
大阪・道頓堀に本店を構え、こだわりの出汁で多くの食通をうならせてきたうどんの老舗「道頓堀 今井」。その経営を担う株式会社今井の代表取締役である今井徹氏は、高校卒業後にシンガポール、アメリカへと渡った経歴を持つ。バブル崩壊の余波で会社の存続すら危ぶまれる経営危機に直面するも、海外生活で培われた楽観の精神と新たな販路開拓で逆境を乗り越えてきた。伝統の味を守りながら、時代に合わせた革新を続ける同社の歩みと未来への展望に迫る。
海外での経験と名店での修行
ーーこれまでのご経歴について教えてください。
今井徹:
高校卒業後は、日本の大学ではなくシンガポールのインターナショナルスクールへ進学しました。1年半ほど過ごした後、父から「せっかく英語もできるようになったのだから、アメリカの学校へ行ってみなさい」と勧められ、カリフォルニア州立大学へ進みました。
日本の常識が一切通用しない環境に身を置いたことで、多様な視点が自然と身につきました。ビザのトラブルに巻き込まれるなど、日本では考えられないような困難にも直面しましたが、その度に「なんとかなるだろう」と乗り越えてきました。この精神は、後に会社の危機に直面した時、私を支える大きな力になってくれました。
ーー大学卒業後は、どのようなご経験をされましたか。
今井徹:
帰国後は、父の勧めで大阪料理の名店「浪速割烹 㐂川(きがわ)」で2年間、料理人としての心構えを徹底的に叩き込まれました。親方の上野修三さんからいただいた「我々は芸術家ではない。」という言葉は、今も心に深く刻まれています。
また、親方は「料理の『料』は『はかる』、『理』は『おさめる』と読む。お客様が何を求めているかをはかり、期待通りのものを出すことでお客様をおさめるのが料理だ」とも教えてくださいました。この教えは、今も私たちの商売の基本理念です。
会社の危機を救った外へ出る発想
ーー仕事に対する意識が変わるきっかけとなった出来事を教えてください。
今井徹:
㐂川での修行を終えて店に入ったのですが、しばらくは燃え尽きたような状態で、仕事に身が入らない時期がありました。修行に全てを出し切ったわけでもないのに、不思議と「頑張ろう」という気持ちになれなかったのです。従業員からは「どうしようもない息子だ」と思われていたかもしれません。そんな私の意識を変えるきっかけとなったのが、会社が経営危機に直面したことです。
バブル末期に行った本店の建て替えや、その少し前に東京に出店した店舗の赤字が重なり、会社の借金は当時の売上の倍にまで膨れ上がっていました。ついには経理担当者から「このままでは1年後に資金が不足します」と宣告される事態に陥ったのです。
ーーその危機的な状況を、どのように打開したのでしょうか。
今井徹:
祖父から「この場所(道頓堀本店)だけは絶対に手放すな」と言われていたこともあり、なんとかしなければと必死でした。銀行からの追加融資も見込めない中、もう店の外で売り上げを立てるしかないと考え、百貨店の催事への出店を始めたのです。
当初、私どものきつねうどんは一般的なものより値段が倍近くしたため、「そんな値段で売れるわけがない」と周囲からは言われました。しかし、ある百貨店の催事で販売する機会を得たところ、長年ご愛顧くださっているお客様に支えられ、予想を大きく上回る売り上げを記録することができました。
その成功が評判を呼び、他の百貨店からも次々とお声がけいただくようになり、これをきっかけとして通信販売にも本格的に力を入れ、新たな販路を切り拓いていったのです。
守るべき伝統と時代の変化への挑戦

ーー現在の事業内容についてお聞かせください。
今井徹:
現在は道頓堀の本店をはじめとする店舗での営業に加え、百貨店でのお持ち帰り商品やお弁当の販売、そして通信販売が事業の3本柱となっています。今では店舗と物販の売上比率は4対6ほどになり、物販が事業の大きな柱へと成長しました。
お客様の層も時代と共に大きく変化しました。昔、この道頓堀は芝居の街でしたので、中高年の女性がお客様の8割を占めていましたが、本店を建て替えて宴会にも対応できるようにしたことで男性客も増え、現在では40代以上の方が中心になっています。また、道頓堀という場所柄、海外からのお客様が半数を占めるほどになっているのも近年の大きな特徴です。
通販事業については、お中元やお歳暮といったギフト需要に支えられています。もともと当店の味を好きでいてくださる方が、大切な方への贈り物として選んでくださいます。そして、それを受け取った方が新たにファンになり、また別の方へのギフトとして利用してくださるのです。そうした形で、お客様の輪が自然と広がっているのは、本当にありがたいことだと感じています。
ーーお店の味やメニューに対するこだわりについて教えてください。
今井徹:
今井の味の礎を築いたのは、私の祖母です。空襲ですべてを失った後にうどん屋を始めましたが、非常に味の才能があった人でした。その味を父が受け継ぎ、日本料理のような季節感を取り入れることで、「ただのうどん屋」ではない店のコンセプトを確立したのです。
ですから、私たちは新しいメニューを次々と生み出すというより、この受け継がれてきた伝統の味を、毎日きちんとつくり続けることを何よりも大切にしています。その上で、百貨店向けに他のメーカーさんとコラボレーションしたり、通販限定の商品を開発したりといった新しい試みも続けています。たとえば、店舗では匂いの問題がありご提供していないカレーうどんを、毎年数量限定でネット販売することもあります。こうした特別感を演出しながら、お客様に喜んでいただける商品をお届けしたいと考えています。
次代へつなぐプロ意識と「期待値を2%超える」挑戦
ーー現在、特に注力されていらっしゃることは何でしょうか。
今井徹:
社員一人ひとりのプロ意識の向上と、EC(電子商取引)の強化です。人材育成の一環として、馬を介して自己の内面と向き合う「ホースコーチングプログラム」を導入しています。言葉が通じない馬と真摯に向き合うことを通して、参加者は自分自身のリーダーシップのあり方や無意識の思考の癖を深く見つめ直すことができます。この自己内省の経験が、次の時代を担う人材の成長につながることを期待しています。ECに関しては、この業界で働く娘にも手伝ってもらいながら、お客様の数を増やせるよう、地道に取り組んでいるところです。
ーー今後、どのような方と一緒にお仕事をされたいですか。
今井徹:
何よりも、人を喜ばせるのが好きな方、そして食べるのが好きな方に来ていただきたいです。私たちは常々、「お客様の期待値を常に2%上回る努力をしよう」と話しています。私たちが目指すのは、「さすがだね」と言っていただける最高のサービスです。そのためにはマニュアル通りの対応だけでなく、お客様のために今何ができるかを自ら考え、行動する姿勢が不可欠です。私たちの思いに共感し、一緒に挑戦してくれる方との出会いを楽しみにしています。
編集後記
高校卒業後に単身で海外へ渡り、異文化の中で培われた「なんとかなる」という楽観の精神。それが、会社の存続を揺るがす危機に直面した際の大きな支えとなった。名店で学んだ「料理とは、客を料り理めるもの」という哲学を胸に、常にお客様と向き合う今井氏。伝統の味を守りながらも、時代に合わせた挑戦を続ける老舗の姿に未来への確かな力強さを感じた。

今井徹/1959年大阪府生まれ。1985年カリフォルニア州立大学フレズノ校卒業、同年8月から2年間「浪速割烹 㐂川(きがわ)」で修行の後、1987年に株式会社今井へ入社。1996年に代表取締役に就任。