※本ページ内の情報は2025年10月時点のものです。

滋賀県を拠点に、ジーンズを中心としたセレクトショップ「BORN FREE」を展開する株式会社ボーンフリー。「洋服ではなく接客を販売する」という哲学を掲げ、「人」の力を強みに地域密着経営を貫く。2023年、代表取締役に就任した堀江達哉氏は、他社での修行経験を経て、顧客第一の原点に回帰。同時に、店長への裁量権委譲で社員の挑戦を促す組織づくりを推進している。同氏に、事業の核となる思いと未来像について話を聞いた。

家業を意識し他社で修行 経営者としての原点を築いた若き日々

ーーこれまでのご経歴についてお聞かせください。

堀江達哉:
学生の頃から漠然と家業を継ぐことを意識していましたが、父からプレッシャーを感じたことはありません。大学卒業後はすぐに家業には入らず、まずは他社で経験を積もうと考えました。そして、婦人服や雑貨を企画販売するアパレル企業に就職します。今で言うところの労働環境が厳しい企業でした。しかし、社会人としての基礎を叩き込んでもらえたと感じています。

ーーその後、どのような経緯で家業へ戻られたのでしょうか。

堀江達哉:
1年半ほど経った頃、弊社が東京のお台場に出店することになり、それを機に一度家業へ戻りました。もちろん特別扱いはなく、一スタッフからのスタートです。その後、父と親交のあった鳥取の「株式会社びんごや様」にて10ヶ月ほど修業する機会を得ました。そこで仕事の楽しさや、商品を戦略的に販売していくことの奥深さを学びました。

2004年、正式に弊社に入社し、販売スタッフとしてキャリアをスタートしました。そして、バイヤー、店長、商品管理、経理と、さまざまな業務を経験しています。特に楽しかったのはバイヤーの業務です。展示会に行き、多くの商品の中から自分で選んだものが、実際にお客様に購入されたときに非常に嬉しかったです。また、どのような商品を、どれくらい仕入れるかといった品ぞろえを自分で決めていくことで、お店全体が自分の理想の形になっていく過程に、何物にも代えがたいやりがいがありました。

社員の挑戦を促す「原点回帰」の組織改革

ーー代表取締役就任後は、どのようなことに取り組まれたのでしょうか。

堀江達哉:
就任にあたり、変えたことが2つあります。

1つ目は、お客様への姿勢の見直しです。「お客様とスタッフは対等である」という考えが広まり、対応がドライになっていた部分を反省。私は創業の「原点」に立ち返り、何よりもお客様を第一に考える姿勢を、改めて社内に浸透させることから始めました。

2つ目は、社内風土の改革です。以前のトップダウンな風潮では、若い世代が萎縮して意見を言えませんでした。社員一人ひとりが「自分がこの会社を動かしている」と、主体的に仕事を楽しめる環境を創りたいと考えたのです。その具体的な施策として、仕入れの裁量権を一部現場に移しました。以前はバイヤーが一括で仕入れて各店舗に割り振っていました。現在では、店長自身が展示会に足を運び、自店舗の仕入れを決められるようにしています。

ーー店長に裁量権を与えたことで、どのような変化がありましたか。

堀江達哉:
各店舗の個性がより際立つようになりました。もちろん、会社としての大きな方向性は示しますが、細かい部分は店長の判断で自由にやれるようにしています。イベント企画なども店長の決裁で実行可能なケースもあります。自分の考えで店づくりができることは、店長自身のモチベーションにもつながっています。

たとえば、釣りが好きな店長が自身の店舗で釣り関連ブランドのアパレルを仕入れました。これにより、これまでとは違う層のお客様の獲得に成功しています。

「接客を販売する」独自の理念と地域密着戦略

ーー貴社の事業内容と強みについてお聞かせください。

堀江達哉:
弊社は、アパレルアイテムを中心としつつライフスタイル全体を提案するセレクトショップです。ただ流行だけを追うのではなく、お客様の生活を少しおしゃれに彩りたいと考えています。自己肯定感が高まって楽しくなるような「半歩先」のトレンドを提案することを心がけています。

そして、最大の強みは「人」です。スタッフには常々「洋服ではなく接客を販売するのだ」と伝えています。お客様が服を選ぶ時間を、私たちの接客によって価値あるものにする。それが私たちの仕事です。

ーー事業拡大に向けて、特に意識されていることなどはありますか。

堀江達哉:
弊社はセレクトショップなので、取り扱う商品の多くは他のお店でも購入できます。それでもお客様に弊社を選んでいただくためには、やはりスタッフの接客が最も重要になります。

今後はオンライン販売も強化していく方針ですが、事業の軸足はあくまでリアル店舗での対面接客です。また現在、ほとんどの店舗が滋賀県内にあります。今後もこの地域密着の姿勢は変えず、お客様との関係性を深めていきたいと考えています。

アパレルの枠を超え、滋賀の魅力と共に未来へ

ーー今後の事業展開について、どのような展望をお持ちですか。

堀江達哉:
まずは会社の基盤を固めつつ、近隣エリアで幹線道路沿いの店舗を出したいです。ショッピングモールと違い、自分たちで集客する難しさがあります。しかしその分、自分たちの個性を最も表現できると考えています。

同時に、EC事業も強化します。現在の売上構成比7%から、将来的には20%まで引き上げることが目標です。

またアパレルだけでなく、お客様の生活にプラスになるような遊び心のある商品を積極的に取り入れたいです。すでにラジコンや化粧品なども取り扱っていますが、今後はさらに幅を広げます。カルチャー系の雑貨、ファッションの枠を超えたライフスタイル提案を強化していく計画です。

ーーその他、何か力を入れていることはありますか。

堀江達哉:
滋賀県の企業と連携したオリジナルアイテムの開発を積極的に行っています。たとえば、奥永源寺のオーガニック化粧品会社と、日本で類を見ないメンズの100%オーガニックコスメを共同開発しました。コンセプト・成分・香りからデザインまで全てに深く関わって製作してもらいました。こうした取り組みを通じて滋賀県の魅力を発信することも、地域に根差す企業としての大切な役割です。

ーー最後に、会社として目指す未来像をお聞かせください。

堀江達哉:
組織経営を基盤としながらも、かつてあった挑戦しやすい風土を取り戻したいと考えています。父が社長を務めていた時は、スタッフから何か提案があれば「とりあえずやってみよう」と、さまざまな挑戦がしやすい環境でした。それが、2代目の頃に「組織経営」を掲げたことで、承認のプロセスが大きく変わったのです。

もちろん、組織として成長するためには重要なステップでした。しかし、提案が「スタッフから店長、部長、役員へ」と稟議を重ねるうちに、途中で採用されないケースが非常に多くなりました。その結果、次第に現場から提案そのものが生まれにくい雰囲気になってしまったと感じています。

なので今後は、組織経営という基盤は大切にしつつも、スタッフ一人ひとりのアイデアや挑戦を後押しできる、活気ある風土を復活させていきたいと思います。

編集後記

他社での下積み、仕事の楽しさを知った修行時代、そしてバイヤーや店長など多様な現場での経験。堀江社長の歩みが、経営の核となる「人」と「顧客」への強い思いを育んだのだろう。社員の「やってみたい」を尊重する組織への変革は、自らが経験した仕事の「楽しさ」を共有したいという願いの表れだ。地域に根差し、人と誠実に向き合う姿勢は、変化の激しい業界で揺るぎない強みとなるに違いない。同社の新たな挑戦に期待したい。

堀江達哉/1977年生まれ。中央大学卒業後、株式会社東京芸夢に入社し、1年半ほど販売員の経験を積む。その後、家業である株式会社ボーンフリー(ボーンフリー)のお台場店や鳥取県の株式会社びんごやで修業し、2004年にあらためてボーンフリーに入社。販売員・バイヤー・店長・商品管理・経理などを経験した後、2023年、同社代表取締役社長に就任する。