
書籍と知育玩具を通じて、子どもたちをはじめすべての人の「できた!」というかけがえのない瞬間を支え続ける株式会社くもん出版。その事業の根底には、創業以来受け継がれてきた、「一人ひとりの可能性を信じる」という揺るぎない理念がある。2024年7月に代表取締役社長に就任した泉田義則氏は、長年編集者として、徹底した現場主義で商品の価値を追求してきた人物だ。その視点の変化の中で見据える、デジタル時代の新たな価値創造と未来への展望について話を聞いた。
自らの原点「教育」への回帰 編集者としての新たな挑戦
ーーまずは、これまでのキャリアの歩みについてお聞かせください。
泉田義則:
もともと教職にあこがれがあり、学生時代には塾で講師も経験しました。周りにマスコミ志望の友人が多かった影響もあり、就職活動では、教育だけでなく出版の世界にも興味を持つようになりました。
新卒で入社した会社は、書籍から映像、ゲームソフトまで幅広く手がけていました。私は書籍の制作に軸足をおきつつ、さまざまなメディア・ジャンルの商品開発に携わりました。ただ、いろいろなことに挑戦できる楽しさと同時に、疑問も感じるようになりました。
やはり自分の原点は「教育」にあると強く再認識し始めたタイミングで、新聞で弊社の求人広告を見つけたのが転機となりました。公文式教室の存在は知っていましたが、出版事業を手がけていることはそのとき初めて知り、「面白そうだ」と直感したことを覚えています。
入社後は編集部に配属され、児童書や絵本、学習まんがなどを担当しました。その後、幼児向けのカード教材なども担当し、一時的に営業を経験したこともあります。編集部に戻ってからは、小学生・中学生向けの学習参考書や、脳トレブームの先駆けとなった「大人のドリル」シリーズの拡充など、さまざまなジャンルに携わりました。
料理が脳を鍛える!? 科学的検証実験から始まった一冊
ーーキャリアの中で特に印象的だったお仕事について教えてください。
泉田義則:
2003年、単純計算と音読が脳を活性化し、脳の健康を保つという科学的なエビデンスをもとに弊社から刊行した「脳を鍛える大人の計算ドリル」「同音読ドリル」は、新鮮な切り口から驚きをもって市場に迎えられ、ミリオンセラーになりました。その著者、東北大学の川島隆太教授から、ある日「脳を活性化させるには料理もすごくいい。料理で脳を鍛えるドリルをつくってくれ」という要望が編集部に入り、私が担当することになりました。
川島先生のご指導のもと、まずは千切りやかつらむきといった一つひとつの料理テクニックが、どれだけ脳を活性化させるのかを検証することから始めました。仙台の料理学校にもご協力いただき、キッチンスタジオに測定機器を持ち込んで、老若男女、多くの被験者の協力のもと、料理中の脳の様子を測定する実験を行いました。その結果、あらゆる料理テクニックで前頭前野の活性化が見事に証明され、確信を持って本づくりを進めることができました。
原稿のチェックでは、実際にすべてのレシピを自分で試す必要があったので、自宅のキッチンも仕事場と化しました。作業が深夜に及ぶことも多く、脳が活性化するからか、目がさえて眠れなくなるなど、大変なこともありましたが、「脳を鍛える大人の料理ドリル」として無事に世に出すことができました。私にとって料理という題材は初挑戦で、ある種の「学び」に没頭するのはとても面白い経験でした。大人になったからこそ体験できる学びの楽しさ…この経験は、今弊社で取り組み始めた「大人の学び」へのこだわりに通じているかもしれません。
組織の根幹にある理念 「できた!」の喜びを支える現場の力

ーー社長に就任される際、どのような心境でしたか。
泉田義則:
社長就任の打診はかなり早い段階から受けていたのですが、当初は「自分はそんな器ではない」と、あまりリアリティを覚えていませんでした。転機となったのは、経営学者・野中郁次郎先生が主催するフォーラムへ1年半派遣されたことです。各業界の次世代リーダーが集うその場は、KUMONグループ経営陣の多くも経験した登竜門。その事実を知り、「これは本気なのだ」と身が引き締まりました。
実際に就任してみると、編集者としてものづくりに没頭するのと、経営者として組織の舵取りをするのとでは、思考のモードがかなり違いました。また、自分の人脈はものづくりに関するお付き合いに限られ、加えて、弊社は出版社であると同時に玩具メーカーでもあるため、お付き合いの幅も2倍になります。ただ、時間的な負担は大きいものの、作家やクリエイター、制作スタッフなど編集者時代の人脈開拓と同様、出会いは可能性との出会いであることを、日々、あらためて実感しています。
ーー貴社が最も大切にしていることは何ですか。
泉田義則:
書籍も知育玩具も、私たちが提供する商品の根底にあるのは、「『できた!』の喜びを一人ひとりに届けたい」という思いです。簡単なことから始めて少しずつ難しいことに挑戦する「スモールステップ」。これによって成功体験を積み重ね、それが自信となって次の挑戦への原動力になる。このサイクルが生み出す「自信」と「自ら学ぶ力」を大切にしています。
ーー貴社の強みについて、どうお考えですか。
泉田義則:
最大の強みは、全国に広がる公文式教室という「場」があることです。公文教育研究会の創業者である公文公(くもん とおる)は、「子どもから学ぶ」という姿勢を非常に大切にしていました。教室の先生方が日々子どもたちと向き合う中で得た気づきや工夫。それが、私たちの商品開発におけるオリジナリティの源泉となっています。
単なる物販ではない出会いの創出 「コト」を軸にした新戦略
ーー近年、特に力を入れている取り組みについて教えてください。
泉田義則:
全国の書店様にご協力いただき、「KUMONすくえあ」という体験型の売り場を展開しています。ドリルや知育玩具、文具といったKUMONブランドの商品を一堂に集め、子どもたちが実際に商品を手に取って遊べるスペースを併設した場所です。
これは、単に商品という「モノ」を売る場ではありません。親子で「コト」を体験してもらう場になっています。子どもが夢中になって遊び、「できた!」と目を輝かせる瞬間を親御さんが目の当たりにする。我が子の新たな一面や成長の可能性を発見してもらえることが、この売り場ならではの価値です。
「モノ」から「コト」へと発想を転換し、顧客との出会いの場を変えていくこと。それが、これからのマーケティングには不可欠かもしれません。
社員の情熱が拓く未来 デジタル時代だからこそ見えてくるアナログの価値
ーー貴社の社員の強みは、どのような点にあるとお考えですか。
泉田義則:
社員一人ひとりが、自社の商品に深い愛情と誇りを持ち、すべての人の成長を心から願っていることです。彼らは商品知識が豊富なだけではありません。「売れて終わり」ではなく、ご家庭をはじめ、あらゆるシーンでの「できた!」の喜びと可能性を、情熱をもって伝えてくれています。その熱意ある働きかけが、「KUMONすくえあ」のような新しい取り組みの根底にあります。
ーー最後に、今後の展望についてお聞かせください。
泉田義則:
デジタル化が進む社会だからこそ、アナログや物理的(フィジカル)な価値にもこだわっていきたいと考えています。たとえば、「ラクで便利」があふれ、情報収集が指先一つで完結する時代に、子どもたちの握力が低下しているという事実があります。そのような時代、手の力や書く力につながる知育玩具や書籍の重要性は、今後ますます増していくと確信しています。便利さと引き換えに人間が失いつつある能力に着目する。そこに存在意義を見出すことも、私たちの役割の一つだと捉えています。
今後は、ドリルの海外展開で培った実績とグループのネットワークを基盤に、知育玩具の分野でも「できた!」の喜びを海外に広めていきたいです。社員の情熱を原動力に、「モノ」から「コト」への変革をさらに加速させ、顧客との関係性をより深く構築することで、グローバルにKUMONファンを増やしていきたいと思います。
編集後記
編集者としての徹底した現場主義と、経営者としての未来を見据える広い視野。泉田氏の話からは、その両輪をダイナミックに回転させながら事業を推進する情熱が伝わってきた。「できた!」という普遍的な喜びを届けるため、デジタル時代にあえてアナログな体験価値も追求する姿勢は、同社の揺るぎない信念の表れだろう。その挑戦を支えるのは、商品を我が子のように愛する社員一人ひとりの熱意にほかならない。彼らが一体となって生み出すイノベーションが、子どもたちの未来をどう豊かにしていくのか、今後が楽しみだ。

泉田義則/1965年東京都生まれ、千葉県育ち。1989年早稲田大学第一文学部文学科卒業後、書籍・映像・ゲームソフトの制作会社を経て、1992年株式会社くもん出版に入社、編集部に配属。以降、児童書、学習書、カード教具、一般書などを担当。編集部長、編集部担当取締役、常務取締役を経て、2024年7月、同社代表取締役社長に就任。