※本ページ内の情報は2025年10月時点のものです。

神奈川県川崎市に根差し、多角的な事業で人々の生活に豊かさを提供する株式会社KOHATAホールディングス。パチンコ事業で築いた基盤を基に、業界の逆境を乗り越え、フィットネスやサウナといった人々の健康とウェルネスに貢献するビジネスへと大胆な転換を遂げた。独自のアイデアと行動力で常に新しい道を切り拓いてきた代表取締役社長の木幡義幸氏に、その飽くなき挑戦の軌跡をうかがった。

逆境で見出した活路とフィットネス事業での第二創業

ーー貴社の歴史と、社長が入社した経緯についてお聞かせください。

木幡義幸:
大学卒業後は、祖父の代から続く家業である株式会社いろはに入社しました。昭和初期の創業当初は、登戸駅前であんみつやかき氷、焼き鳥などを提供する店を営んでいました。そして昭和30年代にパチンコ店を開業しました。

父の代はバブル期であっても堅実経営を貫き、多角化に手を出すことがなかったため、安定してパチンコ事業を継続できていました。しかし、平成に入ると業界全体の規制が厳しくなり、集客のためのイベントも禁止されるなど、事業環境は大きく変化します。業界が衰退していくなかで、弊社も「パチンコ事業の継続は難しい」と判断し、撤退する決断をしました。

そんな折、知人から「日本にエニタイムフィットネスが上陸し、フランチャイズオーナーを探している」という話を聞きました。これはチャンスと捉え、2013年に1号店をオープンしたのです。当時はまだ「24時間ジムが日本で流行るわけがない」と言われていましたが、他の誰もやっていないからこそ挑戦してみようと踏み切りました。幸いパチンコ事業で得た自己資金があったため、もし失敗しても会社に迷惑をかけないという考えで、まずは挑戦してみるという気持ちでスタートしました。

社員を育てる独自の制度と地域社会への貢献意識

ーーフィットネス事業のスタート当初、どのような苦労がありましたか。

木幡義幸:
開始当初は「24時間営業は危ないのでは」という懸念からビルオーナーの理解が得られず、物件探しに非常に苦労しました。また、当時はまだ「エニタイムフィットネス」の知名度も低く、思うように会員が集まらない時期もあり、チラシやティッシュ配りといった地道な広報活動を続けました。

しかし、私たちはただ店舗を増やすことだけを考えているわけではありません。この事業は、人々の健康を支える社会貢献の一つだと捉えています。新しい店舗をオープンすれば、これまで運動する習慣がなかった地域の方々にとって、健康づくりを始めるきっかけになります。お客様が運動を通じてストレスを解消したり、より豊かな毎日を送ったりする姿を見ると、心から「やってよかった」と感じます。

ーー貴社独自の事業運営や人材育成へのこだわりについてお聞かせください。

木幡義幸:
マネージャーたちには、日頃から「一人ひとりがこの店の経営者だ」と伝えています。人件費や備品のコスト意識、日々の経営数字への理解度を常に見ています。経営者視点を持ち、自分の店として責任をもって運営できる人材が、次のステップに進んでいけると考えています。

また、社員やスタッフの意識を高めることにも力を入れています。たとえば、入会者を増やした店舗マネージャーには、インセンティブとして「増員手当」を支給する仕組みを導入しました。努力が給与に反映されなければ、働く意欲も下がってしまいます。頑張りが正当に評価される環境があるからこそ、皆が真剣に会員を増やす努力をしてくれるのだと考えています。

人生の転機となった火災と30年間の消防団活動

ーー事業家として大切にされている考え方はありますか。

木幡義幸:
「やってみないと分からない」というのが私の基本姿勢です。実行する前から不安を抱えるのではなく、まずは挑戦してみることを何よりも大切にしています。失敗も良い経験となるからです。

また、人のやらないことや、大多数とは逆の選択をすることに面白みを感じてきました。皆が同じ方向に進むからこそ、違う道を選ぶことで成功のチャンスは生まれるものです。お客様の心理や行動を読み解き、「どうすれば喜んでいただけるか」を考えることが、事業家としての私の原点です。

ーーこれまでで、人生の転機になった出来事はありますか。

木幡義幸:
1993年、パチンコ店で勤務していた時に、隣の商店街から発生した火事が店に燃え移る「もらい火」の被害に遭いました。この出来事を機に地元の消防団へ入団することになったことが、一つの転機になりました。

火事の際、消防団の方々が懸命な消火活動で店を守ってくれました。鎮火直後、その消防団から「入団しないか」と誘いを受けます。店を救ってもらった恩義から、断るという選択肢はなく、感謝の気持ちですぐに入団を決めました。

当初、数年で辞めるつもりでしたが、組織の都合でなかなか辞めることができず、予期せず昇進を重ねていきました。出世には興味がなかったのですが、気づけば30年間も続けていました。

消防団は、ビジネスの世界と同様に、実にさまざまな考えの人が集まる組織です。何か取り決めをする際、「例年通りでいい」と言う人もいれば、新しいことを提案する人もいます。私は「例年通りで本当に正しいのか?」と団長に意見して衝突することもありました。それでも、事業家として、また一人の人間として、自分の信念を貫いてきた結果が、後にいただいた「藍綬褒章」につながったと感じています。

編集後記

パチンコ事業からフィットネス事業、そしてサウナやピラティスへ。常に時代の変化を捉え、新たな価値を創造し続ける木幡氏の歩みは、圧巻の一言に尽きる。楽しそうに語られるユニークなエピソードの数々や、周囲の意見に流されず自らの信念を貫く姿勢からは、事業に対する深い愛情と情熱が伝わってきた。逆境を困難と捉えず、むしろチャンスに変える発想力と行動力は、多くの経営者やビジネスパーソンにとって大きな示唆となるだろう。同氏の飽くなき挑戦は、これからも続いていくに違いない。

木幡義幸/1965年神奈川県生まれ。早稲田大学卒業後、株式会社いろはへ入社。2006年に同社代表取締役に就任。2015年に株式会社KOHATAホールディングスを設立し、代表取締役社長CEOに就任。社外では消防団に30年属し、地元貢献に尽力したことを評価され、2023年春の藍綬褒章を受章。