※本ページ内の情報は2025年12月時点のものです。

京都の地で、伝統的なあられづくりを続ける渡辺製菓株式会社。吟味された素材と昔ながらの製法にこだわり、「やっぱり違う、保津川あられ」と評される本物の味を追求している。三代目として事業を継承した渡邉東高氏は、旧来の職人気質な社内に新たな風を吹き込み、組織改革を断行。自身の修業時代の経験を礎に、伝統の味を守りながら、その価値を世界に届けるべく挑戦を続ける。渡邉氏の情熱の源泉と、会社の未来像に迫る。

継ぐべくして継いだ家業 三代目の原点と修業時代

ーーまずは渡邉社長のご経歴について、お聞かせください。

渡邉東高:
家の前が工場だったため、工場の音を聞き、職人たちの背中を見て育ちました。周囲からも「三代目」と呼ばれていましたから、私にとって家業を継ぐことはごく自然な、いわば宿命のようなものでした。大学3年生の時、父に「家業を継ぎたい」と事業継承の意思を正式に伝えました。

大学卒業後、父から「まず、あられの勉強をしてこい」と言われて、栃木県にある老舗「丸彦製菓株式会社」で2年間、製造の現場であられづくりの一連の流れを学び、修業させてもらいました。

それが終わっても、父からは「まだ早い」と言われ、次なる修行の場として門を叩いたのが、京都の原料会社「株式会社美濃与 東京営業所」です。弊社にとって重要な仕入れ先であり、また得意先とも取引があるこの会社で、5年間営業として経験を積みました。そこで人脈を築きながら、製品をただ売るだけではない、情報という付加価値をつけて提案する営業スタイルを学びました。正直、営業は得意ではありませんでしたが、この経験が今の経営に活かされています。

社長就任と組織改革 世代交代を見据えた新たな船出

ーー家業に戻られてからは、どのような業務を経験されましたか。

渡邉東高:
家業に戻ってからは、まず製造現場を2年経験し、その後、社長に就任するまでの6年間は、営業一筋でキャリアを重ねていきます。その間、常務に就任しますが、その頃から少しずつ父の業務を分担するようになり、営業と並行して経営にも本格的に関わるようになったのです。

当時の製造現場は、まさに“職人の世界”そのものでした。明確なマニュアルはなく、技術は「背中を見て覚えろ」という環境だったのです。原材料の配合といった基本的な製造工程は教えてもらえますが、たとえば生地の仕上げ一つをとっても、その日の天候や湿度によって微妙な調整が求められる。そのさじ加減は、まさに職人の経験と勘だけが頼りという世界でした。それは伝統を守る上での強みであると同時に、組織としての脆弱さも内包していました。

ーー経営に携わるようになり、特に力を入れた改革は何でしたか。

渡邉東高:
父の代は、その強力なリーダーシップによるトップダウン経営で、幾多の危機を乗り越えてきました。しかし、これからの時代を生き抜くためには同じやり方では通用しない。そうした強い危機感がありました。

そこで私が着手したのは、次の世代を見据えた「自律型組織」への転換です。各部署が自ら目標を設定し、その達成に向けて主体的に行動できる組織づくりを目指しました。その一環として、これまで不透明だった評価を“見える化”するために人事評価制度を構築し、長かった経営理念を「やっぱり違う、保津川あられ」という一言に要約しました。

「やっぱり違う」と称される味の秘訣と「心の必需品」という思い

ーー貴社の製品へのこだわりを教えてください。

渡邉東高:
弊社は創業以来、「本物」にこだわり、美味しいあられづくりに情熱を注いできました。美味しいものをつくるにはどうしてもコストがかかるため、その価値を分かってくださるお客様に届ける、というスタイルを貫いています。

代表銘菓である「丹波亀山焼」は、主役となる大粒の丹波産黒大豆をふんだんに使用した、職人こだわりの逸品です。

生地となるもち米には、米どころ佐賀県が誇る上質なもち米「ヒヨクモチ」と地元京都産「新羽二重糯」を厳選。私たちは製造効率を優先して粉状になったものではなく、お米そのまま丸粒の状態で餅に仕上げています。そうすることで、お米本来の豊かな風味が損なわれるのを防いでいるのです。

製法も、昔ながらの「せいろ蒸し」と「杵つき」を守り続けています。時間も手間もかかりますが、この伝統製法でしか生み出せない、お米本来の甘みと、コシのあるしっかりとした粘りを最大限に引き出します。

すべては、お客様が口に入れた瞬間に広がる、豊かなお米の香りを何よりも大切にしているからです。

ーー現在の主な販売チャネルはどのようになっていますか。

渡邉東高:
お客様への直接販売が2割、卸売が8割です。その卸売も大半がOEMで、弊社の名前が出ない形での販売が多くを占めています。今後は卸売も大切にしつつ、直接販売の比率を上げていくことに力を入れたいと考えています。

ーーお菓子づくりは、人々にどのような価値を提供するとお考えですか。

渡邉東高:
コロナ禍で、あるお客様からいただいた「お菓子は“心にとっての必需品”です」という言葉が、今も胸に響いています。お菓子は、食事のように生きるために不可欠なものではないかもしれません。しかし、人と会うことが制限され、社会全体が閉塞感に包まれていたあの頃、口寂しさや心の寂しさを癒やし、日々に潤いを与えてくれたのがお菓子だった、とその方はおっしゃっていました。そのお話は、私たちの仕事の価値を改めて教えてくれました。

また、これも受け売りですが、「箱を開けた瞬間に、人を笑顔にするのがお菓子」という言葉にも深く共感します。私たちが手掛ける贈答品やギフトは、まさにその瞬間を大切にしたいという想いの結晶です。

これからも私たちは、単に美味しいだけでなく、人と人との温かい繋がりを生み出し、日々の暮らしにささやかな幸せと笑顔をお届けできる。そんな「心にとっての必需品」であり続けられるよう、製品づくりに励んでまいります。

伝統を世界へ 渡辺製菓が描く未来図

ーー今後の事業において、どのような展望をお持ちでしょうか。

渡邉東高:
メーカーとして、美味しいあられをつくり続けるための組織づくりと仕組み化を第一に考えています。その上で、現在は卸売が中心ですが、自社ブランドの価値を高め、直接販売の比率を少しずつ伸ばしていきたいです。また、長年取り組んでいる海外展開も、さらに力を入れていきます。国内と同様に、単なるスナック菓子ではない“高級なあられ”として、その価値を伝えていきたいです。現在は、アメリカ、台湾、シンガポール、EUなどを中心に販促活動を行っていますが、まだまだ力不足です。商社の力も借りながら、世界に販路を広げていきたいと考えています。

ーー事業成長のため、今後注力していく課題テーマを教えてください。

渡邉東高:
美味しいあられを安定的につくり続けるための“工場の生産改善”ですね。マニュアル整備や日報管理などを進め、伝統製法の中でも仕組み化できる部分の改善を続けていきます。また、社員が働きがいを感じられるよう、構築した人事評価制度も常に状況に合わせて見直しを続けていくつもりです。

ーー最後に、読者であり未来の仲間に向けたメッセージをお願いします。

渡邉東高:
弊社には、出張先で和洋問わず気になるお菓子を買ってきて、皆で食べる文化があります。そんなふうに、食べることが好きで、食に興味を持てる人とぜひ一緒に働きたいですね。美味しいあられの可能性を、一緒に楽しんでくれる方をお待ちしています。

編集後記

お菓子は「心にとっての必需品」。渡邉社長が語ったこの言葉が、取材を通して深く心に残っている。その誠実な人柄と事業への覚悟は、言葉の端々からうかがえた。伝統の製法を守る愚直さと、時代に合わせた組織をつくる柔軟性。その両輪で、同社は「やっぱり違う」と評される一粒を生み出し続ける。米の香りが凝縮されたあられは、まさしく人の心を豊かにする力を持っている。その挑戦が世界に広がる日は、そう遠くないだろう。

渡邉東高/1980年京都府亀岡市生まれ、2002年龍谷大学卒業。丸彦製菓株式会社で2年、株式会社美濃与で5年の修業期間を経て2009年に渡辺製菓株式会社へ入社。2017年に同社代表取締役社長に就任。