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1884年、銅の精錬・加工から始まった古河電気工業株式会社。140年を超える歴史の中で、祖業の「メタル(金属)」に加え、「ポリマー(高分子)」「フォトニクス(光)」「高周波」という四つのコア技術を蓄積し、事業の多角化を進めてきた。

情報通信、エネルギー、自動車部品など、社会に不可欠な事業領域を広げる同社は今、生成AI・データセンター市場の活況を追い風に、再び注目を集めている。光ファイバ製造工程のエンジニアからキャリアをスタートし、知的財産、経営企画という異なる領域を経験した後、2023年に代表取締役社長に就任した森平英也氏。同氏が目指すのは、一人ひとりの能力が最大限発揮される、心理的安全性の高い組織である。同社の技術の変遷と、個を活かす経営の思いについて話を聞いた。

技術、知財、経営企画。キャリアを形成した三つの転機

ーー貴社に入社した経緯についてお聞かせください。

森平英也:
大学では地学を専攻しており、修士2年の春に就職活動を始めました。

ちょうどその時、弊社の人事を紹介してもらえることになりました。当時はバブル最盛期で、「面談に行けば、内定がもらえる」と言われるような時代でした。私自身高校時代にサッカーをやっていたので、当時日本リーグで強かった弊社の名前は知っており、「サッカーが強い会社」という認識を持っていました。

入社後は千葉事業所の光ファイバ部門、製造工程のエンジニアとして配属されました。当時は事業そのものが黎明期で、増産投資の真っ最中でした。スタッフは皆忙しく、新人は「好きなようにやればいい」という雰囲気だったのですが、私にはその環境が非常に居心地が良かったのです。

面倒見の良い先輩がついてくださったので、その先輩や製造現場の方々と共に、増産対応のための設備改造や、ものづくりの条件出しなどに取り組みました。皆で協力しながら業務を進める中で「ものづくりは面白い」ということを学ばせてもらいました。この経験が、私のキャリアの原点であり、今も非常に役に立っていると感じています。

ーーその後のキャリアで、大きな転機となった経験はありますか。

森平英也:
二つあります。一つは、2002年に知的財産部へ異動したことです。エンジニア時代は特許出願が苦手でしたが、この部署で全社の事業を俯瞰し、契約や訴訟、戦略立案まで経験できたことは、大きな財産になりました。

もう一つは、2013年からの経営企画室での勤務です。翌年には室長として、2020年までの中期経営計画を策定しました。当時は弊社の業績が良くない時期で、今後をどう見据えて計画すべきか悩みました。その結果、「選択と集中」ではなく「それぞれの事業エリアで勝つ」というコンセプトを打ち出しました。この時の経験も今の経営につながっています。

見えないところで社会を支える事業の広がり

ーー長い歴史の中で、事業はどのように変化してきたのでしょうか。

森平英也:
弊社は1884年、足尾銅山から産出された銅を加工し、電線をつくるところから始まりました。その後の事業変化は、この電線から技術が派生していった歴史とも言えるでしょう。たとえば、電線は銅の周りにゴムやプラスチックの被覆が必要なため、高分子化合物の技術が発達しました。1970年代には光通信が始まり、光ファイバの技術が入ってきます。また、電線は自動車内の電気・電子機器の接続にも使われるため、自動車分野にも展開していきました。

このように技術基盤の多様性を活かして多角化を進めた結果、現在は「メタル」「ポリマー」「フォトニクス」「高周波」という四つのコア技術を強みに、情報通信ソリューション、エネルギーインフラ、自動車部品・電池、電装エレクトロニクス材料、機能製品の五つの事業セグメントを展開するまでに変化しました。

国内外でトップクラスのシェアを持つ製品群も多いのですが、弊社の事業の大きな特徴は、製品はどこにでも存在するのに、生活の中では目につきにくい、つまりは目立たないという点にあります。そのため地味な会社という印象を持たれがちですが、私たちは世の中になくてはならないものをつくり、供給している会社だと認識しています。

ーー貴社の強みはどこにあるとお考えですか。

森平英也:
弊社は非常に多角化が進んでおり、事業セグメントごとに展開する分野が全く異なります。そのため、各分野で勝てる強みを持てるように努力しています。実際に多くの商材で国内外トップのシェアを獲得しています。

また最近は情報通信ソリューション事業以外の事業においても「データセンタマーケットに幅広くアプローチできる」という説明をしています。AIやデータセンタ市場が活況ですが、光ファイバ・ケーブルのほかにも半導体製造用テープや放熱・冷却システムなど多くの商材が、活躍するポテンシャルを持っているためです。

「『つづく』をつくり、世界を明るくする。」パーパスに込めた思い

ーー貴社のパーパスについて詳しくお聞かせいただけますか。

森平英也:
弊社は「『つづく』をつくり、世界を明るくする。」というパーパスを掲げています。これは、前社長の時代に発足させた若手社員を集めたプロジェクトチームが、二年弱かけてつくってくれたものです。私が経営企画室長時代に悩んだのと同様に、事業が多角化していて、パーパスを一つにまとめるのにかなり苦労しました。

「世界を明るくする」という部分は、創業者の古河市兵衛が「日本を明るくしたい」と語った言葉がルーツになっています。一方「『つづく』をつくり」は、「日々の当たり前の暮らしが、安心・快適につづくこと」「今日よりも豊かな明日へ、社会の進歩・発展がつづくこと」「人と地球の共生が、いつまでも幸せにつづくこと」といった思いから、プロジェクトのメンバーが「つづく」というキーワードを拾い上げました。それをつくっていくのが自分たちの存在意義だという方向性が固まりました。

「『つづく』とは何か」「そのために自分は何をすべきか」。それを自分ごととして考える習慣が、個が活躍する会社への推進力になると期待しています。

「マーケットイン」で新規事業の成長を加速する

ーー今後の注力テーマについて教えてください。

森平英也:
まず、既存事業を強くすることがベースです。特に生成AI・データセンタ市場や、電力ネットワーク、EV化が進む自動車部品など、今ある事業の効率を上げて、収益性を高めます。同時に、製品も市場も新しい領域へ広げていく取り組みとして、現在は四つの大きなテーマを進めています。

「グリーンLPガス」は、家畜の糞尿や食物残渣などを発酵させたバイオガスを原料に、弊社の触媒技術を使ってLPガスをつくるものです。化石燃料に依存しないエネルギー源として、北海道の十勝で実証プラントを建設しています。「超電導」では、弊社が製造する超電導線材が、将来の核融合発電やリニアモーターカーの磁石に使われることを見据え、開発を進めています。

そのほか、光通信技術を応用した「産業用レーザ(加工用レーザ)」や、レーザ光を体内の治療に役立てる「ライフサイエンス」分野にも注力しています。これらを、2030年から2035年にかけて大きな事業の柱のひとつにしていく計画です。

ーー新規事業を加速させるために、何か取り組みはされていますか。

森平英也:
ソーシャルデザイン統括部という組織を立ち上げました。研究開発本部という組織もありますが、技術開発から発想することが多く、いいものをつくっても、なかなか売れないことがありました。そこで、技術開発とは一線を画し、マーケットイン、つまり市場のニーズを起点に考える組織を並行して動かすことにしたのです。この二本立てにした狙いが当たり、新規事業創出に向けた取り組みが大きく進み始めています。

ーー海外展開については、どのようにお考えですか。

森平英也:
国内市場は成熟していますが、海外ではまだまだ伸びしろがあると感じています。データセンタ市場が活況で、ビッグテック企業のようなグローバル企業に採用された商材は、自ずと世界展開につながっていきます。このほか各地の通信事業者や日系の自動車メーカーとの連携も強化しながら、引き続き海外の売上比率を上げる方針です。

心理的安全性を高め 個の能力が最大限発揮されるグループへ

ーー今後どのような会社を目指していますか。

森平英也:
心理的安全性が担保された組織グループにしたいと考えています。一人ひとりの能力が最大限発揮され、それがグループの力になる。そういう組織構造でなければ、これからの時代は成り立たないからです。

もともと弊社には自由な雰囲気がありましたが、事業採算性が伴わない苦しい時代を経験すると、どうしても組織は萎縮する方向に進んでしまいます。まずは、それを「開放」することが必要だと考えました。忌憚なく意見を表明できる。そのような文化を育てることが、私のポリシーのベースにあります。社長に就任して2年余りが経ちますが、だいぶ実現できてきたという実感はあります。

今後も、トップダウンで引っ張るのではなく、みんなの頭脳(ニューロン)が活性化し、コミュニケーションでつながり、いい方向へ向かう。そういう会社にしたいと考えています。

グローバル市場での成長戦略と「人」を大切にする経営への思い

ーー組織や人材について、大切にされているお考えをお聞かせください。

森平英也:
弊社グループのいいところは、人を大事にする、人中心の経営を続けてきた点にあると思っています。事業の根幹は、最終的には「人」です。経営が厳しかった時代は、どうしても会社の雰囲気が停滞しました。やはり、きちんと利益を確保し、社会に貢献しているという会社の存在意義を実感できなければいけません。パーパスを柱に据え、そこで従業員が自由闊達に、働きがいを感じて動いてくれる会社を目指しています。

ーー若手採用を強化されている中で、特に期待する人物像などはありますか。

森平英也:
若い世代の方々にも、働きがいを感じてもらえる場を提供したいと考えています。従業員一人ひとりの希望や夢を実現できる企業にし、「あなたの夢が実現できる会社ですよ」と伝えたい。「こういうことをやりたい」という期待を持って一緒に働いてくださる人に、たくさん来てほしいです。

ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。

森平英也:
今、生成AIが急速に普及しており、業務効率化のためにこの生成AIを積極的に活用すべきだと考えています。しかし、最後はやはり「人」の発想や多様性が会社の強みになっていく。生成AIが人間の知能を超えるシンギュラリティは起こらないというのが私の考えです。弊社は従業員一人ひとりの可能性を信じて育み、新しい事業をグローバルに展開することで世界中の多様な課題解決に挑み続けます。また、新しい技術や市場に果敢に挑戦したい、そんな情熱を持った人材が活躍できる企業文化を、これからも大切にしていきます。なぜなら、一人ひとりの成長こそが、当社グループ全体の成長を支える原動力だからです。

編集後記

140年という長い歴史を持つ企業でありながら、森平氏の語り口は終始穏やかで、オープンな性格がうかがえた。明るいお人柄や言葉選びからも、同氏が目指す「心理的安全性の高い組織」の一端が垣間見える。祖業である銅の加工から、通信や電力、自動車、そしてAI・データセンタ市場へ。時代に合わせて技術の形は変わっても、社会インフラを支えるという核は変わらない。個の力を最大限に引き出すという新たなカルチャーのもと、同社の技術が未来をどう「明るく」していくのか、注目していきたい。

森平英也/1965年群馬県生まれ、東北大学大学院理学研究科地学専攻修了。古河電気工業株式会社に入社し、知的財産部戦略企画グループマネージャー、戦略本部経営企画室長、情報通信ソリューション統括部門長などを経て2023年4月に同社代表取締役社長に就任。