
栃木県佐野市にある「道の駅 どまんなかたぬま」は、売上高17億円超、来場者数約200万人を誇る。道の駅でありながら、単なる通過点ではなく、地域住民の生活に深く根差した「目的地」として絶大な支持を集めているのだ。この成功を築き上げたのが、運営会社である株式会社どまんなかたぬまの代表取締役社長、篠原敏秀氏。百貨店で培った経験を礎に、行政への出向を機に道の駅事業へ参入。周囲の反対を覆した逆転の発想の立地戦略をとり、トップダウン経営から社員一人ひとりが主役となる組織への変革を成し遂げた。常に挑戦を続ける同氏に、事業成長の原点と地域と共に描く未来について聞いた。
百貨店時代に芽生えた常識に挑む挑戦心の原点
ーー篠原社長のキャリアの原点と、最初のターニングポイントについてお聞かせください。
篠原敏秀:
流通を学びたいという思いから地元の東武宇都宮百貨店に入社。食品売り場や外商部を経験した後、入社3年半でボーリング場の副支配人に抜擢されました。しかし、百貨店の本流から外れることに強い危機感を覚え、上司に直談判して婦人服や紳士服の売り場に戻してもらいました。
この経験から、常に「既存のやり方に囚われない」と意識するようになったのです。自分で信じるやり方で挑戦し結果につなげる。その成功体験が今の私の原点です。
猛反対を覆した地域住民を狙う逆転の立地戦略
ーー道の駅の事業に携わることになった経緯についておうかがいできますか。
篠原敏秀:
百貨店でさまざまな役職を経験した後、2000年に当時の田沼町から道の駅設立のための人材派遣要請を受けました。そこで私に白羽の矢が立ち、株式会社どまんなかたぬまの前身となる組織へ出向しました。
当時、道の駅は観光客向けの国道沿いにオープンするのが常識でした。しかし、「道の駅 どまんなかたぬま」のオープンを検討していた場所は住民の「生活道路」だったため、議会などから「誰も来ない」と猛反対されたのです。しかし私は、周辺の生活圏に数十万人が暮らすマーケットがあることに着目しました。観光客ではなく、地域の方々に支持される施設をつくれば必ず成功すると考えたのです。そこで民間流の態度を貫き、行政とは対等な立場で話を進め、2001年11月1日にオープンすることができました。
生産者と築いた絆と「本物」を届けるための直営

ーー地域住民を惹きつけるために、どのような戦略をとられたのですか。
篠原敏秀:
コンセプトは「地産地消」「無添加」「手作り」。既存の商業施設にはない価値を提供することにこだわりました。当時は商工会や農協からの支援が得られなかったため、生産者の方々を一軒一軒訪ね歩き、直接交渉して協力体制を築きました。その結果、初年度は目標の1.5倍もの売上高を達成できました。
ーー飲食店のほとんどを直営で運営されているそうですね。経緯についてお聞かせください。
篠原敏秀:
当初は有名テナントの誘致も検討しましたが、「その場所では成り立たない」と断られてしまいました。それならば、自分たちの思い描く店を自分たちでつくろうと決意したのです。たとえば、ジェラートで使う牛乳も品質に妥協したくありませんでした。そこで那須の「那須高原りんどう湖ファミリー牧場」と直接交渉し、ジャージー牛乳の取引を実現させました。すべては、お客様に本物を提供したいという思いからです。
「経営品質」導入による自発的な文化の醸成
ーー事業が成長する中で、組織運営における課題はありましたか。
篠原敏秀:
開業当初は経験者が私しかいなかったため、すべてを指示するトップダウン経営で進めていました。しかし、事業が拡大するにつれて、このままではいずれ組織が立ち行かなくなると限界を感じていたのです。
そんなときに出会ったのが「経営品質」という考え方でした。「経営品質」とは、製品やサービスの質ではなく、顧客や市場の視点から見た経営全体の質を指します。この考え方こそが組織を変える鍵だと確信し、導入を決意をしました。
ーー「経営品質」の考え方を、どのように組織に浸透させていったのですか。
篠原敏秀:
「経営品質」の指標として、日本生産性本部 経営品質協議会が審査する「日本経営品質賞」という表彰制度があります。しかし、大切にしたのは、賞の受賞そのものを目的にしないこと。そして、研修はあくまで、会社のありたい姿を実現するための学びの手段として位置づけました。講義では専門用語をそのまま使うのではなく、社内で分かりやすい言葉に置き換えて共有。定休日を利用した研修などを通じて対話を重ねています。
そのような取り組みを続けたことで、「今の状態に満足せず、もっと良くするためにはどうすればいいか」を自ら考える文化が生まれました。今では、販売部門と製造部門が自発的に協同企画を立ち上げるなど、現場から新しい取り組みが次々と生まれています。社員一人ひとりが経営に参画しているという意識が、組織全体の力になりました。
ーー事業をさらに成長させる上で、どのような人材を求めていらっしゃいますか。
篠原敏秀:
私たちの仕事は、仕入れから販売、企画まで、すべて「人」が中心です。だからこそ今、さまざまな分野の専門性を持った方々の力を必要としています。たとえば、施設の核である直売所をさらに魅力的にするため、生鮮青果の扱いや買い付け経験が豊富な流通業経験者。そして、直営の飲食店を進化させてくれる和洋食の飲食業経験者。さらに、地域を巻き込んだイベントなどを通じて弊社の魅力を発信する企画運営や地方創生の経験者も求めています。
地域に不可欠な存在を目指す未来への布石

ーー今後の事業展開について、どのような展望をお持ちですか。
篠原敏秀:
道の駅は車社会を前提としたビジネスモデルですが、今後は高齢化などでその状況も変わるでしょう。その変化を見据え、私たちはすでに動いています。具体的には、屋根付きの駐車場は一台あたりのスペースを広く確保しました。これにより、高齢者や女性ドライバーでも安心して利用できます。
また、買い物が困難な方々を支援するため、移動スーパー「とくし丸」の運営を始めました。今では売上高の4%を占める重要な事業に成長しています。さらに、道の駅が災害時の防災拠点としての役割を担えるよう、駐車場を嵩上げするなどインフラ整備も進めています。
ーー最後に、会社として目指す理想の姿をお聞かせください。
篠原敏秀:
私たちが目指すのは、単なる商業施設ではありません。「ここに来て良かった、また来たい」と思っていただけるような、訪れる人の心が和む場所です。豪華さではなく、温かみのある雰囲気で、地域の方々の生活の一部として頼られる存在であり続けたいという思いがあります。そのために、これからも人への投資を惜しまず、時代の変化に対応できる組織であり続けます。
編集後記
「誰も来ない」と猛反対された生活道路を、年間約200万人が訪れる地域の中心へと変える。その原動力は、常識を疑う鋭い視点と、地域住民に本物を届けたいという誠実な想いだ。しかし同社の真の強みは、トップダウン経営から脱却し、社員一人ひとりが主役となる組織を築き上げた点にある。現場から生まれる自発的なアイデアこそが、道の駅を常に進化させているのだ。挑戦を続けるリーダーとそれに応える社員たち。「どまんなかたぬま」の物語は、地域創生の確かな羅針盤となるだろう。

篠原敏秀/1945年栃木県小山市生まれ、明治大学卒業後、株式会社東武宇都宮百貨店に入社。営業部・宣伝部・販売促進部、総務部など数々の部長職を歴任。2000年田沼町へ出向。2001年「道の駅 どまんなかたぬま」開業から支配人、取締役総支配人、専務取締役総支配人を経て、2007年から株式会社どまんなかたぬまの代表取締役社長を務める。百貨店時代のノウハウを活かし「道の駅」の型を破った営業展開で栃木県ナンバーワン、全国の道の駅の中でもトップクラスの人気の道の駅に成長させた。