※本ページ内の情報は2025年12月時点のものです。

京都中央卸売市場のほど近くに店を構え、プロの料理人たちから絶大な信頼を得るマグロ専門の仲卸、株式会社小松商店。同社を率いる草木憲一郎氏は、高校時代のアルバイトをきっかけにマグロの世界へ足を踏み入れた。以来、マグロ一筋で道を究め、多くの人々との「縁」を頼りに独立し、現在は台湾での事業展開や飲食店の経営など、次々と活躍の場を広げている。その根底には「自分を過大評価しない」「徳を積む」という独自の信念があった。偶然の出会いを必然に変え、事業を成長させてきた草木氏の軌跡と未来への展望をうかがった。

早朝の運搬作業から始まったマグロ一筋の道

ーーマグロを扱う仕事を始められたきっかけを教えてください。

草木憲一郎:
高校生のとき、他のアルバイトに比べて時給が高かったのをきっかけに、この仕事を始めました。当時、早朝の時間帯は時給1700円でした。学校へ行く前に一稼ぎできる金額に魅力を感じ、朝3時から8時くらいまで働いていました。仕事は、お客さんが買い付けた商品をトラックまで運ぶ運搬作業が主です。1年ほど働いた頃に勤めていた会社の社長から誘っていただき、正社員になりました。

ーー正社員になってからは、どのような業務に携わりましたか。

草木憲一郎:
入社した当初、勤めていた会社にはマグロ専門の部署がありませんでした。転機が訪れたのは、競り場で売れ残ったマグロが会社に持ち込まれるようになってからです。最初はそれをさばいて処理するだけでしたが、次第にお客様から「もっと良いマグロはないか」というご要望をいただくようになりました。その声に応えるため、自分たちで直接買い付けを行う本格的なマグロ部署が立ち上がることになり、私がその創設メンバーとして携わりました。

ーーマグロの目利きの技術はどのように習得されたのですか。

草木憲一郎:
最初は一心にさばくだけでしたが、次第にさばく前に魚の状態を見て「卸したら、たぶんこんなマグロだろう」と予想するようになりました。もちろん、イメージと実際の質が違うことも多々あります。その繰り返しで、自分の中にデータを蓄積していきました。失敗が減り、ある程度形になるまでには10年ほどかかったと思います。それでも当時の自分を点数にしたら、まだ50点くらいだったのではないでしょうか。今も勉強中です。

同級生の活躍が照らした新たな道

ーー独立を決意された、直接のきっかけは何だったのでしょうか。

草木憲一郎:
働く中で、会社の方向性とのずれや、成果が正当に評価されないもどかしさを感じていたのです。そんな中、病気で2ヶ月半ほど入院しました。入院中に、高校の同級生であるお笑い芸人の宮川大輔氏がテレビで活躍している姿を目にしました。私が市場で働き始めた頃に彼は吉本興業の養成所に入り、苦労しながらも努力を続けていることを知っていたのです。その彼がようやく活躍する姿に強く背中を押され、退院後、会社を辞める決意を固めました。

「過小評価」が生んだ信頼 有名シェフとの決定的な出会い

ーー独立されてから、どのように事業を進めていらっしゃいましたか。

草木憲一郎:
特別なことをしたわけではありません。ただ、自分を大きく見せず、実力以上に見せないという「過小評価」の姿勢だけは貫いていました。たとえば、65点のマグロなら「50点くらいです」とお伝えする。そうすると、お客様には「聞いていたよりずっと良い」と満足していただける。そうやって堅実に信頼を積み重ねていく中で、ある決定的な出会いがありました。独立して間もない頃、4坪ほどの小さな店に、京都の名店「祇園 さゝ木」のご主人、佐々木浩氏がふらっと立ち寄ってマグロを買ってくださったのです。あの一件がなければ、今の私はいなかったかもしれません。

佐々木氏に認めていただけたことがきっかけで、他の一流の料理人の方々にも次々とご来店いただけるようになりました。あの日、実直な仕事ぶりが認められたことで、事業を軌道に乗せる大きな壁を一つ越えられたのだと感じています。

ーー事業がさらに発展していく中で、他にも印象的なエピソードはありますか。

草木憲一郎:
今手がけている海外事業や飲食店経営も、実は計画して始めたものは一つもありません。すべて「ご縁」がきっかけです。たとえば飲食店の1店舗目は、知人が病気でお店を閉めると聞き、譲り受けたものです。2店舗目も、マグロを納めていた居酒屋の大将が引退されるタイミングで後を継ぎました。どちらの時も、偶然うちで働いていた元料理人に店長を任せることができたのです。本当に、不思議なほど縁に恵まれていると思います。

計画なき海外挑戦 台湾での苦難とV字回復

ーー海外事業が始まったきっかけを教えてください。

草木憲一郎:
これもご縁がきっかけです。知り合いのブリの養殖会社が台湾のフードショーに出展する際に「一緒にマグロも並べないか」と誘われたのがきっかけでした。現地のシェフたちが日本の魚に強い関心を持っている手応えを感じ、その年のうちには現地法人を設立します。しかし、言葉も分からず、輸出したマグロが逆さの状態で届くなどトラブルの連続です。始めてから6、7年で事業を畳むことも考えました。

ーーその危機をどう乗り越えたのですか。

草木憲一郎:
事業を畳むことも考えていたまさにその時、ある女性とのご縁が状況を好転させました。彼女は、初めて台湾のフードショーを訪れた際に立ち寄った飲食店で働いていた方で、以前から顔見知りだったのです。日本語が堪能で現地の事情にも詳しい彼女が仲間になってくれたことで、経理から顧客管理まで一気に立て直すことができ、事業はV字回復を果たしました。今後はアメリカへの展開を考えており、すでにロサンゼルスの現地スタッフと話を進めています。

謙虚さと徳 日々の誠実な行いが紡ぐ未来

ーー今後の展望についておうかがいできますか。

草木憲一郎:
私たちが築いてきた基盤は守りつつ、これからの時代に合った若い世代の意見をどんどん取り入れていきたいです。私自身は早く現場から引退し、次世代にバトンを渡すのが目標です。そのために伝えているのは、まず自分を過大評価しないこと。そして、「徳を積む」ことです。目に見えるものではありませんが、日々の誠実な行いが、良きご縁につながっていくのだと信じています。ただ売り上げを追うよりも、そうした姿勢の方がよほど大切なのではないでしょうか。

編集後記

草木氏のキャリアは、マグロ一筋という「専門性」と、予期せぬ出会いを事業拡大につなげる「柔軟性」によって築かれてきた。その根底には「自分を過大評価しない」という謙虚さと、「徳を積む」という誠実な姿勢が一貫して存在する。壮大な計画を掲げるよりも、日々の仕事に真摯に向き合い、目の前の縁を大切にすること。その積み重ねが、台湾、そしてアメリカへと続く道を切り拓いたのだろう。草木氏の生き方は、キャリアに悩む若い世代にとって、一つの確かな指針となるに違いない。

草木憲一郎/1971年京都府生まれ、京都西高等学校(現在・京都外大西高等学校)卒。高校3年生の時に京都中央卸売仲卸、株式会社西利商店でアルバイトとして従事し、翌年1990年に正社員として就職。鮪の担当者として19年間勤め、2009年株式会社小松商店を設立し現在に至る。