
兵庫県丹波篠山市に拠点を置き、関西と東京・九州を結ぶ高速夜行バス事業を展開する株式会社サンシャインエクスプレス。コロナ禍の経営危機を乗り越え、業界の常識を覆す採用力と育成術を武器にV字回復を遂げた。「地元篠山と共に、社会に必要とされ続ける企業となる」という目標を掲げ、運輸事業を通じて地域社会の発展にも貢献している。同社を率いる代表取締役の武元瑞樹氏は予期せず事業を承継し、いかにして会社を再建したのか。苦境から這い上がった組織改革の裏側と、地域と共に描く未来像に迫る。
ドライバーから経営者へ 苦難から始まった改革の道
ーー社会人としてのキャリアは、どのようにスタートされたのでしょうか。
武元瑞樹:
車好きが高じて、高校卒業後は改造費を稼ぐために自動車整備工場へ就職しました。その後、食品工場での勤務を経て、21歳のときに大型免許を取得。父(現会長)が経営する運送会社にドライバーとして入社しました。
当時は会社を継ぐ意識はまったくなく、父の会社も順調そうだったので、少しでも助けになればという思いでした。しかし、“社長の息子”という立場から、入社後1年半ほどは周囲の厳しい扱いに精神的に苦しみました。
ーーどのような経緯で、代表取締役に就任されたのでしょうか。
武元瑞樹:
コロナ禍で仕事が激減し、ドライバーから内勤に移ったことが経営に携わる直接のきっかけです。その後、管理職5名が取引先を持ったまま一斉に退職。コロナ禍で会社は倒産寸前の危機に陥りました。
当時の私は現場の知識しかなく、管理業務は手探りの状態でした。しかし「自分の会社でもある」という当事者意識と、現会長が連れてきたナンバー2の存在に支えられ、必死に立て直しに取り組みました。そんな混乱の最中、2022年の父の退任を機に、私が急遽代表取締役に就任したのです。
V字回復の原動力 移住支援という独自の採用戦略

ーー社長就任当時、どのようなことから着手されたのですか。
武元瑞樹:
弊社が展開する高速夜行バス事業は、当時、業界で非常に厳しい立ち位置の会社だったと思います。他社とのつながりはほとんどなく、世間からの評価も低い状態でした。接客態度から安全意識、組織体制に至るまで、あらゆる面で課題が山積していました。
この状況を打開するため、まず採用の抜本的な強化から着手しました。私が舵取りを始めた頃の運転手は10人ほどで、サービスの品質も低い状態でした。そこで、組織の刷新を図りながら、同時進行で新たな人材を積極的に採用していきました。その結果、バスドライバーは全体で52名にまで増えました。
ーー貴社の採用戦略について詳しくお聞かせください。
武元瑞樹:
移住を全面的に支援する採用方針が功を奏し、現在、弊社の運転手は全員が移住者です。本社のある丹波篠山市は、土地や家賃が手頃で、コロナ禍以降の田舎暮らしへの関心の高まりも追い風になりました。弊社では引っ越しの支援や家賃補助を行うことで、移住へのハードルを下げています。今後は、移住を希望される方はもちろん、地元で働きたいという方にも、より一層魅力を感じていただけるような会社づくりを進めていきたいと考えています。
顧客の信頼を築く人材への惜しみない投資
ーー貴社の人材育成制度について詳しく教えてください。
武元瑞樹:
弊社は普通免許しか持っていない未経験者を積極的に採用し、一からプロのバス運転士に育てています。まず、お客様を乗せずに昼間の公道や夜間の高速道路で運転練習を重ねることからスタートします。修了後は、先輩ドライバー2人と新人1人の3人体制で実際の運行を経験します。この段階をクリアして、初めて先輩との2人体制での運行が任される流れです。育成プログラムとして、約3ヶ月間の非常に手厚い研修制度を整備しています。
経営が苦しい時期も、教育には惜しみなく費用と人員を投じました。今思えば、かなりの冒険だったかもしれません。
また、若い世代の価値観に合わせ、ワークライフバランスを重視した働き方を整えました。社員が長く安心して働ける環境づくりにも力を注いでいます。
ーー貴社サービスが多くのお客様に選ばれている理由は何だとお考えですか。
武元瑞樹:
外国人観光客の需要回復といった外的要因もあります。しかし、私たちの本質的な強みである安全・安心へのこだわりがお客様に届いている結果だと捉えています。私が経営を始めた頃は、バスの路上故障が月に2件ほどのペースで発生していました。そこで、「事故なく、故障なく、安全に目的地まで到着していただく」という、当たり前のことを見直し、徹底することから始めました。
この地道な取り組みの積み重ねが、お客様からの信頼につながっているのでしょう。おかげさまで、非常に多くのお客様にご利用いただいている状況です。
「地元篠山と共に」交通の枠を越える事業構想

ーー貴社が掲げている目標についてお聞かせください。
武元瑞樹:
弊社では「地元篠山と共に、社会に必要とされ続ける企業となる」という目標を掲げています。私も父も篠山で生まれ育ち、この土地への愛着が非常に強いです。会社も篠山の地域性に助けられ、ここまで成長できました。この目標には、今度は私たちが地域を助け、協力しながら共に発展していきたいという思いが込められています。発展していく田舎のモデルケースになりたい。その一心で事業に取り組んでいます。
ーー今後の事業展望についてお聞かせください。
武元瑞樹:
今後の展望として、私たちは3つの大きな挑戦を計画しています。1つ目は、首都圏における事業基盤の確立です。現在は駐車場をお借りしている東京の拠点を正式な営業所へと昇格させ、人員と車両を拡充し、事業を本格化させたいと考えています。2つ目に、輸送事業を通じた地元への貢献です。将来的には、私たちの原点である篠山市と京都や三宮を結ぶ短距離の昼行便の運行を検討しています。新たな人の流れを創出し、観光誘致と地域活性化の一翼を担いたいと考えています。
そして3つ目は、事業の枠を超えた未来への投資です。父(現会長)が中心となり、まだ小規模ながら農業にも着手しています。これは地域の課題解決に貢献するだけでなく、日本の食料自給率向上へも寄与することを目指す挑戦です。
編集後記
コロナ禍という未曾有の危機、そして予期せぬ形での事業承継。数々の逆境の中、武元氏は「採用」「育成」「安全」という事業の本質的な強化によって、会社を見事に再生させた。その全ての根底には、生まれ育った丹波篠山への深い愛情と貢献意欲がある。「地元篠山と共に」という目標は、単なるスローガンではない。移住支援型採用や新規事業構想といった具体的な事業戦略の核となっている点が、同社の強さを凝縮している。地域と共に未来を切り拓く同社の挑戦から、今後も目が離せない。

武元瑞樹/高校卒業後、自動車整備工場、食品工場での勤務を経て、21歳で大型免許を取得。その後、父(現会長)が経営する会社にドライバーとして入社。2022年、株式会社サンシャインエクスプレスの代表取締役に就任。