※本ページ内の情報は2025年11月時点のものです。

紙の専門商社として長い歴史を誇りながら、今、大きな変革の渦中にあるKPPグループホールディングス株式会社。デジタル化の進展により紙を取り巻く環境が構造的に変化する中、同社はグローバルなM&Aを活用し、パッケージングやビジュアルコミュニケーション、リサイクル事業へと領域を拡大している。その舵取りを託されたのが、代表取締役社長 兼 CEOの坂田保之氏だ。銀行、メーカーで培った豊富な国際経験とM&A(企業の買収・合併)後の事業統合を成功させてきた手腕を生かし、いかにして未来への成長軌道を描くのか。これまでの歩みと展望を尋ねた。

恩師の言葉が導いた国際金融への道

ーーこれまでのご経歴についてお聞かせください。

坂田保之:
大学は横浜国立大学の経営学部に進みました。当時まだ新しかった「経営学」という響きがとても新鮮に聞こえたからです。アメリカの最先端の学問を学ぶ雰囲気に魅力を感じ、入学を決意しました。特に、アメリカの最先端の経営学を教えている先生のゼミに惹かれ、「この先生のもとで学びたい」と強く思いました。私がゼミに入ったのは、先生がMIT(マサチューセッツ工科大学)から戻られた直後で、学部全体としても組織論やサイバネティックス(※1)などを学ぶ環境があり、「この学部を選んで間違いなかった」と確信したことを覚えています。

ゼミの先生は、「就職は他人が決めることではなく、自分の人生なのだから、まずは自身でよく考えなさい」というスタンスを大切にされて、学生の自主性を尊重する方でした。そのうえで、私が就職先について相談した際、先生から「これからの若い人は国際的な仕事をやった方がいい」という具体的な助言をもらいました。

このアドバイスをきっかけに国際的な仕事に就きたいという思いが固まり、外国為替や貿易金融に強みを持つ東京銀行(現・三菱UFJ銀行)への入行を決めました。

(※1)サイバネティックス:生物や機械の通信工学と制御工学が融合した理論をテーマに研究する総合的な科学の総称。

ーー入行後はどのような経験をされましたか。

坂田保之:
東京銀行は、戦前は「横浜正金銀行」という名前で、明治時代に国の貿易を支えるために作られた歴史があり、外国為替や貿易金融では圧倒的な強みを持つ銀行でした。

為替のディーリングルーム(※2)で最先端の金融商品を取引したこともありますし、キャリアの後半では、インドネシアの炭鉱開発やインドの大規模プロジェクトなど、途上国へ融資を実行する仕事も手掛けていました。

また、希望通り海外での勤務も多く経験し、4回にわたり通算14年ほど海外拠点に赴任しました。若い頃から海外で現地の人々と直接渡り合い、ビジネスの本質を見抜く経験を積めたのは大きな財産です。単に「貸したお金が返ってくるか」だけでなく、「その国の経済発展に貢献できる事業か」という視点も、この頃に身についたと思っています。

(※2)ディーリングルーム:外国為替・債券などを取引する部屋。

金融から製造業へ 養われたミクロとマクロの複眼

ーーその後、日本電産(現・ニデック)へ転職されたとのことですが、経緯をお聞かせください。

坂田保之:
銀行には、一定の年齢を迎えると新たなキャリアに挑戦するという文化があります。私自身もそのタイミングでこれまでの経験を活かしつつ、新しい環境で成長したいと考え、日本電産株式会社(現・ニデック株式会社)へ転職しました。ここでは、銀行にいた頃とは全く違う貴重な経験ができました。一番大きかったのは、製造業の内側を深く見られたことです。これまでは銀行という外側からメーカーにお金を貸す立場でしたが、初めてその中に入ったわけです。

日本電産は積極的なM&A(企業の買収)で成長してきた会社で、私の主な役割は、買収後のPMI(統合プロセス)でした。たとえば、携帯電話に入っている非常に小さな振動モーターを作る会社に出向したことがあります。その会社の中国・深圳の工場を閉鎖して別の拠点へ統合したり、インドネシアのバタム島にある工場を閉めたりと、海外拠点のリストラクチャリング(再建)を1年半ほどかけて行いました。

最後は経営企画部に移りました。当時はちょうど電気自動車(EV)がこれから成長していくという時期で、滋賀にあった開発拠点で、EVを含めた車載用モーターを開発する部署の企画業務を担当していました。

銀行時代に培った海外での経験が、買収先の海外事業の再建に活きましたし、ここで得た経験が今の仕事にも繋がっています。非常に濃い6年間でした。

海外M&Aの最前線で見出した成長の活路

ーー貴社に入社した経緯を教えてください。

坂田保之:
日本電産で6年近く働き、「そろそろ次のことを考えてもいいかな」と、ぼんやりと思っていました。そのタイミングで、「海外展開を加速させようとしている会社がある」と紹介されたのがきっかけです。

入社してすぐ、銀行やメーカーのような堅い部分がなく、自由な発想で変化していける、居心地がよい会社だと感じました。外部から中途入社した身でも「言いたいことが言える」風通しの良さがあり、それが良いイメージに繋がりました。また、国内で何度も合併を繰り返してきた歴史があるにもかかわらず、社員が「誰がどの会社の出身か」をほとんど意識していないことに驚きました。出身母体を問わずフラットに評価してくれる文化があり、素晴らしい会社だなと感じました。

ーー社長就任の打診を受けた際の心境はいかがでしたか。

坂田保之:
社長に推薦された時、「大変だな」というのが率直な気持ちでした。M&Aで会社の業容が大きく変わりましたが、紙の消費量が落ちこんでいる中、「休んでいる暇もなく、すぐに次の手を打たなければ」という危機感がありました。

特に、買収した海外2社の状況、とりわけヨーロッパの会社のことを本社内で一番よく知っているのは自分だという自負がありました。日本、オーストラリア、フランス。各社の強みを最大限に活かしながら、グループ全体としてのシナジーをさらに創出することで、中長期的な成長と発展を実現し、次のステージへ引き上げていく。それは、他の誰でもなく自分がやらなければいけないことだろう、と。

そのためには、3社間での情報交換はもちろん、営業のやり方や扱っている製品も揃えていく必要があります。そういったことを、ものすごいスピードで進めていかなくてはならない。大変だけれども、休まずすぐにやらなければ。社長就任にあたっては、そう覚悟を決めました。

祖業から新領域へ 事業ポートフォリオの大転換

ーー貴社の事業内容についてお聞かせください。

坂田保之:
弊社のルーツは、「紙の専門商社」です。製紙会社から紙を仕入れて、新聞や雑誌、広告といった印刷物に使われる紙を販売する「グラフィック用紙事業」が元々のビジネスでした。ですが、デジタル化の影響で、残念ながらこうした紙の需要は年々減少しています。そこで今、事業ポートフォリオを大きく変えようと、多角化を進めています。

現在新たな事業として、4つの事業を積極的に展開しています。一つ目は、商品を衝撃から守る包装材や緩衝材などを扱う「パッケージング事業」。二つ目は、看板やラッピング広告、室内の装飾といった、視覚に訴えるメディアを扱う「ビジュアルコミュニケーション事業」。三つ目は、包装用のフィルムなどを販売する「フィルム事業」。4つ目は、新聞や段ボールなどの古紙を回収し、製紙会社へ供給して、再び紙として循環させる「循環ビジネス」です。

デジタル化の進展で広告や雑誌に使われるグラフィック用紙の使用量は先進国でみると年率6,7%、緩やかな年でも3,4%は減少しており、グループ全体の売上総利益に占める紙の割合は、すでに50%を切っています。この環境変化に対応するため、事業ポートフォリオの変革が急務となっています。

ーーグループ会社で新たに取り組まれていることはありますか。

坂田保之:
全くのゼロから新しい事業を創り出す、いわゆる「スクラッチからの挑戦」は、主に日本の国際紙パルプ商事が担っています。

現在、特徴的な3つの挑戦を進めています。一つ目は、紙を撚(よ)って糸にする「かみのいとOJO⁺」の技術です。この紙の糸を使って、たとえば人工芝を作ったり、アパレルメーカーと組んで紙ならではの機能性を活かした衣料品を作ったりしています。他の繊維にはない肌触りや、抗菌性・消臭性といった特徴があって、面白いものができています。

二つ目は、バイオマス発電所向けのソフトウェア開発です。バイオマス発電所は木材など色々な燃料を使うので、日によって燃焼効率にムラが出やすいという課題があります。そこで、発電の状況をセンサーで読み取り、タブレット端末で簡単にオペレーションを最適化できるソフトウェアを、海外企業と共同開発しました。いわゆるIoTの技術ですね。このソフトウェアを、中小規模のバイオマス発電所向けに販売し始めたところです。

三つ目は、農業です。福島県の浪江町にある耕作放棄地を集約して、「ソルガム」というイネ科の植物を栽培しています。このソルガムは、一つには牛などの家畜の飼料として供給されます。もう一つは、これを原料にバイオエタノールを抽出し、新しい燃料として活用できないかという実証実験を始めています。被災地の復興を支えながら、再生可能エネルギーを生み出す挑戦です。

これらの挑戦は、すぐに何百億円もの売上になるわけではありませんが、若い社員たちが中心となって取り組んでくれています。

ーー今後の展望について教えていただけますでしょうか。

坂田保之:
今後の我々の進むべき道を示すものとして、2030年に向けた長期経営ビジョン「GIFT 2030」を掲げました。売上高1兆円、利益300億円という具体的な数字目標を設定しているのは、現在の約6700億円という規模から見ても現実的な挑戦であり、グループ全体の力を結集するための明確な目標が必要だと考えているからです。

この目標を達成するために、紙の消費量が縮小する中であっても、先ほどご紹介した4つの事業領域を中心に、事業の拡大を図ってまいります。これらの事業を自社で着実に育てていくと同時に、M&Aも積極的に活用しながら、グループ全体で成長を加速させていく方針です。

自ら考え行動する人材が輝くチャンスと環境

ーー貴社で働く魅力や、社員に求める人物像についてお聞かせください。

坂田保之:
弊社の魅力は、若手の意見も尊重される風通しの良い社風にあると考えています。もともとコンパクトな組織の商社だったこともあり、非常にフラットな組織風土が根付いています。来年度からは人事制度も刷新し、挑戦する人がより報われる仕組みを強化していく予定です。

また、紙の消費が縮小しているからこそ、裏を返せば新しいことに挑戦できるチャンスは無限にあります。たとえば、農業事業を立ち上げたのは若手社員ですし、海外のグループ会社にも30代の社員を積極的に出向させています。

だからこそ、社員には上からの指示を待つのではなく、自ら考え、企画し、行動することを期待しています。変化の激しい時代だからこそ、挑戦する意欲のある方にとって、弊社は非常に居心地の良い会社だと思います。

ーー最後に、読者へメッセージをお願いします。

坂田保之:
私たちは今、会社としても、そして日本という国全体としても、大きな変化の時代を生きています。だからこそ、過去にとらわれず新しいことに挑戦したいという情熱を持った方と、ぜひ一緒に未来を創っていきたい。弊社の祖業は紙ですが、その枠を越えた挑戦のフィールドがここにはあります。変化を楽しみ、共に成長していける方の挑戦をお待ちしています。

編集後記

紙の専門商社という安定した歴史。しかし、その足元では確実に時代の潮目が変わっていた。このままでは沈みゆく船に乗っているのと同じではないか。そんな静かな危機感こそが、同社を大変革へと突き動かしている。坂田氏がフランスのM&A現場で自らの目に焼き付けたのは、単なる海外事業の成功例ではない。それは「紙の次」を担う新たなビジネスの息吹そのものだった。その発見を確信に変え、今度は若手社員に「やってみろ」と挑戦の舞台を託す。伝統と変革。その二つを両輪に、同社の未来への航海は今、始まったばかりだ。

坂田保之/1957年兵庫県生まれ。横浜国立大学経営学部卒。1982年株式会社東京銀行(現株式会社三菱UFJ銀行)入行、2011年日本電産株式会社(現ニデック株式会社)入社、2017年国際紙パルプ商事(現KPPグループホールディングス株式会社)入社、2021年から2024年までKPPGHD傘下のAntalis S.A.S(フランス)のDeputy CEO 兼 CFOを務めた。2024年6月からKPPGHD代表取締役社長 兼 COO、2025年6月からは同社代表取締役社長 兼 CEOに就任。