※本ページ内の情報は2025年11月時点のものです。

国内唯一の馬具メーカー、ソメスサドル株式会社。そのルーツは、炭鉱景気の終焉という逆境の中、債権者から引き受けた事業にある。代表取締役会長の染谷昇氏は、創業者である父から「諦めない気持ち」と「郷里への愛」を受け継いだ。東京での市場開拓、リーマン・ショックという存亡の危機。これらを乗り越え、「一人たりともリストラしない」覚悟で会社を守り抜いた。同氏が追求する「手仕事の極み」の信念と、ものづくりの神髄に迫る。

事業継承の原点 郷里への愛と父の背中

ーーまずは、貴社の歴史についてお聞かせいただけますか。

染谷昇:
弊社は1964年、北海道歌志内市で創業しました。当時は石炭産業で栄えた活気ある町でした。しかし、国のエネルギー政策が変わり、石炭から石油へと移行します。その結果、炭鉱が次々と閉山。市は雇用確保のため企業誘致を進めました。弊社はそうした経緯で立ち上がった企業の一つです。

ただ、弊社の背景には、北海道開拓を支えた馬具職人たちの存在がありました。私たちのものづくりは、その技術継承にルーツがあります。その後、オイルショックで会社は存亡の危機に陥ります。当時、経営者ではなかった父が、債権者から声がかかり社長を引き受けました。かなりの借財を抱えた状態での就任です。

父がなぜ事業を引き受けたのか、真意は今も測りかねています。しかし、人としての責任感があったのだと思います。そして、炭鉱が閉山していく郷里に対して「なんとかしたい」という強い思いがあったのでしょう。無謀にも見える状況に自ら飛び込んだ父の姿から、私は「諦めない気持ち」を学びました。

ーー貴社に入社された当時の心境はいかがでしたか。

染谷昇:
大学を卒業したばかりで特に何かができるわけではありません。勢いで飛び込んだものの、「とんでもない世界に入ってしまった」と後悔しきりでした。最初の2〜3年は思い悩み、正直、逃げ出したい気持ちが先に立っていました。

ただ、失敗続きではありましたが、不思議と悲壮感はありませんでした。初めての場所ばかりでしたが、私は現場主義なので、厭わずに訪問し続けました。未知のことに対する好奇心も原動力になっていたのだと思います。また、今振り返ると、思い悩んでもポジティブに発想転換する方だったのかもしれません。

リーマンショックの危機と「人員不削減」の宣言

ーー社長に就任された経緯を教えてください。

染谷昇:
当時はリーマン・ショックで会社が相当なダメージを受け、経営がままならない状況でした。その立て直しを託された形での社長就任です。私にとっては北海道へのUターンでもありましたが、決して華々しいものではなく、「どうにかしなければならない」という重い気持ちでスタートを切りました。金融機関との折衝も未経験で、正直不安も大きかったです。

ーー経営の再建において、守り抜いた信念はありますか。

染谷昇:
私たちは「ものづくりをする企業」であり、その前提は変わりません。当時、リストラを強く勧められましたが、私は「一人たりともリストラしない」と宣言しました。その覚悟を社員に示すため、役員報酬をカットしました。そして、幹部社員には借り入れ状況も載った決算書をすべて開示、「本気で立て直すから、ついてきてくれ」と伝えました。

馬具製造を原点とする「手仕事の極み」

ーー貴社の強みについてどのようにお考えですか。

染谷昇:
弊社は北海道の開拓を支えた馬具職人にルーツを持ち、現在も国内唯一の馬具メーカーであり続けています。そのため、私たちは量産志向型ではなく、労働集約的なものづくり集団です。具体的には、馬具づくりで培った堅牢な素材選び、鞍の製造に不可欠な「手縫い」の技術などが挙げられます。そうした「手仕事の極み」といえる専門技術。それがバッグなど他の製品にも活かされている点こそ、他社にはない強みです。

ーーものづくりにおいて大切にされていることは何ですか。

染谷昇:
私たちは「手仕事でなければ表現できない価値観」を大切にしています。革という自然素材に向き合い、人の気持ちを豊かにするような、不思議な力を持つものづくりです。また、業界の常識にとらわれず、競合他社と違うことを意識的に行ってきました。その結果、北海道という土地柄も相まって「純粋培養」のように独自の路線を歩んでこられたのだと思います。

SPA体制の課題と原点回帰のブランディング

ーー会長として、心がけていることはありますか。

染谷昇:
社員との接し方そのものを大切にしています。たとえば、パートさんでも管理職でも関係なく、常に同じ目線で話すことを心がけています。また、毎朝必ず工場を回り、一人ひとりに「おはよう」と声をかけることも私の日課です。私にとっては当たり前のことですが、こうした当たり前をきちんと実践できる組織でなければならないと考えています。

ーー製造小売(SPA)の体制を運営する上で、特に重視されている点は何ですか。

染谷昇:
自社で企画から販売まで行う「自主編集型」の業務体制は理想です。しかし、法人向け製品のような厳密な納期や基準がありません。そのため、どうしても「甘さ」が出やすく、各現場の自主性が薄れがちになります。私たちが重視しているのは、この「甘さ」と常に向き合い続けることです。

この課題は、内部の視点だけで行う「改善」レベルでは解決が難しい。そう判断し、現在は外部の専門家の力も借りています。もう一度原点に返り、会社の価値基準そのものであるブランディングを根本から見直す。それが組織の構造的な甘さを解消する道だと考え、取り組みを始めているところです。

ーー最後に、会社として目指す将来像をお聞かせください。

染谷昇:
やはり「あたたかい会社」であるべきだと考えています。私たちは、ものづくりを通じて心豊かになるものを作っている会社です。ですから、現場の担当者だけでなく、社員全員がその気持ちを持つべきだ、と伝えています。

組織は結局「人対人」です。日頃の雑談も交えた交流が、いざという時のチームワークに繋がります。社員同士のコミュニケーションに温かみがあり、全員が会社に誇りを持って働ける。そんな組織を、次の世代にも継承していきたいと考えています。

編集後記

炭鉱の閉山、オイルショック、そしてリーマン・ショック。ソメスサドルの歴史は、幾多の荒波との戦いの歴史でもある。染谷氏の「諦めない精神」は、郷里と人を守ろうとした父の背中から受け継がれたものだ。経済合理性だけを追求すれば、人員削減の選択肢もあったはずの危機。その中で、それを選ばなかった覚悟。その温かな信念こそが、「手仕事の極み」に命を吹き込む。そして、人の心を豊かにする製品を生み出し続ける源泉なのだろう。

染谷昇/1951年北海道歌志内市生まれ。1974年、中央大学商学部卒業。1976年、ソメスサドル株式会社の前身となるオリエントレザー株式会社へ入社。市場開拓を目的に東京を拠点として仕事を始める。2009年、同社代表取締役社長に就任し、40年ぶりに北海道へUターンする。2021年、代表取締役会長に就任。海外進出を進め、直営店を中心にソメスブランドの確立を目指す。