
滋賀県を基盤に、鉄道、バス、サービスエリアなど多岐にわたる事業を展開する近江鉄道株式会社。近年、鉄道事業において、施設を自治体が管理し、運行を事業者が担う「上下分離」を実現し、地域との連携を一層深めている。2025年1月、同社の代表取締役社長に就任したのが藤井高明氏だ。「一燈照隅」の精神を胸に、社員が誇りを持って働ける環境づくりを進める藤井氏に、自身のキャリアと近江鉄道の未来像について聞いた。
10年かけて獲得した技術士の資格が拓いた道
ーー最初のキャリアはどのようにスタートされたのですか。
藤井高明:
大学では土木工学を専攻し、土木について幅広く学んでいました。就職活動の際、一つの分野を突き詰めるより、土木全般の広い分野に携わりたいと考え、発注側になれば土木の多様な分野に関われそうだと思い、西武鉄道株式会社に入社しました。
具体的には、ダムのような構造物ごとに専門が分かれるゼネコンではなく、鉄道会社や役所、エネルギー会社といった発注側で、土木の様々なものに関わりたいという明確な志望理由がありました。
ーーキャリアの転機となった出来事はありますか。
藤井高明:
入社後にバブル経済が崩壊し、世の中が採用を控える動きになる中で、技術者としての自身の実力と市場価値をしっかりと試したいという思いから「技術士」の資格試験に挑戦しました。仕事と両立しながら約10年かけて取得したことが、私のキャリアを大きく開く大きな転機です。
当時、国で鉄道事業者に認定事業者制度が適用されるようになり、技術士などの資格が設計管理者の要件となる時期と重なったのです。この資格を持っていたことで、社内でも評価され、結果的に技術者として自信と責任を持って業務にあたることができました。
ーーマネジメントで大切にされている考えを教えてください。
藤井高明:
「一燈照隅、万燈照国」という言葉を大切にしています。これは最澄の言葉で、「まずは一人ひとりが、自分の持ち場で一つの灯火(一灯)となって隅を照らす。その灯火が万も集まれば、国全体(万燈照国)を明るく照らすことができる」という意味が込められています。
この考えを深く大事にするようになった背景には、西武鉄道が上場廃止となった最も大変な時期の経験があります。当時の現場には「とにかく事故を起こすな」という強い指示が出されていましたが、それでも類似の失敗が繰り返される状況でした。私はその経験から、「指示待ちの姿勢では組織は良くならない」と痛感したのです。みんなが当事者意識を持ち、なんでも自分のこととして考え、自分だったらどうするかを深く考えようと現場の人間と話を重ねました。
組織も同様で、社員一人ひとりが自立して光を放つことこそが、組織全体の力になると確信しています。だからこそ、社員が自信と誇りを持てる環境づくりを最も大切にしています。これは、多様な人材が活躍すること(ダイバーシティ)にもつながる考え方だと信じています。
鉄道維持の危機から生まれた地域との共創関係

ーー社長に就任された際、近江鉄道にはどのような印象を持たれましたか。
藤井高明:
鉄道事業の「上下分離」という大きな変革の直後でしたので、正直なところ、不採算事業を地元に助けてもらったという背景から、社内は少し緊迫した雰囲気かと想像していました。しかし、実際には非常に大らかで明るい社風に触れ、ホッと安心しました。
また、乗務員が無人駅で駅員業務を行うなど、コンパクトな組織規模ゆえに、社員が複数の業務を当たり前のように兼務している姿にも、深く感銘を受けました。規模が大きいと分業が必須ですが、近江鉄道では「なんでもやる」という意識が根付いており、それがこの会社の強みだと感じています。
ーー「上下分離」が実現するまでの背景について、お聞かせいただけますか。
藤井高明:
弊社の鉄道事業は、毎年施設の維持費が赤字として累積していく状況にあり、民間企業単独での維持が厳しいという問題に直面しました。このため、約10年前に滋賀県や沿線の自治体に相談を始めたことがきっかけです。
それまでは、恥ずかしながら地域との交流が十分とは言えませんでしたが、協議を重ねる中で、社員にも「地域のために何をしなければいけないか」という当事者意識が芽生えました。地域の皆様と思いを共有するようになり、力強く支えていただいた結果、「上下分離」が実現したのです。この経緯があるからこそ、私たちは今、地域に恩返しするという強い思いで事業に取り組んでいます。
ーー近江鉄道が今、目指している姿について教えてください。
藤井高明:
地域の皆様にとって「なくてはならない存在」であり続けることです。人口減少が進む中で、地域のニーズを真摯に受け止め、我々に何ができるかを問い続ける組織でありたいと考えています。その上で、地域の皆様に最適な移動手段を提供することが最大の使命です。
しかし、地域に貢献し続けるには、事業として利益を出す必要があります。つまり、地域のニーズを拾いつつ、需要も増やしていかなければなりません。地域貢献と事業継続の両立という、最前線の課題に取り組む組織として、社員一同、何ができるかを一生懸命に考えています。
滋賀の資源を活用した新規事業への挑戦

ーー地域の活性化について具体的な取り組みはありますか。
藤井高明:
沿線の皆様と連携し、地域と一体となった集客イベント「ガチャフェス」を秋に開催しています。弊社の電車が揺れる音から「ガチャコン電車」と呼ばれており、それにちなんだ名称です。当日は一日乗車券を大人100円、子どもは無料とし、沿線各地のイベントと連携しました。
この取り組みは、沿線各地のイベントをその日に集中してもらい、地域に人の動きをつくるという目的を達成しました。2025年秋の開催では2万4000人にご参加いただきましたが、今後も地域の活性化の核として継続していきます。
ーー交通事業以外の展望についてはいかがですか。
藤井高明:
人口減少を見据え、交通事業以外の新規事業も検討し始めたところです。滋賀県は歴史も深く、30を超える酒蔵があるなど、まだ光が当たっていない魅力的な資源が数多く眠っています。こうした資源を活かした、アクティブシニア層をターゲットとした高付加価値な旅行商品の企画・開発などを現在研究しています。
既存事業の強化はもちろんですが、その延長線上で何でも構わないから、新規事業のアイデアを出してやっていこうと、社員には失敗を恐れずにチャレンジするよう呼びかけているところです。新しいことへの挑戦を通じて、会社をさらに成長させていきたいと考えています。
ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。
藤井高明:
地域の皆様に選んでいただける会社であり続けるため、まずは安全・安心を第一に、快適にご利用いただける交通事業者として、取り組んでまいります。そして、地域の魅力を伝え、働きやすい環境を社員と共に作り上げながら、地域の皆さんにも選び続けていただける会社にしていきます。
特に、社員が楽しく、誇りを持って働ける環境を、皆で協力しながらつくり上げていきたい。私自身も、社員との懇親会などの場に積極的に足を運び、社員と膝を突き合わせ、意見を吸い上げる機会を設けています。地域社会からも、そして未来の仲間となる皆さんからも、「選ばれ続ける会社」を目指していきます。
編集後記
藤井氏が大切にする「一燈照隅、万燈照国」という信念が、近江鉄道の企業価値を表している。それは、社員一人ひとりの力が組織と地域を明るくする源になるという考え方だ。地域に支えられ変革を実現した同社は、今、地域の資源を掘り起こし、未来を切り拓こうとしている。社員の誇りと自信が地域を牽引する力となる、その着実な歩みに期待が高まる。

藤井高明/1964年、香川県出身。1988年、山梨大学工学部卒業。1990年、山梨大学大学院工学研究科修士課程修了後、西武鉄道株式会社へ入社。2017年、同社の取締役、上席執行役員に就任。2020年、常務執行役員 鉄道本部長に就任。2025年、近江鉄道株式会社の代表取締役社長に就任。