
20〜35歳向けのレディースアパレルを主軸に、企画から販売までを手がける株式会社ディープサンクス。ODM(※)による企画力とスピードを強みとし、近年はZOZOでのネット販売も大きく伸長させている。代表取締役の重延賢治氏は、アパレル業界で多彩な経験を積んだ後、39歳で独立。順調な成長のさなかに直面した6億円の損失という危機を、「ガラス張りの経営」によって乗り越えた。その波乱万丈な歩みと経営哲学について話を聞いた。
(※)ODM:「Original Design Manufacturing」の略で、他社ブランドの製品を、設計・デザインから製造まで一貫して請け負うビジネスモデルのこと。
アパレル業界への道と起業の原点
ーーまずは、キャリアの原点をお聞かせください。
重延賢治:
父が果たせなかった「自分で商売をする」という夢を、自分が実現しようと決意したことにあります。父は鹿児島から商売をするために大阪へ出てきたのですが、リアカーで魚を売り歩いても、なかなか上手くいきませんでした。
その父が商売を諦めて、溶接工場で働く姿を小学生のときに見て、こんな思いをして育ててくれているんだと愕然としました。父ができなかった商売を自分がやろうと、その時から思っていたのでしょう。夜間に大学へ通っていましたが、やりたいことが見つかった時点で、学校を辞めて働こうと決めていました。
ーーその後は、どのような経験を積まれたのでしょうか。
重延賢治:
服屋になりたいという思いからアパレルの企業に入り、そこでは大阪支店の立ち上げなども経験しました。ステップアップのために何度か転職を繰り返すうちに、得意先や工場の縁が増え、結果的にはそれが私の強みになりました。企画とものづくり、営業を得意とし、売上の請負人のようなイメージで働いていました。
ーー起業を決意されたのは、どのようなきっかけがあったのですか。
重延賢治:
39歳のときに起業したのですが、当初は全く計画していたわけではありませんでした。再び会社を辞めようとしたときに、長年付き合いのあった取引先の専務から「お前いくつや思ってんの。もう40手前やで」と言われました。さらにその翌日、その方が1000万円の小切手を持ってきて「この金で独立してやれ」と言ってくださったのがきっかけです。
そういった経緯があり、いただいた資金を元にして会社を設立しました。売上も順調で、1年目で約4億円、2年目で7億円、3年目で9億円、4年目で13億円ほどまで達しました。当時は企画力で負けない自信があり、リスクを取って、ODMで企画段階でどんどん物をつくり、在庫を持ちながら販売するやり方をとっていたのです。その時売れるものを見極めて、スピード感を持って届けることができました。
6億円の損失と「ガラス張り経営」への転換
ーー独立後に経験した、特に印象に残っているエピソードはありますか。
重延賢治:
創業9年目の時に、社内で横領事件が起こりました。経理部長を副社長に任命したのですが、1億円ほど横領されてしまったのです。さらに同じ時期、為替のスワップ取引で急激な円高に振れた影響が直撃。これにより多額の為替差損が発生し、取引を解約した時点で5億円の損失が出ました。横領の分と合わせて6億円の借金ができ、この時点で会社存続の危機を感じました。
ーーそこからどのような行動に移ったのでしょうか。
重延賢治:
周りからは「会社をイチからやり直したらどうか」と散々言われましたが、逃げることはできませんでした。父がやりたかった商売を自分がやっているのに、ここで失敗したら親不孝だと思ったからです。どこまで続くか分からないけれど、やり続けようと固く決意し、稲盛和夫さんの「盛和塾」に入って経営を学ぶことにしました。
そこで学んだのは、「ガラス張りで経営する」という考え方です。従業員と共に、会社に隠し事をなくす。その考えをもとに、現状の一番しんどい状況をみんなに見てもらうべく、真っ赤な会社の成績をすべて公表しました。蓄えもない状態の中で借金を返さなければならず、ボーナスも出せない。そんな会社についてきてくれるかどうか決めてほしいと社員に伝えたところ、結果として中心メンバーはみんな残ってくれたのです。
ピンチをチャンスに変えたZOZO参入
ーーその後の事業展開について教えてください。
重延賢治:
2019年にファッション通販サイト「ZOZO」での販売を開始しましたが、この決断が後に大きな転機となります。コロナ禍によってリアル店舗が機能しなくなった際、もしこの取り組みがなければ、弊社も厳しい状況に陥っていたと思います。しかし、弊社はZOZOという販売チャネルを持っていたことで危機を乗り越え、結果として過去最高の利益を達成しました。
また、「ZOZO」でのネット販売は、利益面以外でも大きな学びをもたらしました。卸売だけでは掴めなかった「相場感」が分かるようになったのです。撮影などの見せ方も社内の若い子たちが中心となって工夫し、お客さまが喜んで買ってくださる適正価格をつける「値決め経営」も実践できるようになりました。
このように、ピンチがチャンスに変わった経験は一度だけではありません。問題がある時は良いことの予兆だと捉えていますし、逆に良い時こそ人格や行いが問われるため、一番試されているのだと考えています。
ーー現在の事業内容や強みを教えていただけますか。
重延賢治:
主に、20〜35歳までの女性をターゲットにしたアパレルを扱っています。現在、卸売りのブランドが4つ、「ZOZO」のブランドが3つあります。強みとしては、平均年齢32歳ほどの若い社員たちに積極的にチャンスを与え、彼らが中心となって若い感性でものづくりをしている点です。一般的なアパレル企業では年次の高い社員が企画を主導することも多い中で、弊社の商品は新鮮にお客様に映っていると思います。
ーー社名にはどのような思いが込められているのでしょうか。
重延賢治:
「ディープサンクス」という社名は、創業時に1000万円を出してくださった恩人や、商売を始めてすぐに取引してくださった工場など、お世話になった方々への感謝を忘れてはいけないという思いで名付けました。かつて、中国の工場が商社も通さず、90日後の支払いで商品をつくってくれたこともあります。そういう方々への深い感謝が会社の原点です。
100年続く企業を目指す未来への投資

ーー今後のビジョンについてお聞かせください。
重延賢治:
まずは従業員を100人にして仲間を増やし、その先は売上100億円企業、そして最終的には100年続く会社にすることが目的です。今後はアパレルだけにとどまらず、さまざまなことに挑戦していきます。
その実現のため、社員幹部の育成として「ネクストリーダー講習会」を行っています。具体的には、次世代のリーダー候補となる若手を集め、異業種の優れた会社を訪問して話を聞いたり、その会社とコラボした新事業をシミュレーションしたりといった内容です。
また、事業領域も広げていかなければならないでしょう。現在は20〜35歳の女性向けのものが中心ですが、今後はメンズや40〜50代向けにも枠を広げたいと考えています。さらには、M&Aも視野に入れ、弊社のノウハウでV字回復をお手伝いするような取り組みも検討中です。将来的には、海外展開も絶対に実現したいです。
編集後記
アパレルの世界で培った企画力と人脈を武器に独立し、急成長を遂げた重延氏。だが、その成功は順風満帆ではなかった。6億円もの損失という絶望的な危機に直面した時、彼を支えたのは、父への思いと、盛和塾で学んだ「ガラス張り経営」という哲学だった。危機を公開し、仲間と共に乗り越えた経験は、会社をより強くした。「ディープサンクス」という社名に込めた恩人たちへの深い感謝を胸に、100年企業を目指す挑戦はこれからも続く。

重延賢治/1962年大阪府生まれ。近畿大学を中退後、アパレル会社に入社し、大阪支店を任され支店長として勤務。2002年、39歳で株式会社ディープサンクスを創業し、代表取締役に就任。現在は、ファッション通販サイト「ZOZO」にて「LIAN informé」「hellam」「Mili affinity」の3ブランドを展開中。2018年より関西ファッション連合理事。実践経営者道場大和元世話人、大阪商工会議所1号議員なども務める。