ら考えて動ける組織を目指し、外部コンサルタントの力も借りて評価制度や等級制度を整備しました。上司と部下が1対1で対話する「ワンオンワン・ミーティング」も導入し、風通しの良い組織づくりを進めてきました。

「できないとはいわない」全員野球で築く絶対的信頼

ーー貴社の信条である「できないとはいわない」を支える体制の強みとは何でしょうか。

菓子俊之:
私たちの事業は、プリント基板に電子部品を実装することです。現在は貨幣処理機メーカー様とのお取引が中心ですが、産業用電源から半導体製造装置まで、あらゆる電子機器に私たちの技術が活かされています。創業当時から受け継がれる「できないとはいわない」という信念が、私たちの最大の強みです。困難なご要望でも、まずは知恵を絞って挑戦する姿勢を評価いただいているのだと思います。

その姿勢を支えているのが、会社全体で取り組む“全員野球”の体制です。弊社には専門の営業部署がありません。製造部長や私が直接お客様とやり取りをするため、間に人を挟まずスピーディーに「やります」と即答できるのです。また、この業界は設備投資が事業の根幹を支えます。常に最新鋭の設備を導入し続けることで、技術的な制約を理由にお断りすることがないよう、あらゆるご要望にお応えできる生産体制を維持しています。社員教育も徹底し、高い技術力を保ち続けています。

100億円企業へ 地域と共に描く未来図

ーー今後の展望と、地域や次世代への思いをお聞かせください。

菓子俊之:
私が社長に就任したときの売上は約20億円でした。それが現在、グループ全体で約50億円まで成長し、次の目標として100億円を公言しています。目標を口に出すことで、会社はそちらの方向へ進んでいくのだと実感しています。目標達成のために、3つの柱を掲げています。1つ目は“新規取引先の開拓”で、今後は医療やロボット分野にも挑戦したいと考えています。2つ目は“既存取引先との取引深耕”です。そして3つ目が、“経営幹部の育成”です。中堅社員のプロジェクトも始動しており、次世代のリーダー育成に力を入れています。

ものづくりの仕事の魅力は、やはり達成感です。自分が手がけた基板が、お店の券売機や両替機など身近な場所で社会の役に立っている。その事実は大きなやりがいになるはずです。私たちはこれからも福利厚生を充実させ、この多可町の地で地域ナンバーワンの企業を目指し、地域と共に発展していきたいと考えています。

編集後記

ソフトウェア開発者から経営者へと転身し、義父の事業を継承した菓子社長。先代の方針を尊重しつつ、属人化していた組織の改革に着手し、就任から10年で売上を倍増させるなど着実に会社を成長させてきた。その根底には、創業時から受け継がれる「できないとはいわない」という精神がある。新たに「100億円企業」という目標を掲げ、取引先の開拓や次世代リーダーの育成を進める同社。地域に根ざした企業として、今後のさらなる発展が期待される。

菓子俊之/1979年、富山県生まれ。中部大学卒業後、大手ソフト受託開発会社に入社。その後、2008年に当社に入社。2010年8月に取締役総務部長、2014年1月に専務取締役に就任し、2014年6月に代表取締役社長に就任。2024年4月には子会社である氷上製作所の代表取締役社長にも就任し、現在は両社の代表を兼任している。