
京都市中央卸売市場を拠点に、人々の食卓へ新鮮な魚を届ける株式会社山本水産。代表取締役社長の山本崇氏は、創業者である父と共に二人三脚で事業を発展させ、従業員数を約4倍へと成長させた。その原動力は、若き日に市場で培った「負けたくない」という強い思いと、あえて少し上の目標を掲げる「背伸び」の姿勢にある。競争の激しい市場で、いかに信頼を築き、自らの成長につなげてきたのか。魚食文化の未来や、次世代の若者について語る山本氏に話を聞いた。
同い年の会社と歩む 息子を育んだ市場のDNA
ーー貴社の成り立ちと、ご自身の歩みについてお聞かせいただけますか。
山本崇:
弊社は、祖父が魚屋で修業をしていたことに始まり、私が生まれた1973年に父が株式会社山本水産を創業しました。おかげさまで今年で52年目になります。
私は5人兄弟の長男として生まれ、物心ついた頃から「魚屋の息子」として育てられました。小学生の頃から休みの日は店を手伝い、年末の繁忙期などには中学生ながらも家業に携わっていました。その環境で育ったため、自然と「いつかは自分が後を継ぐのだろう」と思っていました。
ーー実際に事業を受け継いだ経緯を教えてください。
山本崇:
高校卒業後、大学への進学も検討しましたが、親孝行の思いもあり、父に「家業に関わりたい」と伝えました。すると父からは「包丁の使い方を覚えなさい」と勧められ、1年間、別の魚屋へ修業に出ることになりました。
修業期間が終わり、大学生活を謳歌している友達と一緒になって遊んでいた時期があったのですが、「このままではいけない」と考え、19歳の時に弊社に入社することを決めました。
男の世界 競り場で貫く「背伸び」の流儀
ーー入社当時、社長から見た市場はどのような場所でしたか。
山本崇:
私が子どもの頃から見ていた場所なので、入社しても違和感はありませんでした。しかし、当時は今よりも人が多く、活気がありました。その一方で、良くも悪くも人々の情熱がぶつかり合うような、厳しい世界でした。正直に言うと、「ここでずっと働くのは無理だろうな」と感じたこともありました。
当時の市場はまさに「男の世界」でした。同世代のライバルも多く、競り場は自分の力量を証明する舞台です。周囲が大量の魚を買い付けていく姿を目の当たりにし、「負けたくない」「いつか自分もあの場所に立ちたい」という想いが強くなりました。
ーー最も大切にされてきた信念や考え方についてお聞かせください。
山本崇:
私自身の成長の原動力となったのは、「あえて少しだけ背伸びをする」という信念です。たとえば、本当は10ケースしか売れる見込みがなくても、あえて20ケース、30ケースと仕入れるのです。もちろん、売るのは大変です。生ものですから在庫を抱えるわけにはいきません。しかし、その大変な状況を乗り越えようと努力することこそが、自身の成長につながると信じてきました。
20ケースを売り切ることができれば、それが次の自分の基準になります。常に少しだけ背伸びをすることで、気づけば以前では考えられなかったような量を扱えるようになっています。
ーー売上を伸ばすために、どのような努力をされたのでしょうか。
山本崇:
売り先を増やすためなら、なりふり構わず何でもしました。全く面識のないお店にトラックで乗りつけて、「こういうものですが、いかがですか」と飛び込み営業をしたこともあります。それくらい、売りたいという気持ちに対してハングリーでした。
商売をする上で、勇気はとても重要だと思います。もちろん、父が築いた確かな土台はありましたが、それに依存することなく、まずは自分という人間を信頼してもらうための努力を続けました。
ーーお客様との信頼関係を築く上で、特に大切にされていることは何ですか。
山本崇:
クレームへの迅速な対応です。「クレームこそ、お客様との関係を深める絶好のチャンスである」と考えています。すぐに駆けつけて真摯に謝罪することで、信頼を積み重ねていくことができるのです。
結局は、人対人の商売です。同じものを売っていても、「この人から買いたい」と思ってもらえるかどうかがすべてです。お客様に信頼していただいたおかげで、今の自分があると思っています。
魚食文化の発展へ 水産仲卸業の魅力と課題

ーー山本様にとって「魚」の魅力とは何でしょうか。
山本崇:
私自身、魚を食べるのが何よりも大好きです。父が魚好きで、いつも家に美味しい魚を持って帰ってきてくれた影響が大きいと思います。この魚に対する愛着が、私の仕事の原点です。
私にとって魚の最大の魅力は、圧倒的な種類の多様性です。牛肉、豚肉、鶏肉といった畜肉は種類が限られますが、魚は驚くほど多様な種類が存在し、それに伴い調理法も無限に広がっています。また、季節感を感じられることも大きな魅力です。春にはホタルイカ、夏はアジやイカ、冬になればカニが出てくる。この奥深さこそが、魚が持つ最大の魅力だと感じています。
ーー貴社の事業内容について、改めて詳しくお聞かせください。
山本崇:
京都市中央卸売市場での水産仲卸業が主軸です。市場で仕入れた魚を、スーパーマーケットなどの量販店に卸しています。
また、加工場を持っていることも弊社の強みです。病院や老人ホーム、保育園などへ切り身を納品したり、お客様の要望に応じて頭や内臓を取るなどの一次加工を施したりして、付加価値の高い商品を提供しています。特に京都の夏に欠かせないハモは、骨切り加工の需要が高く、専用の工場も設けています。
ーー業界が抱える課題については、どのようにお考えですか。
山本崇:
現在、業界全体で直面しているのは、魚食離れと後継者不足の2点です。魚が健康に良いと分かっていても、家庭で調理する手間などから敬遠されがちな現状があります。この状況を覆し、魚の美味しさを次世代に伝え、日本の豊かな「魚食文化」を発展させていくことこそが、私たちの責務であり使命だと感じています。
また、どの業界も同じですが、若い働き手がなかなか入ってこないのも大きな課題です。市場の仕事は朝が早いというイメージが先行しがちですが、その分、午後の時間を有効に使えるという魅力もあります。
楽しくなければ仕事ではない 若手に広げる成長の道
ーー今後の事業展開における具体的な展望をお聞かせいただけますでしょうか。
山本崇:
これからは若い世代へ、少しずつシフトしていきたいと考えています。そのためにも、若い人材が魅力を感じてくれるような会社にしていかなければなりません。私自身の経験からも言えますが、この業界には若手が成長できるチャンスが豊富にあります。私自身、社長という立場でありながらも現場感覚を忘れないよう一担当者として現場に立ち続けていますが、今後は一歩引いた経営視点から事業全体を俯瞰し、若い力が存分に活躍できる土壌を整えていくのが私の新たな役割だと考えています。
ーー最後に、日頃から大切にされている座右の銘があればお聞かせください。
山本崇:
「笑う門には福来る」です。これは幼い頃から母に言われ続けてきた言葉で、何事も楽しくなければ続かないと思っています。辛いことや悔しいこともたくさんありましたが、いつも笑顔を忘れずにやってきました。仕事も同じで、どうせやるなら楽しく、ワクワクしながら取り組みたい。お客様の期待に応えたい、もっと良いものを届けたいという思いが、仕事を楽しむ原動力になっています。これからもきっと良いことがあると信じて、笑顔で進んでいきたいです。
編集後記
「10ケースしかいらないのに20ケース買う」。山本氏が語った、自らを成長させるための「背伸び」の信念は、あらゆるビジネスに通じる普遍的な示唆に富む。市場という伝統的な世界で、ハングリー精神を武器に道を切り拓いてきた経験は、言葉に力強い説得力を与える。「笑う門には福来る」という座右の銘の通り、その表情は常に明るく、周囲を巻き込むエネルギーに満ちている。変化の時代を生きる若い世代にとって、同氏の生き様は、挑戦することの価値を改めて教えてくれるだろう。

山本崇/1973年京都府生まれ、京都府立洛西高校卒業。1年間の魚屋修行を経て1992年に入社。2013年に代表取締役に就任。