
大阪を拠点に、「ぶっち切り寿司 魚心」「黒毛和牛とホルモン 焼肉でっせ」などの飲食店を57年にわたり展開するあじびるグループ。同社は飲食事業に留まらず、訪日外国人観光客向けの旅行事業も手掛けるユニークな企業である。建築業界での経験を経て家業に戻った、2代目社長の本岡玲二氏。東京進出の失敗やコロナ禍での売上ゼロといった、幾多の苦難を乗り越えてきた。
飲食と旅行。二足のわらじで培った知見を武器に、「人が困っていることを解決する」と、訪日客の不便を解消する新たなプラットフォーム事業で未来を切り拓く。その不屈の挑戦に迫った。
相次ぐ失敗を乗り越えた2代目社長の原点
ーーこれまでのご経歴についてお聞かせいただけますか。
本岡玲二:
大学卒業後は、インテリアの施工を手がける総合建設会社(ゼネコン)へ就職しました。祖父が名の知れた大工、父親が一級建築士という職人の家系に育ち、その影響からかもともとものづくりが大好きでした。建物や建築に興味があったため、家業とは関係なく、自分自身もサラリーマンとしてゼネコンに入社しました。当時は家業を継ぐという意識は全くありませんでした。
7年ほどサラリーマンとして働いた頃、ある出来事がきっかけで家業に戻ることになります。勤めていたゼネコンが、実家であるあじびるグループの工事を受注しましたが、その工事は大失敗に終わってしまいました。これにより会社間の保証問題にまで発展しました。私はその工事の担当ではなかったものの交渉の場に同席することになり、実家(発注主)と会社(受注主)との間で板挟みになるという辛い状況に陥りました。
それを見かねた当時の上司から、「人質のような状態になっているのなら、これを機に会社を辞めるのも一つの選択肢だ」と助言されます。そして、この言葉をきっかけに退職を決意。以前から「戻ってこい」と言われていたこともあり、このタイミングで家業に戻りました。
家業に戻ってからは、平坦な道のりではありません。先代と意見がぶつかることも多く、結果を焦るあまり空回りする日々が続きました。2代目として何か結果を残したいという思いから、いくつかの新規事業に挑戦。味付きのフレーバーポップコーンを提供するファーストフード事業を立ち上げたり、観光地や海水浴場など、様々な場所へデリバリーして販売する形態も試みました。しかし、立て続けに失敗してしまいました。
東京からの全面撤退と次なる事業への転機
ーー東京進出は、どのような形で進められたのですか。
本岡玲二:
家業に戻って3年ほど店長を経験した後、新規の店舗ブランドを立ち上げました。このブランドが関西で大きな集客に成功したことから、メディアの注目を集めようと、2000年頃、33歳の時に東京への進出を決意しました。
このとき、東京で一気に12店舗ほどをオープンさせる、大規模な店舗展開を行いました。しかし、大阪で受け入れられた「安くて、うまくて、ボリューム満点」という、私たちが信じる価値が東京では全く通用しませんでした。さらに、東京で寿司職人を確保することの難しさや、関西からの出向による経費の増大、そして2008年のリーマンショックが追い打ちとなり、進出から約8年で東京からの全面撤退を余儀なくされます。
ーーその後、どのようなことに取り組まれましたか。
本岡玲二:
先の東京での失敗が、結果として次の事業への大きな転機となりました。撤退前に営業していた歌舞伎町の大型店には、活用しきれていない宴会場がありました。私はその近くにある新宿の免税店に多くの外国人観光客が集まる様子に着目。「この宴会場を彼らの食事場所として使えないか」と考え、免税店の社長へ何度も直談判を重ねます。その熱意が伝わり、ついに社長から大手旅行会社を紹介されるに至りました。これが、飲食店の宴会場に外国人団体観光客を受け入れるという、同社のインバウンド事業の原点となったのです。
当初は日本の旅行会社経由でしたが、より良いサービスを提供するため海外の旅行会社へ直接営業を開始。飲食店からの直接営業は、安全な店を探す海外旅行会社のニーズと合致していたようで、需要が拡大していきました。
その後、インバウンド専用グルメサイト「TabePark」を開設するに至ります。このサイトは国内外旅行社との提携を実現させた、日本初の旅行グルメ情報サイトです。法人向けに展開しており、ご飲食店様はもちろん観光施設様、企業様等へ国内外観光客の誘致・PRのサービスを提供しています。

未曾有の危機を乗り越えるための新たな一手
ーーこれまでにどんな困難がありましたか。
本岡玲二:
コロナ禍は壊滅的な状況でした。2020年1月末に帰国すると、会社はキャンセルのFAXで埋まっていました。弊社は外国人観光客に特化していたため、国内向けの支援策の恩恵も全く受けられず、3年間、売上は完全にゼロになりました。
しかし、落ち込んでいるわけにはいきません。「コロナはいつか明ける。その時に備えよう」と決め、個人旅行客向けのデジタルパスの開発に注力。かつて大阪観光局が手掛けた「大阪周遊パス」を参考に、独自のデジタルパス「Have Fun in Kansai Pass」を立ち上げました。
「Have Fun in Kansai Pass」とは、3,000円で関西エリアの3つの施設や体験が利用できるサービスです。特徴は、3回のうち1回を1,000円のミールクーポンとして使える点で、利用者の37%が食事に活用しています。この仕組みを全国に広げていきたいと考えています。
SNS時代の飲食事業とグローバル人材の活用

ーー飲食事業の特徴や強みについてお聞かせください。
本岡玲二:
現在は寿司、焼肉、居酒屋を3本柱としています。創業以来の「安くて、うまくて、ボリューム満点」というこだわりがSNSで評価され、インバウンド人気が再燃しています。食材の一括仕入れやセントラルキッチン化による合理化も強みです。
ーー人材面では、どのような取り組みをされていますか。
本岡玲二:
ネパールやミャンマーなどから「特定技能」の在留資格をもつ外国人を積極的に採用し、今では外国人社員が40名ほど在籍しています。社内研修制度「あじびる大学」では寿司の握り方から体系的に指導しており、彼らが母国で弊社の魅力を伝えてくれるおかげで、人材獲得の好循環が生まれています。
訪日客の課題を解決する未来の新規事業構想

ーー今後の新規事業について、構想をお聞かせいただけますか。
本岡玲二:
個人旅行客が抱える「飲食店の予約ができない」「荷物を預ける場所がない」といった課題を解決するため、現地でサービスを提供する旅行形態(着地型ビジネス)に注力します。道頓堀の自社ビルにラウンジ機能を持つ共同のツアーデスクを設け、訪日客の不便をワンストップで解消する計画です。
もう一つ、在日外国人の従業員を支援する教育・コミュニティプラットフォーム「たべ飯クラブ」も構想しています。日本のビジネスマナーなどを学べる機会を提供し、彼らの日本での生活をサポートすることで、就業定着率の向上を目指します。
大阪の食を世界へ導く100年企業への布石
ーー最後に、会社の今後のビジョンについてお聞かせください。
本岡玲二:
人口が減少する日本で事業を成長させるには、訪日客からの外貨獲得が不可欠です。そのためのビジネスプランを誰よりも早く構築・実行することが重要だと考えています。事業承継や人材育成については、会社を100周年までつなげることが私の役目です。そのためには、国籍を問わず、未来の経営幹部となる人材の育成が急務です。将来的には、専門分野で力をつけた人材が独立会社の社長としてグループを率いる。そのような体制をつくりたいと考えています。
ーー事業を通して、最終的に実現したいことは何でしょうか。
本岡玲二:
より多くの人に「大阪の食が世界一だ」と知ってもらうことです。大阪の飲食業界は横のつながりが強い特別なコミュニティです。私も業界の一員として若手の育成に貢献し、大阪の食文化全体の価値を高めていきたいです。
編集後記
建築業界から飲食業界へ。そして、東京進出の失敗を糧にインバウンド旅行事業を立ち上げ、コロナ禍の売上ゼロから再起する。本岡氏のキャリアは、挑戦と再起の連続である。その根底には、「人が困っていることは何か」を探し、解決策を提供するという一貫した考え方が存在する。飲食と旅行という二足のわらじで培った強みを活かし、訪日客や在日外国人のニーズに応えるサービスを構想する姿は、事業家の本質を体現している。「『大阪の食が世界一だ』と知ってもらいたい」。そう語る情熱が、あじびるグループを100年企業へと導くだろう。

本岡玲二/1967年、兵庫県宝塚市生まれ。大学卒業後、インテリアデザイン施工のゼネコンに入社。1997年、家業であるあじびるグループに入社し、飲食店の店長などを経験。2000年、33歳で同社の代表取締役社長に就任。2008年頃からインバウンド事業を本格化。現在は、飲食事業とインバウンド事業の双方で、コロナ禍を経た新たな成長戦略を描き、日本の観光産業の発展に尽力している。