※本ページ内の情報は2025年11月時点のものです。

日本国内に留まらず、世界中で多岐にわたる建築プロジェクトを手がけてきた株式会社観光企画設計社。特にホテル・リゾート施設の設計においては、企画段階から運営までを見据えた独自のノウハウを確立し、数々の五つ星ホテルを成功に導いてきた。本記事では、鈴木氏のこれまでの歩みと、その哲学がいかにして同社の揺るぎない強みとなったのかを深く掘り下げる。そして、未来へと続く「夢を売る」事業の核心に迫る。

世界を舞台に培った交渉術と哲学

ーー建設の世界に足を踏み入れたきっかけをお聞かせください。

鈴木裕:
高校時代から建築に興味がありました。私の母親も建築に興味があり、横浜に家を建てる際に良い設計者を探し、打ち合わせをしている姿を見て「建築は面白い」と感じたのがきっかけです。

大学は早稲田大学理工学部建築学科に進学し、大学3年生の頃には建築の道に進むと決めていました。設計事務所とゼネコンのどちらに進むかと考えた際、ゼネコンは設計だけでなく、海外の大きな仕事を最初から最後までトータルで見られる点に魅力を感じ、鹿島建設へ就職しました。

ーー印象に残っているプロジェクトやエピソードについてお聞かせください。

鈴木裕:
鹿島建設には15年間勤務し、職場では良い先輩に恵まれ、懇切丁寧に指導していただきました。そのおかげで、仕事を覚えると非常に面白いと感じるようになりました。面白みが出てくると、どんどん自分でやろうという意欲が湧いてきて、仕事に邁進しました。

ーー特に印象的だった挑戦はありましたか。

鈴木裕:
東ドイツでのホテルプロジェクトは大変な挑戦でした。日本ではほとんど考えられませんが、3年という短い工期で設計をしながら施工を同時に進めるというスケジュールだったのです。設計が進むと同時に現場が始まり、頻繁な設計変更にも対応しなければなりません。それを外国で、コミュニケーションが容易ではない環境で行うのは非常に困難でした。通訳を介してドイツ語での交渉を行う中で、日本的な流儀は通用せず、議事録の取り方一つにしても水掛け論になるような文化の違いに直面しました。

ーーその困難な経験から、どのような教訓を得られましたか。

鈴木裕:
海外におけるビジネスの進め方を学びました。日本では善意から契約外の作業をサービスとして行うことがありますが、海外ではそれが通用しません。追加の要求に対しては無償で応じず、正当な対価をいただくというビジネスライクな姿勢が求められます。このドイツでの2年半にわたる経験は、私の交渉力を徹底的に鍛え上げ、その後の中国でのプロジェクトでも大いに役立ちました。

五つ星ホテル設計を支えるプロの神髄

ーー貴社へ転職したきっかけをおうかがいできますか。

鈴木裕:
私の岳父より「うちの会社に来てみないか」と誘われたことが転職のきっかけです。鹿島建設でホテルのプロジェクトをいくつか経験しており、ホテルを専門に扱う会社での仕事に面白さを感じたため、移ることを決意しました。

ーー社長に就任された当時の状況と想いをお聞かせください。

鈴木裕:
社長に就任した当時は、決して順風満帆な状況ではありませんでした。バブル崩壊後の低成長期で仕事が激減したことに加え、日本のホテル業界で「所有・経営・運営」が分離・専門化される大きな変革期だったのです。

その中で、旧来のマーケットでの高級ホテル・リゾートを多数手掛けたことが、かえって「いつも同じデザインだ」という批判につながり、非常に苦しい時期がありました。プレッシャーを感じる余裕もなく、「とにかく会社を立て直さなければ」という一心でした。古いイメージを払拭するために若手の登用や、新しい人材の発掘といった組織改革を行いました。そして国内ではなかなか実現できなかった斬新なデザインでの実績を海外で残すことができました。

この取り組みは、私が社長に就任する前から始まり、会社のイメージが刷新されるまで約10年を要する、長い道のりでした。当時はただ、目の前の課題から目をそらさず、がむしゃらに取り組むしかなかったのです。

ーー貴社の強みについてお聞かせください。

鈴木裕:
創業者はホテルオークラから独立後、世界にホテル専門の設計事務所がないことに着目し、弊社を立ち上げました。創業以来63年で、国内130件、海外75件、中国90件という豊富な実績があります。失敗も全てノウハウとして蓄積されており、何が駄目なのかを即座に判断できる力が社員全体に備わっています。

また、単に設計をするだけでなく、ホテルの運営側の視点を深く理解していることも大きな強みです。設計段階から「顧客が使う場所」「利益を生む場所」「裏方」を色分けして検討し、無駄をなくし収益性を高める設計を可能にしています。徹底的な原価低減にもこだわり、時にはゼネコンと激しく交渉することもありました。さらに、客観的な視点に基づいたデザインを重視し、繁栄するホテルを目指します。施主の個人的な好みではなく、プロとしての最適な提案を行うことを常に心がけているのです。

設計の枠を越えた新たな価値創造への挑戦

ーー今後の事業展開や、現在注力されている取り組みについてお聞かせください。

鈴木裕:
63年に渉るホテル・リゾート設計の知見を生かして、土地の有効活用につき、マーケティング、企画、基本構想までビジュアルに提示する「ホスピタリティ・ラボ」というコンサルティング組織を立ち上げました。具体的な建築、インテリアのデザインまで踏み込んだ提案により、通常のコンサルタントとの差別化を図っています。「ホスピタリティ・ラボ」は「裏付けのある夢」という価値創造を行う組織です。

また、会社の事業とは別に、国際観光施設協会の会長を10年間務め、日本の観光を盛り上げるためのさまざまな活動を推進してきました。

活動の一例としてイタリアの分散型ホテル「アルベルゴ・ディフィーゾ」をIT化するという活動を「LINKED CITY」と名付けて活動しています。北海道から沖縄まで活動範囲は広がり、山形県朝日町では町と共働で観光DXを推進しています。温泉やコテージ、民泊、物産館等をアプリでつなげ、観光客の利便性を高める仕組みで、都心との二拠点生活のトライも行っています。

観光地・観光施設の「フェーズフリー」活動も行っています。日常時と災害時というフェーズをなくし、「日常時にはより役に立ち、災害時にも役に立つ」を目指したものを創る活動を始めました。例えば屋上が地上から簡単に登れるショッピングセンターは親が下で買物、子供が屋上で遊ぶことができ、災害時は全ての人が屋上にのぼり津波を逃れることができる施設です。

諦めない心で未来を拓く若者への期待

ーー現在、人材採用においてどのような課題を感じ、どのような人材を求めていますか。

鈴木裕:
採用は、今一番の経営課題だと感じています。弊社のような中小企業は候補者の方の目に留まりにくく、ホテル設計という専門性の高さから、ミスマッチが起こりやすい難しさもあります。

その中で私たちが求めているのは、建築の基礎的な実務経験を2〜3年積まれた方です。未経験から教えるよりも、基礎がある方のほうが弊社の専門的なノウハウをスムーズに吸収できます。そして、より早くご自身の力を発揮して活躍していただけると考えているためです。ホテルという特殊な建築の世界で、共に成長していける方との出会いを心から期待しております。

ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。

鈴木裕:
若い方々には、常に「夢を持つ努力」をしてほしいと強く思います。最初から明確な夢がなくても、何かワクワクするようなことを見つけ、それに向かって努力し続けることが大切です。そして何よりも「絶対に諦めないこと」。失敗は、諦めた瞬間に決まるものです。諦めなければ、それは失敗ではなく、次への学びとなります。時には粘り強く、がむしゃらに取り組む姿勢も必要です。人生は一度きりですから、奇跡的に生きているこの時間を無駄にせず、毎日を充実させてほしいと願います。

編集後記

「夢を語れば仕事になる」。鈴木氏のこの言葉は、決して理想論ではない。その裏には、海外の過酷な現場で培われた交渉力と、幾多の困難を乗り越えてきた揺るぎないプロフェッショナリズムが存在する。膨大な実績という土台があるからこそ、壮大な「夢」は現実のプロジェクトへと昇華されるのだ。日本の観光資源という「光」を磨き、未来の価値を創造していく同社の挑戦から目が離せない。

鈴木裕/1973年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同年、鹿島建設株式会社に入社し、建築設計本部にてホテル・オフィス・商業施設・集合住宅等の設計に携わる。1987年、株式会社観光企画設計社へ入社。国内外のホテルプロジェクトの設計を担当。その後、取締役、常務取締役を経て2009年より代表取締役社長に就任。2015年からは公益社団法人国際観光施設協会の会長も務める。