
大手ゼネコンのパートナーとして、高速道路や地下鉄、ダムといった日本の大動脈を支える公共インフラ工事を手がける株式会社レイズ。従業員数が20名規模ながら、大規模プロジェクトに参画できる高い技術力と、安定した財務基盤を誇る。同社を率いる代表取締役の福島純平氏は、19歳で父となり、家族を養う一心で建設の世界に飛び込んだ人物だ。リーマンショックで3億円もの負債を抱え倒産の危機に瀕するも、東日本大震災の復興事業を機に奇跡のV字回復を達成。逆境を乗り越えた経験から導き出された独自の経営哲学と、今後の展望について話をうかがった。
家族のために19歳で建設業へ 知識ゼロからの挑戦
ーーこれまでのご経歴についてお聞かせください。
福島純平:
19歳の時に子どもができて父親になったことが、私の人生の大きな転機となりました。それまでは将来のことを深く考えていませんでしたが、「家族を養わなければ」という一心で、とにかく稼ごう、手に職をつけようと建設業の道を選びました。
そこで、周りの先輩たちに相談したところ「会社に勤めるより、請負がいちばん儲かる」と聞き、すぐに独立する道を選んだのです。とにかくお金が必要でしたから、迷いはありませんでした。まずは、近所の工務店の扉を叩いて「仕事を請け負わせてください」とお願いし、図面と金額をいただくところから始めました。もちろんやり方は分からないので「教えてください」と素直に頼み込み、仕事を覚えていった次第です。
ーー独立後の事業拡大と、法人化のきっかけについて教えてください。
福島純平:
独立後は、仕事ぶりが評価されて取引先が順調に増え、仲間も集まりました。受注額が100万円、1000万円と大きくなっていく達成感を原動力に、事業を拡大していったのです。やがて、事業が軌道に乗ると運転資金が必要になり、日本政策金融公庫からも融資を受けました。そうして1〜2年経ち、売上高が1000万円を超えたタイミングで税理士の方から「税務的に法人化した方がいい」と勧められたことがきっかけで、有限会社を設立しました。
リーマンショックと3億円の負債 絶望の淵で掴んだ再生の光
ーーこれまでで、最大の危機はどのようなことでしたか。
福島純平:
2008年のリーマンショック後が最も苦しい時期でした。それまではやればやるほど儲かっていたのに、受注は激減します。さらに税務調査も入り、社員がまとめて辞めてしまうなど、悪いことが一気に重なりました。気づけば3億円もの借金だけが残り、完全な債務超過です。毎月の支払いに追われる恐怖は、今でも忘れられません。
ーーその絶望的な状況から、どのようにして立ち直ったのでしょうか。
福島純平:
転機となったのは、2011年の東日本大震災です。復興事業、特に放射能の除染作業という前例のない仕事の依頼がありました。危険が伴うため、単価は通常の3〜5倍という高単価だったため、業績はV字回復を遂げました。
当初は「仕事を引き受けるのはお金を稼ぐため」というのが本音でした。しかし、現地で被災された方々を目の当たりにし、地元の方々と一緒に事業に取り組む中で、その思いは変わっていきます。
その後、大きな経営危機を乗り越えた経験から、経営方針を根本から見直しました。リーマンショック前と同じ民間工事中心では、また同じことを繰り返すと考えたのです。そこで、付き合いのあった会社様には丁寧にご説明し、民間工事からすべて撤退しました。土地や資材もすべて売却し、事業を大手ゼネコンとの公共工事一本に絞ったのです。10年以上経った今でも、この時の判断は正しかったと確信しています。
少数精鋭で大手と渡り合う強さと未来像

ーー現在の事業内容と、貴社の強みについて教えてください。
福島純平:
現在は、橋やダム、高速道路といった公共インフラの土木工事が事業の柱です。強みは、従業員20名程度の規模でありながら大手ゼネコンの大型工事を直接受注できる技術力と、安定した資金繰りにあります。特に大手ゼネコンとの取引では、開始後の1年間は特に厳しく評価されます。弊社はその時期を、一つひとつの問題に丁寧に対処し続けることで乗り越えました。そうして信頼を積み重ねてきたのです。
ーー社員の定着率を高めるために、どのような工夫をされていますか。
福島純平:
私たちの仕事は非常に規模が大きく、時に自分たちが何をつくっているのか分からなくなりがちです。だからこそ「この仕事は地図に残り、未来へ引き継がれていくんだ」という誇りを忘れないよう、社員には常にそう伝えるようにしています。そのうえで、社員が「お金を稼ぐために働いている」という現実を考慮し、給与は業界水準よりも高く設定しています。やりがいと報酬、この両輪が定着率につながっていると考えています。
ーー今後の事業展望についてお聞かせください。
福島純平:
やみくもに会社の規模を大きくするつもりはありません。それよりも、既存の大手取引先との関係をさらに強化したいと考えています。一つひとつの仕事に丁寧に向き合うことで信頼を積み重ね、仕事を選べる立場であり続けることが重要です。そのために、従業員10〜20名程度の少数精鋭体制を維持し、一人ひとりの生産性を高めたいのです。そして、業界平均の1.5〜2倍の給与を支払えるような、利益率の高い会社にすることが目標です。
ーー最後に、読者の方へメッセージをお願いします。
福島純平:
今は、昨日まで常識だったことが今日には非常識になるほど、時代の流れが速く変化の激しい時代です。私が仕事を始めた頃は「お金を稼ぐために仕事を好きになる」のが当たり前でした。しかし、「好きなことを仕事にしてお金を稼げる時代」になったと感じています。だからこそ、皆さんにはとにかく好きなことに挑戦してほしいです。人生は一度きりですから、恐れずに何事にも取り組んでほしいと願っています。
編集後記
19歳で家族を養うために起業。途中、3億円の負債を抱えるも震災を機に再生する。その経歴はまさに波乱万丈だ。しかし、福島氏の言葉の根底には、常に「稼ぐ」ことへの純粋で力強い意志が一貫している。そのこだわりは、社員に業界最高水準の給与を還元するという、極めて明確な形で結実している。波瀾万丈のストーリーを経てたどり着いた「少数精鋭・高収益」という経営哲学。その力強い歩みは、取引先にも、未来の仲間にも、確かな信頼と魅力を感じさせるに違いない。

福島純平/1982年、神奈川県川崎市生まれ。民間の土木会社での勤務を経て、個人事業主として独立。その後、21歳で有限会社を設立。2012年に株式会社レイズに組織変更。現在は、大型工事に注力している。