※本ページ内の情報は2025年10月時点のものです。

大阪、阪神間を拠点に不動産事業を展開する株式会社NANSOビバシャス。税理士法人、他などと強固な連携により、物件が市場に出る前の“川上”から情報を得る独自の仕入れ網を誇る。BtoBの買取再販を主軸としつつ、長期保有物件による安定収益を確保し、堅実な成長を続ける。

代表取締役の南醸人氏は、幼少期の苦難をバネに26歳で独立。利益のみを追求した時代を経て、ある実業家との出会いを機に「世のため人のため」という哲学に開眼した。その培われた慧眼と、関わる全ての人との関係性を重んじる氏に、その軌跡と展望を伺った。

経営者への道を宿命づけた原体験と逆境が育んだハングリー精神

ーー会社を立ち上げた経緯を教えてください。

南醸人:
生家は150年以上続く、味噌醸造業(現:南宗味噌)本家の長男として生まれました。周りが商売人だらけの環境で育ちましたから、家に来る大人たちも「何々町の大将」といった商売人しかいませんでした。幼い頃は、大人になれば誰もがどこかの大将や社長になるものだと思っていました。

しかし、父の事業失敗により生活は一変。一家離散、いわゆる夜逃げを経験し、親元を離れて天理教の分教会という施設で過ごしていました。その過酷な日々の中で悔しい思いや、悲しい思いを経験し、「将来は社長になって、お金持ちになるんだ。」というハングリー精神が生まれました。

ーー施設生活は何歳頃の出来事でしたか。

南醸人:
13歳から15歳になるまででした。当時の失望感が強烈だった分、社会に出てからは何事も前向きに捉えることができました。ある意味、どんな景色を見ても“春色に見える”ような感覚で、いかなる困難も乗り越えられるという自信の源泉になっています。

ーーその後、どのような経緯から社長になられましたか。

南醸人:
世間で自身がどのくらい通用するのか試してみたい!自己実現を達成したい!という思いが強く、まずは経済のプロが集まる、当時船場にあった小さな仕手戦の証券会社に飛び込みました。おかげさまで、入社から2年連続で新人トップとして表彰いただくなど、確かな手応えは感じていました。

しかし、私の最終目標はあくまで「独立して自分の事業を興すこと」。このまま営業で証券業界にいても、その夢は叶えられないと焦り、より事業のダイナミズムを感じられる不動産業界への転身を決意したのです。証券という、形の無いものから、土地、建物という、形の有るものを扱えることの喜び。そこに未来にわたり収益を生み出していく土地のポテンシャルに新たな価値を生み出していく、不動産の醍醐味と面白さに可能性を感じましたね。1995年に前身となるナンソ不動産販売(現:NANSOビバシャス)を立ち上げた、というわけです。

ーー独立後のターニングポイントについてお聞かせください。

南醸人:
創業から10年が経ったとき、自身の会社経営を継続しながら、ある年配の実業家に弟子入りしたことが私の人生最大の転機です。ちょうどその時期、ITバブルの崩壊で周囲の経営者が次々と倒れていく様を目の当たりにし、同じような考え方だった自らのやり方に強烈な違和感を覚え始めていたのです。折しも出会ったその実業家は初見で「世のため人のためになる仕事をしろ」と教えてくれたのです。

ーーその教えは、南社長の経営哲学をどのように変えたのでしょうか。

南醸人:
それまでの私は、恥ずかしながら自分の才覚だけを頼りに、いかにして儲けるかしか頭にありませんでした。そこには何の軸もない、ただの利益追求があっただけです。しかし師は、そんな私に「お天道様は見てござる。正道しかない。自分への欲望もさることながら、そこから一端離れて、世の中の人のために役立つ仕事をし、周りを幸せにすることだ。」と、その真髄を説いてくださいました。自分のためではなく、関わる人々を幸せにすることこそが事業の本来の姿なのだと。5年目にしてようやく理解できたのです。師のもとで過ごした間は、まさしく修行でした。この期間があったからこそ今の私があり、考え方が180度変わったと言っても過言ではありません。本当の意味での経営者人生のスタートとなりました。

ーーその哲学を実践する上で今最も大切にされている信条は何でしょうか。

南醸人:
“誠実”という言葉です。そして“誠のみを語り、真実のみを実行する”ということです。言葉の段階から嘘をつかず、真実を実行し続けるのは、潔く、太い信念がなければなりません。人は誰しも、ついごまかしたくなる瞬間がありますが、それを意識するのとしないのとでは、天と地ほどの差が生まれます。その精神を養うため、私は日々瞑想などをして、自らの潜在意識を常に清浄に保つ訓練をしています。

情報には種別が存在し、どこからの発信かが生命線 経験と人脈で拓く未来への展望

ーー改めて貴社の競争力の源泉はどこにあるとお考えですか。

南醸人:
設立より30年という歳月で培ってきた経験と人脈と財務理解です。若い頃に出会った方々が、今では企業の部長など責任ある立場になられており、数十年前と比べて明らかに仕事の展開がスムーズになり、成約率が格段に上がりました。もう1つは、物件を見れば「この先どうなるか」がある程度予測できるようになったこと。あと財務の理解に伴い、販管費をフローだけで賄うことにより、体競争入札の際、高値掴みになる前に潔く引く“引き際”を判断できる。無理に突っ込まずに引く慎重さも、長年の経験と財務理解から身につけた重要なスキルだと考えています。

ーー今後の事業目標についてお聞かせください。

南醸人:
具体的な数字目標として、2028年に売上120億円、そして2035年には400億円を目指しています。高い旗を掲げることで、克己心がうまれ、視野も広がり世間を広く生きることができます。幸い、20年来の付き合いになる社員たちが、このビジョンに一丸となってついてきてくれています。

ーーそのビジョンを共に実現していく仲間にはどのような人材を求めていますか。

南醸人:
会社の成長に合わせ、新たな仲間を迎え入れたいと考えています。正直なところ、採用や教育の体制はまだこれから整えていく段階ですが、この記事が、私たちの考えに共感してくれる方との出会いのきっかけになれば、これほど嬉しいことはありません。不動産業界は成果報酬の比重が高いですが、何よりも人柄が良く、向上心のある方と共に成長していきたい。

ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。

南醸人:
数字は追い続けます。ですがそれは高い目標を通じて出会う方々と、いかにして良き影響をお互いに与え合えるか?ここに重点を置いています。

また困難や壁があっても常に前向きな前傾姿勢で仕事に臨みたい。そして関わるほど周りの方々から「あなた方と仕事ができて良かった。」と思っていただける会社、人間になること。それが、会社の目標であり、理念です。

編集後記

理不尽な幼少期、多感な時期をバネに26歳で起業し、利益だけを追い求めた時代。そこから師との出会いを経て“世のため人のため”という哲学に辿り着いた南氏の言葉には、経験に裏打ちされた重みと誠実さが満ちていた。有益な情報を掴む独自のビジネスモデルと、それを支える「人」との繋がり。400億円という壮大な目標も、関わる全ての人との良い関係性を追求する同氏の姿勢があればこそ、現実的な道筋として見えてくる。今後の更なる飛躍に注目したい。

南醸人/1970年、大阪府堺市生まれ。大学を中退後、証券会社に入社し、2年連続で新人トップの成績を収める。不動産会社への転職を経て、1995年に前身となるナンソ不動産販売株式会社を設立。創業10年目に師事した実業家の下で5年間学び、現在の経営哲学の礎を築く。2018年、社名を「株式会社NANSOビバシャス」へ変更し現在に至る。