
「天誅(てんちゅう)」シリーズをはじめ、数々の独創的なゲームを世に送り出してきた株式会社アクワイア。30年の歴史の中で、社員一人ひとりの挑戦を後押しするボトムアップ型の開発スタイルを確立し、大手企業のタイトル開発でも確かな実績を誇る。同社を率いる代表取締役社長の遠藤琢磨氏は、中学生でゲーム会社の社長を志し、大学卒業後すぐに起業した経歴を持つ。「人と違う道を歩みたい」という子どもの頃からの思いは、いかにして世界的なヒット作を生み、独自の社風を育んだのか。遠藤氏が目指す「ゲーム史に残る一作」への情熱、その根源に迫った。
ゲームに魅せられた少年時代 独学から起業への道のり
ーーまずは、キャリアの原点を教えていただけますか。
遠藤琢磨:
ゲーム会社の社長を志したのは中学生の頃です。当時はお金がなくてゲームをたくさん買えなかったので自分でゲームを制作していました。徐々に、遊ぶこと以上につくることの面白さにのめり込んでいき、独学で勉強を始めました。当時はインターネットがありませんでしたが、代わりに『Oh!X』や『マイコンBASICマガジン』など、実に100冊近くものパソコン雑誌が発行されていた時代です。多くの業界志望者と同じように、私もそれらを読み漁って知識を吸収していました。
その後、大学受験に失敗して浪人生活を送ることになりますが、その間も勉強そっちのけでゲーム制作に没頭していましたね。作品が完成していく中で「これならプロでも通用するのではないか」と妙な自信が湧いて、ある大手ゲーム会社に「就職したい」と直接電話をかけたこともあります。しかし、担当者からは「C言語やアセンブラ(※)ができないと無理だ」と門前払いを食らってしまいました。
そこで改めて自分の実力不足と、「まだ時間が必要だ」という現実を痛感しました。結果として大学は情報工学部に進学し、在学中の4年間もひたすらゲームをつくり続けていました。
(※)アセンブラ:コンピュータのハードウエア能力を高い水準で表現できる、高難度のプログラミング言語。
ーーその後、起業の道を選ばれたのはなぜですか。
遠藤琢磨:
昔から「人とは違う生き方をしたい」という思いが強く、就職活動をしてみたものの、どうしても自分にはしっくりきませんでした。そんな時、大学の友人に「一緒にゲームを作ろう」と誘われ、まずは3人でフリーランスのような形で活動を始めたのです。
その後、法人化に踏み切ったのは、半年ほど働いて300万円の資金が貯まった頃でした。ちょうど家庭用ゲーム機の初代「PlayStation」が発売された時期だったのですが、ソニーに問い合わせたところ、「法人でないとゲームはつくれない」と告げられたのです。そこで、「ならば会社にしてしまおう」と貯めた資金を元手に、有限会社アクワイアを設立しました。
ただ、社会人経験ゼロでの起業でしたから、ビジネスの常識は皆無です。請求書や見積書の書き方すらわからず、本屋で入門書を買ってきて見よう見まねで対応する日々。親には猛反対されましたが、当時は「ゲームづくりこそが自分の天職だ」と信じて疑いませんでした。
3Dゲーム黎明期の苦労と苦難を経て確立した独自路線

ーーこれまでのキャリアの中で、特に印象に残っているエピソードはありますか。
遠藤琢磨:
やはり、創業初期に手がけた「天誅」の開発は印象に残っています。当時は、3Dの立体空間を活かしたゲームはまだまだ少ない時代でした。そこで、立体空間の中でかくれんぼをするという、今までになかった体験をつくろうと考えました。忍者をモチーフに「暗殺」という行為をゲーム化したのです。
グラフィックなどは手探りでしたが、結果的に全世界で150万本の大ヒットにいたりました。この結果を受け、私たちが信じた面白さが世界に受け入れられたと、強く心に残っています。私たちが提供したかった、「今までになかった遊びをつくる」というコンセプトは正しかったと確信しています。
ーー開発において、特に苦労した点はありましたか。
遠藤琢磨:
3Dゲームの黎明期ゆえに参考となる作品がほとんどなく、すべてが手探りだった点です。「これで本当にいいのだろうか」と迷い、つまずくことも多々ありました。しかし、この苦労があったからこそ、「私たちはナンバーワンはとれない。だからオンリーワンを狙っていく」という現在の姿勢が確立されました。人の真似ではなく、自分たちだけの独自性を追求する精神は、この経験から生まれたのだと感じています。
社員が主役のゲームづくり 挑戦を後押しする社風
ーー貴社の強みはどの点にあるとお考えですか。
遠藤琢磨:
ゲームの企画から完成まで、自社内で一貫して制作できるスタッフが揃っている点です。また、30年という歴史の中で、大手企業からご依頼いただいたタイトルを成功させてきた実績も強みであり、信頼できるゲーム開発会社として業界内で認めていただけているのではないかと感じています。
ーー組織としては、どのような文化が根付いているのでしょうか。
遠藤琢磨:
役職にかかわらず意見を言い合えるフラットな環境と、常に挑戦を忘れない姿勢が根付いています。私自身、堅苦しい縦社会が好きではないこともあり、一部のカリスマが引っ張るトップダウン型ではなく、社員一人ひとりがアイデアを出し合うボトムアップ型の組織を徹底しています。オンリーワンのゲームをつくるには、未知の領域へ一歩踏み込む勇気が必要ですので、挑戦意欲のある人には年次に関係なくチャンスを提供しています。
この方針は創業初期の経験が原点にあります。実は、「天誅」を発売した直後、次の仕事が決まるまでの資金繰りがうまくいかず、会社が倒産しかけたことがありました。その時、私が「自分のつくりたいもの」を突き詰めた結果、会社を危機に陥らせてしまったと痛感したのです。
それ以来、「自分がつくりたいもの」を優先するのではなく、「社員がつくりたいもの」をつくる環境を整えるという考えに切り替え、現在の全員参加型のスタイルへと変化させました。
中小企業が世界市場で勝つための課題

ーー海外展開において、どのようなことを意識されていますか。
遠藤琢磨:
海外ユーザーのニーズに合わせすぎると、日本発のゲームならではの良さが薄れ、かえって売れないという経験則があります。海外の文化を中途半端に真似ても、それは偽物に見えてしまってユーザーの心には響きません。むしろ、私たちの強みを突き詰めた作品の方が評価される傾向にあると考えています。自分たちらしさを失わずに海外で受け入れられるタイトルとは何か、その答えをまだ掴みきれていないのが現状の課題です。
ーー今後の事業における目標についてお聞かせください。
遠藤琢磨:
まず事業としての目標は、自社のオリジナルタイトルで世界的なミリオンヒット作を生み出すことです。昔は国内市場だけでもミリオンセラーがたくさんありましたが、今は非常に難しい時代になりました。海外で売上を立てなければ、弊社のような中小企業は勝負になりません。私の代で、これを成し遂げたいと思っています。
その上で、私がクリエイターとして成し遂げたい夢は、「ゲーム史に残るゲームを生み出すこと」です。世の中には様々なゲームがありますが、後に「ゲームの歴史にこんな作品があった」と語り継がれるような、人々の記憶と記録に残るゲームを生み出したいのです。ヒット作の真似をしたゲームは、元になった作品を超えることはできません。新たなジャンルの起点となるような、唯一無二のタイトルをこの手でつくり上げたいと考えています。
編集後記
「人と違う生き方をしたい」という純粋な衝動が遠藤氏のキャリアを形づくった。就職ではなく仲間とゼロから会社を興した経験が、それまでに類を見ないゲームを生み出す原動力となった。成功の裏にあった倒産の危機から学んだ、「社員が主役であるべき」という信念が、挑戦を促すフラットな社風を育んでいる。同氏が目指す「ゲーム史に残る一作」とは、単なるヒット作ではない。それは、自身の生き方と会社が歩んできた道のりの結晶であり、未来のクリエイターに示す道標となるだろう。

遠藤琢磨/帝京技術科学大学(現・帝京平成大学)で情報工学を学んで1994年に卒業後、PlayStationの登場と時を同じくして起業。有限会社アクワイアを設立し、後に株式会社化、代表取締役社長に就任(有限会社時代を含め、在任は約31年)。初めての作品である「天誅」では企画・ディレクションを行い、全世界150万本のヒットを記録。現在はパブリッシャーとしても販売活動を始めている老舗ゲームメーカーの代表として活躍中。