※本ページ内の情報は2025年11月時点のものです。

北海道を拠点に、広告代理業とふるさと納税支援事業を展開し、顧客の事業課題に深く向き合う株式会社インサイト。同社を率いるのは、代表取締役社長の浅井亮介氏だ。大手広告会社で10年の経験を積み、事業を承継した。同氏が入社当初に抱いた「伸びしろしかない」という課題感。そこから組織改革を断行し、挑戦を歓迎する企業文化をいかに築き上げたのか。2026年卒からの新卒採用も本格化させ、同社は新たな成長フェーズへと向かう。その情熱的な取り組みと、北海道の未来にかける思いに迫った。

後継者意識ゼロからの再出発 現場での信頼獲得が拓いた経営への道

ーー貴社へ入社された経緯をお聞かせください。

浅井亮介:
祖父が弊社を創業しましたが、私には後を継ぐ意識はなく、東京の大学へ進学しました。就職活動の際、父から直接「戻ってこい」と言われたことはありません。むしろ「大手の最前線で経験を積んだ方がいい」と応援してくれていました。漠然と広告業界に惹かれて、大学卒業後は広告会社に就職した形です。結果的に、さまざまなお客様と接する広告の仕事は私に合っていました。

20代の頃にがむしゃらに働き、厳しい環境の中で培った経験。それは東京時代だけでなく、その後のあらゆる仕事に影響を与え続ける、私にとってかけがえのない財産となりました。北海道に戻り、役職もなく経営の知識もない状態から再出発したときも、その経験が背中を押し、営業で成果を収めて社内の信頼を得る第一歩につながったのです。

「伸びしろしかない」という課題から始まった組織の大改革

ーー貴社入社当時、会社の状況をどのようにご覧になっていましたか。

浅井亮介:
正直なところ、「伸びしろしかないな」という感覚でした。

まず、北海道の広告業界には、テレビCMなどの広告枠を販売する「枠売り」の文化が根強く残っていました。一方、東京では顧客の事業課題を解決する「マーケティングパートナー」としての姿勢が主流です。顧客の事業課題に真摯に向き合い続けることで、自然と他社との差別化が生まれると考えました。

そこで、弊社が独自に保有するマーケティングリサーチシステム「インサーチ」をフル活用し、生活者の意識を継続的に調査。そこから導き出したデータをもとに、課題解決のためのマーケティング戦略や企画を提案してきました。こうした取り組みの結果、これまで担当してこなかった新たな業界からの依頼も増えて、この地、北海道でも十分に戦えるという確信に近い感覚を持つようになりました。

また、基本的なビジネススキルにも改善の余地がありました。会議への事前準備の姿勢や仕事の優先順位の付け方。これらを徹底するだけで、会社は良くなると考えたのです。加えて、物理的な環境整備も課題でした。前職では当たり前だったオンライン会議やペーパーレスの仕組みが社内には整っておらず、整備するだけで業務効率やパフォーマンスを飛躍的に伸ばせる余地があると感じていました。

ーー社内制度の改革にはどのように取り組んでこられたのでしょうか。

浅井亮介:
社内にとどまらず、北海道全体の課題にも目を向けていました。その象徴が、人材流出です。特にマーケティング関連の仕事では、「北海道に住みたい」「北海道に残りたい」と願いながらも、やりがいのある仕事が見つからず、やむなく東京へ流れてしまう人が少なくありませんでした。ならば、私たちがその受け皿になればいい。北海道に根ざしながら専門性を発揮できる環境を整え、「この会社があるから残れる」「この会社があるなら移住したい」と思ってもらえる存在になろうと決意しました。

その実現に必要だったのは、やりがいの創出だけではなく、報酬や働く環境といった本質的な課題への改革でした。営業戦略の見直しや評価制度の刷新、研修制度の導入に加え、介護事業や地域商社を売却して収益基盤の強化も進めました。特に大きな取り組みが人事評価制度の再構築です。以前は基準が不明確で、努力しても報酬が上がらない状況でした。そこで、成果とプロセスがきちんと評価される仕組みを整え、社員が納得感を持って挑戦できる文化の構築を目指したのです。

ーー新しい評価制度では、どのような点を重視されているのですか。

浅井亮介:
私たちが大切にしているのは、「Challenge」と「Think out(深く考え抜いて心を動かす)」を実践できているかどうかです。目標に対してどんな挑戦をしたのか、自ら考えて行動したのかを重視し、年功序列ではなく挑戦する姿勢を正当に評価します。結果が失敗に終わっても、挑戦したこと自体を価値として認める。そんな文化を広げることで、社員一人ひとりが挑戦を恐れず、新しい可能性を切り拓ける会社を目指しています。

「チャレンジ精神」と「人」が事業成長の原動力

ーー改めて、貴社の事業についておうかがいできますか。

浅井亮介:
弊社には、2つの大きな柱があります。

1つ目は「広告事業」です。顧客の課題解決のために、あらゆる選択肢の中から最適な提案を行い、事業の成長に貢献しています。関わるすべての方々の事業が伸びれば、その先に北海道全体の活性化があると考え、日々取り組んでいます。

2つ目は「地方創生事業(ふるさと納税事業)」です。担当する自治体の寄付額を伸ばすことはもちろん、集まった寄付をどのように地域の活性化につなげるかという視点から、新たな産業の創出やシティブランディングの領域にも踏み込んでいます。

これら2つの事業をさらに成長させながら、弊社の強みである「生活者意識をとらえたマーケットイン発想」を軸に、新たな事業の可能性を積極的に模索していきます。小さな挑戦を積み重ね、変化し続ける組織でありたいと考えています。

ーー貴社の事業における強みは何だとお考えですか。

浅井亮介:
弊社の強みは大きく2つあります。1つ目は、会社のフィロソフィーにも掲げている「チャレンジする文化」です。これは単なるスローガンではなく、会社の歴史そのものです。1975年のデザイン制作会社として創業して以来、広告代理業への転換、北海道で先駆けたデジタル部門の内製化、そして近年の「ふるさと納税支援事業」の立ち上げや、東京オフィスの開設など、常に時代の変化を先取りし、自ら挑戦してきました。その姿勢こそが、私たちのDNAです。

2つ目は、「人を大切にする思い」です。お客様、協力会社、社員、共に働く仲間を“発注者と受注者”という関係ではなく、同じチームとして捉え、共に課題解決に挑んでいます。ふるさと納税支援事業も、寄付額を伸ばすこと自体がゴールではなく、地域全体を元気にするという大きな目的のために取り組んでいます。関わるすべての人との「距離感」を大切にしながら、一緒に価値を生み出すこと。それが、弊社のもう一つの強みです。

目指すは北海道No.1の信頼 顧客の「勝負の時」に選ばれるパートナーへの道

ーー今後のビジョンについてお聞かせください。

浅井亮介:
私たちが目指すのは「北海道No.1のマーケティングパートナー」です。大切なのは規模ではなく、信頼です。お客様が「本当に困ったとき」「大きな挑戦に臨むとき」に、最初に私たちを思い浮かべてもらえる存在になること。そのために、挑戦を恐れず、お客様と同じ熱量で課題に向き合い、期待を超える価値を生み出し続けます。その積み重ねこそが、北海道で最も信頼されるパートナーへの道だと考えています。

ーー今後、どのような人材を求めていらっしゃいますか。

浅井亮介:
私たちが求めているのは、弊社のビジョンに共感し、挑戦を楽しめる仲間です。広告業界での営業やクリエイティブ職の経験者、EC領域や特にふるさと納税関連のマーケティング実務経験を持つ方には、即戦力として力を発揮できるフィールドを用意しています。ただ安定を望むのではなく、変化をチャンスと捉え、自分の成長につなげていける方。そんな前向きな挑戦心を持った方と、一緒に未来を切り拓いていきたいと考えています。

ーー最後に、読者の方々へメッセージをお願いします。

浅井亮介:
弊社は今、第二創業期ともいえる大きな転換点を迎えています。2026年卒からは新卒採用を本格化し、多様なキャリアを持つ人材とポテンシャルあふれる若い世代が融合することで、新しい文化と価値を生み出していきます。挑戦を恐れず、その姿勢が正しく評価される環境で、会社の成長を自らの成長と重ね合わせながら、一緒に北海道の未来を切り拓いていきましょう。皆さんと直接お会いできる日を楽しみにしています。

編集後記

大手での経験を糧に、故郷の企業を変革する。浅井氏の挑戦は、まさに有言実行そのものである。印象的だったのは、失敗を恐れずに挑戦を奨励する姿勢と、関わるすべての人を大切にする温かさ。その両立が、同社の類まれな企業風土をつくり出している。成長を求める人材にとって、同社は最高の環境といえるだろう。北海道という地で新たなキャリアを切り拓きたいと願うならば、同社への参画は大きな意味を持つに違いない。

浅井亮介/1987年北海道札幌市生まれ。青山学院大学卒業後、株式会社アサツーディ・ケイ(現・株式会社ADKホールディングス)に入社。その後、2015年より株式会社博報堂にてマーケティング業務に従事。約10年間にわたり広告業界で経験を積む。2021年に株式会社インサイトに入社し、2024年、同社代表取締役社長に就任。