
福岡を中心に、道路やトンネルの新設・維持補修に着手する熊川工業株式会社。創業者の父の跡を継ぎ、2012年に代表取締役に就任した熊川大祐氏。彼は労災事故や経営危機などの試練を乗り越えながらも、家族的な結束と信頼を武器に、売上30億円を超える企業へと成長を遂げてきた。波乱のスタートから現在に至るまでの歩みと、会社を支える信念について聞いた。
父との二人三脚で実現した売上拡大
ーー代表に就任されるまでの経緯を教えていただけますか。
熊川大祐:
卒業後は日本乾溜工業に入社しました。そこで約4年間、交通安全工事、法面工事等、土木関連の業務を担当しました。
2003年8月、父が病で倒れたのをきっかけに、実家の会社へ戻ることにしました。当時は数年だけ戻るつもりで、会社を継ぐことも考えていませんでした。ただ、結果的には8年ほど父と二人三脚で経営に携わることになります。現場の統括や営業、マネジメントを通じて会社の業務を学びました。当時の売上は3〜4億円程度で、非常にコンパクトな会社だったと記憶しています。
父は「10億円企業」を目指しており、実際に売上を約11億円まで成長させました。父が掲げた目標は達成できたと考えています。そして、父が他界した2012年4月、私が代表取締役に就任しました。
ーーお父様から受けた教えで、特に印象に残っていることは何でしょうか。
熊川大祐:
父からは、工事現場の原価管理について、厳しく指導を受けました。亡くなる前日、病院の個室に私を呼び出した父は、30件ほどの現場精算書を手に取ったのです。そして、一つひとつの現場がいかに大切か、日々の管理を徹底する重要性を私に説きました。
父が特に重視していたのは、現場で何にいくらの費用を使ったかを正確に把握できる人材の育成です。仕事に対するこだわりや細かさを持っており、それが創業者としての強みだったのでしょう。非常に厳しい人で、亡くなる前日まで私は叱られていました。
どん底からの再出発 深まる社員との絆
ーー代表取締役に就任されてから、苦労されたことはありましたか。
熊川大祐:
父が他界した約1週間後に、通信関連の夜間工事で重大な労災事故が発生しました。協力会社の方が大型機械の事故で足を切断する重傷を負ってしまったのです。事故当日は私も現場に駆けつけ、救急搬送やその後の対応にもあたりました。被害者のご家族から厳しい言葉を受け、精神的にも大きなダメージを受けました。
父の初七日が終わった直後で、会社の登記変更を予定していた矢先の出来事でした。まさに、どん底からのスタートです。
この事故により、公共工事の指名停止処分や制裁措置も受けました。さらに、事故の補償や対応に半年間も追われることになってしまいました。創業以来の大変な出来事でしたが、この経験が逆に経営者としての覚悟を決める契機となったと感じています。幸い、取引先や関係者の皆様に支えていただき、仕事を失うことなく乗り越えられました。
ーーそうした中でも、社員の皆さんとの関係性が今も非常に良好なのはなぜでしょうか。
熊川大祐:
家族のような関係性が一番の要因だと思います。社員たちとは何か節目があれば自然に集まり、親睦を深めることを大切にしてきました。仕事に全力で取り組む一方で、遊ぶときはとことん遊ぶ。そうしてコミュニケーションを重視する社風を築いてきたつもりです。独身の若い社員が多かった頃は、私も一緒に遊びに行き、仕事以外の時間も共に過ごしたりしていました。父も面倒見がよく、家族的な雰囲気を大切にする人でした。
また、経理面で母や妹が会社を支えてくれていることも大きいです。通帳や支払いの管理など、お金に関わる業務を信頼できる家族に任せられたため、私は営業や現場管理に集中できました。
人材面でも恵まれており、専務をはじめ優秀な人材と出会えました。大学野球部のつながりや離島出身者など、真面目で信頼できる社員が多く集まってくれたおかげで、現在はほとんど退職者が出ない安定した組織になっています。
総合力で勝負する技術集団の強み

ーー貴社の強みや、他社と差別化できる点を教えていただけますか。
熊川大祐:
建設工事において「すべて自社でできる」ことが弊社の最大の強みです。たとえば水道工事、電気工事、道路舗装、地下の埋設工事まで、幅広い分野に対応できます。特に、災害時の復旧工事や地下関連工事に特化した技術力を有しているのも特徴です。
また、下請けに任せるのではなく、自社の作業員が直接施工する体制を重視しています。これにより、高い品質の確保やコスト競争力も実現しています。
信頼できる知り合いの社長と話をする中で、「一緒にやってみよう」という形でグループ会社が自然と増えていきました。結果的に、自社だけでは難しかった分野にも対応できるようになって、事業の幅も広がりました。
若手育成と長期雇用を両立する組織づくり
ーー最後に、経営者として常に心がけていることをお聞かせください。
熊川大祐:
一番大事にしているのは、社内のコミュニケーションです。特に、若手社員が話しやすい環境づくりに重きを置いています。人を育て、人を大事にすることが本当に重要だと考えています。
現在の社員数は60~70名で、30代の若手から70代まで年齢層は幅広いです。中には、70代で現場に出てくださる方もいて、本当に頭が下がります。私は現在48歳ですので、社員の中ではちょうど中間の世代です。
給料を払うためには利益を上げる必要もありますが、売上ばかり重視して社員に負担をかけるような状況は避けたいと考えています。今の社員たちが成長してくれることを期待していますし、75歳になっても働き続けられるような、長く活躍できる会社にしていきたいですね。
この社屋を建てたとき、地元の工業高校から新卒者が10名ほど入社してくれました。高校卒業の段階では、進路に悩んでいる若者も多いでしょう。だからこそ、彼らの可能性を信じて、長く働いてもらえるような職場づくりを進めていきたいです。
編集後記
父親との二人三脚での会社経営、そして別れの直後に襲い掛かった労災事故。「どん底からのスタート」という言葉が示すとおり、想像を絶する苦難を乗り越えてきた道のりが鮮明に伝わってくる。そのような逆境にあっても、社員を大切にする姿勢と周囲への感謝を忘れない熊川氏の人間性が、現在の会社を支える強固な基盤を築いたのだろう。今後、若い世代をどのように育成し、いかにしてさらなる高みを目指すのか。その動向から目が離せない。

熊川大祐/1976年12月生まれ。北九州大学(現:北九州市立大学)法学部卒業。卒業後、日本乾溜工業株式会社に就職し、4年間あらゆる物づくりを経験。2003年に熊川工業株式会社に入社。2012年4月、代表取締役に就任。