※本ページ内の情報は2026年2月時点のものです。

「業務スーパー」のフランチャイズ展開を主軸に、首都圏や北海道で地域集中出店戦略を進める株式会社良知経営。同社は単なる小売業に留まらず、生産者と消費者を直接つなぐ「生販一体」の思想のもと、1次産業の持続的成長を目指す6次産業化や、再生可能エネルギー事業にも力を注ぐ。その根底には、実家の焼酎メーカー再建や自社の経営危機を乗り越える中で体得した、稲盛和夫氏の経営理念があった。「6次産業×環境維新=日本創生」というミッションを掲げ、日本の未来を切り拓く代表取締役社長の濵田総一郎氏に話を聞いた。

兄弟の結束で成し遂げた家業再建の原体験

ーー社会人として最初のキャリアについてお聞かせください。

濵田総一郎:
私のキャリアは、大学卒業後に入社した東武鉄道株式会社から始まりました。現場からのスタートで、駅員や車掌、そして運転士までを経験した後、全社員数千人を抱える組織の管理部門に配属されたのです。そこでは予算業務と並行して新入社員の教育を担当していたのですが、あるとき、新入社員研修で使うカリキュラムを作る必要があり、多忙を理由に前年度のものを流用しようとしたことがありました。

それを見た上司は「教育の一回一回は、受ける側にとって一生に一度の真剣勝負。その重みを忘れて、なぜ去年と同じもので済ませようとするのか」と私を厳しく叱責したのです。その言葉に目が覚める思いがしました。私はその夜、徹夜でカリキュラムをゼロからつくり直しました。

仕事への妥協なき姿勢を叩き込まれたこの経験は、経営者となった今でも私の原点となっています。その上司とは今でも交流があり、社会人としての基礎を築いてくださったことに感謝しています。

ーーそこから、家業に入られたのはどのような経緯があったのでしょうか。

濵田総一郎:
東武鉄道で3年半ほど勤めた頃、父から「家業の経営状況が悪化している」と連絡がありました。既に兄が家業を継いでいましたが、一人で立て直すには大きな壁が立ちはだかっているという状態でした。私は尊敬する上司のもとでずっと勤める覚悟でしたが、父が東武鉄道の人事部長へ直接手紙を送るほど、状況は切迫していました。

私の葛藤を知った会社側は、家庭の事情を深く汲み取ってくださり、「実家のために全力を尽くしなさい」と、温かく背中を押してくれたのです。断腸の思いでしたが、その厚意に甘えて帰郷を決意しました。

ーー事業再建の過程でどのような学びがありましたか。

濵田総一郎:
いざ戻ってみると、聞いていた通り、会社の経営状況は非常に厳しいものでした。しかし、そんな状況であっても、父は「日本一の焼酎メーカーになる」という途方もない旗印を掲げたのです。父は、それぞれ別の会社に勤めていた私を含む4人の息子を全員呼び戻し、「毛利元就は三本の矢だが、濵田兄弟は四本の矢だ。一致団結すればやれる」と、熱く叱咤激励しました。資金や人材が潤沢とは言えない状況からのスタートでしたが、父の掲げた高い志が、別々の道を歩んでいた兄弟の心を一つにしたのです。

そんな父の言葉を胸に、私たちは「日本一」を目指して東京や大阪へ支店を出し、必死で全国への販路開拓に挑みました。その結果、今では鹿児島県でナンバーワン、日本で3番目の焼酎メーカーへ成長する会社となりました。

この再建を通じて、何もないところからでも人が本気で団結すれば道は切り拓けるという、まさに無から有が生み出されていくプロセスを、身をもって体験するとともに、「どれほど厳しい状況でも、高い志と仲間の信頼があれば必ず成功できる」という理屈を超えた自信が深く刻み込まれました。この経験は間違いなく、私の経営者としての原点になっています。

規制緩和による市場変化と経営判断の転換点

ーーその後、独立して事業を始められた経緯を教えてください。

濵田総一郎:
家業の再建が軌道に乗ったことで、自らの手で新たなビジネスを興したいと考えるようになりました。

1991年当時、日本人が海外の免税店でブランド品を買い求める動きが盛んでした。私は、わざわざ海外へ行かなければ良質な品を安く手に入れられない現状を変えたいと考えたのです。そこで、「パスポートを持って海外に行かなくても、同じものがもっと安く買える」というコンセプトを掲げ、社名も店名も「パスポート」と名付け、ディスカウントストアを創業したのが私の起業家としての第一歩でした。

ーー事業の経営状況はいかがでしたか。

濵田総一郎:
開店初日の売上高が800万円に達するなど、すべり出しは非常に順調だったのですが、私自身がブランド品にあまり情熱を持てなかったこともあり、事業の方向性を転換し、輸入洋酒やワインなどを中心とした酒の専門店に切り替えました。これが大当たりし、125坪ほどの小さな店で1日に4000万円、年間で40億円を売り上げるほどの繁盛店になりました。

しかし、多店舗展開に乗り出し、上場も見据えていた矢先のことでした。2003年に酒販免許が実質的に完全自由化されるという、大きな転換点が訪れたのです。これまで特定の免許が必要だったお酒を、スーパーやコンビニ、ディスカウントストアが次々と扱い始めました。市場環境は一変し、100億円あった売上高は62億円まで激減したのです。このときは、「もう、このまま会社はつぶれてしまう」と、最悪の事態を覚悟しましたね。

稲盛和夫氏の教え 会社を飛躍させた「成功の3点セット」

ーー経営危機から這い上がる原動力となったものは何だったのでしょうか。

濵田総一郎:
当時入塾していた、稲盛和夫氏主宰の経営塾「盛和塾」での学びが、危機を乗り越える原動力となりました。稲盛氏との出会いは衝撃的で、「経営には必ず成功する方程式がある」と確信するようになったのです。会社が最も窮したとき、私は本気で稲盛氏の教えを学び、経営に活かそうと決意しました。これが私の経営者人生における本当の意味でのターニングポイントです。窮地に立たされたからこそ、稲盛氏の経営哲学を信念を持って実践する覚悟が固まり、私の中に成功のイメージが明確に湧き上がってきたのです。

ーー具体的に、どのような変革を実行されたのかお聞かせください。

濵田総一郎:
どん底の窮地を脱するために、私が「成功の3点セット」と呼ぶ経営変革でした。

1つ目は理念・フィロソフィーを明確に掲げ、従業員と共有することです。これまでは経営層だけで抱えていた思いを明文化し、全従業員が同じ価値観で働けるよう徹底しました。まず理念という「心の方向性」がそろわなければ、真の改革は始まらないと考えたからです。

2つ目は、稲盛氏から直接教わった「アメーバ経営」の導入です。これは組織を小さなユニットに分け、それぞれを独立した会社のように運営する手法です。会社の数字をすべてガラス張りにすることで、一人ひとりが自分のユニットの損益を自主的に管理します。自分の知恵と努力がどのように数字に結びつくかが見えるようになり、全員が「経営者意識」を持って参加する組織へと生まれ変わりました。

そして3つ目がビジネスモデルの転換です。かつての石炭産業が衰退したように、お酒の専門店という事業は規制緩和によってもはや未来のない斜陽産業になっていました。どんなに素晴らしい理念を掲げ、優れた経営手法を導入しても、戦う土俵そのものが間違っていれば生き残ることはできません。そこで私は、許認可に左右されず自由に展開できる食品の領域、「業務スーパー」への完全な業態転換を決断したのです。

業務スーパーへの転換を支えた創業者との出会い

ーーなぜ「業務スーパー」を選ばれたのでしょうか。

濵田総一郎:
先ほど話した「成功の3点セット」の3つ目である、ビジネスモデルの転換を実践するためです。お酒の事業は、免許という許認可に存続を左右されてしまう脆さがありました。実際に規制緩和によってどん底を経験したからこそ、二度と外部環境に振り回されないよう、自分たちの努力次第で自由に市場を切り拓ける「食品」の領域へ進むべきだと考えていたのです。

そして、既存の食品スーパーとも競合せず、独自の価値を提供できる業態を探していたとき、株式会社神戸物産がフランチャイズ展開する「業務スーパー」が関東に1号店を出したと知りました。店舗を視察し、そのビジネスモデルに大きな可能性を感じた私は、すぐに兵庫県加古川市にある本社へと向かい、創業者である沼田氏に会いに行きました。

ーー実際に会ってみて、どのような印象を受けましたか。

濵田総一郎:
初めてお会いしたとき、「天才経営者とはこういう人か」と衝撃を受けました。稲盛氏の天才性が誰でも学べば実践できる普遍的なものであるのに対し、沼田氏の天才性は0から1を生み出す独創的なものでした。商品の原価計算がすべて頭の中にあり、それも小数点以下の単位で動いている。非常に論理的で、話を聞いていると成功する未来しか見えませんでした。

何より感銘を受けたのは、時代の大きな流れを読む力です。食品ロスという社会課題を解決するため、菌をコントロールして賞味期限を延ばす技術や、鮮度を保ったまま長期保存できる冷凍食品の開発に早くから着目されていました。自身の理想を実現するため、既存の機械に頼らず、製造機械や店舗の什器まで自分で設計してしまう。この人と一緒に事業を行えば必ず成功できると確信し、フランチャイズ加盟を決意しました。

「生販一体」で実現する一次産業の再生構想

ーー貴社の強みについてお聞かせいただけますか。

濵田総一郎:
私たちの強みは、大きく分けて2点あります。1つは、特定地域に集中して出店する「ドミナント戦略」です。首都圏や北海道といった重点エリアにおいて、地域ナンバーワンのシェアを獲得することで、物流効率の向上と圧倒的な認知度を確立しています。

もう1つは、独自の「生販一体」体制です。もともとの強みであったお酒の品ぞろえに加え、現在は青果や精肉といった生鮮食品を強化しています。神戸物産の「製販一体」が製造(製)を指すのに対し、私たちが目指すのは1次産業、つまり生産(生)の現場にまで踏み込む「生販一体」です。

具体的には、生産者と最終消費者を最も効率よくつなぐ「プラットフォーム」を構築しようとしています。流通の無駄を徹底的に省くことで、生産者には正当な利益が残り、消費者には価値ある商品を安く届けられる。1次産業に従事する方々が夢を持って次世代へバトンを渡せる仕組みこそが、他社には真似できない私たちの競争優位性なのです。

ーー1次産業を持続的に成長させるための具体的な取り組みはありますか。

濵田総一郎:
生産者の方々が直接商品を販売できる「産直コーナー」を設けています。農家の方々が最も心を痛めているのは、味も鮮度も変わらないのに、形が不ぞろいだったり少し傷があったりするだけで、丹精込めて作った野菜を廃棄しなければならないことでした。そこで私たちは、そうした規格外の野菜もすべて引き取ったり、生産者自身が値段を付けて販売できる場を提供しています。これがお客さまにも大変好評で、生産者の方々も活気を取り戻しつつあります。現在はこの「産直コーナー」のネットワーク化を、推し進めているところです。

6次産業と環境維新 未来を創造する「日本創生」への挑戦

ーーその他に現在取り組まれていることはありますか。

濵田総一郎:
地球温暖化という先送りできない社会課題に対し、私たちは再生可能エネルギー事業を通じて解決策を提示しています。特に、後継者不足で増え続ける耕作放棄地や休耕地を、再び価値を生む場所へ変える取り組みに注力しています。

現在、すでに実用化を進めているのが「ソーラーグレージング®️(太陽光発電×放牧)」です。これは、ソーラーパネルの下で羊を放牧する仕組みで、間もなく北海道で本格的な稼働に向けたパイロットプラントがスタートします。羊が除草を担うことで管理コストを抑えられるだけでなく、パネルの下が羊にとって最適な休憩場所となり、ストレスが軽減されて肉質も良くなるという相乗効果があります。

さらに、今後私たちが積極的に展開しようとしているのが「ソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)」です。農地の上部にソーラーパネルを設置し、農業と発電を両立させます。農業収入に加えて売電によるダブルインカムを得られるこのモデルは、収益性の低さに悩む農家にとって大きな希望となります。実際に、やる気のある30代の若い農業集団からも「ぜひ一緒にやりたい」という声が上がっており、行政からも強い期待を寄せられています。

ーー今後のビジョンについてお聞かせください。

濵田総一郎:
私たちが掲げるミッションは「6次産業×環境維新=日本創生」です。1次産業(生産)としての農林漁業と、2次産業(加工)としての製造業、3次産業(販売)としての小売業等の事業との総合的かつ一体的な推進を図り、地域資源を活用した新たな付加価値を生み出す取り組みである「6次産業」を推進し、そこに環境問題の解決をかけ合わせることで、日本の地方創生、ひいては国全体の創生に貢献したいと考えています。

具体的には、生産者がつくったものを自分たちで加工・販売し、そこから出る食品残渣はバイオマス発電のエネルギーや肥料に転換していく。このような無駄のない循環型社会を築くネットワークを、全国へ広げていくことが私たちの目標です。

会社の成長を支える「企業は人なり」という信念

ーー最後に、経営において最も大切にしていることを教えてください。

濵田総一郎:
「企業は人なり」という言葉に尽きます。会社を動かしている実態は、店舗や設備といった有形の資産ではなく、そこに魂を吹き込む従業員一人ひとりの意識です。同じ理念を共有し、心の方向性を合わせ、仲間や社会の幸せのために自分の持ち場で全力を尽くす。その意識エネルギーの総和こそが、会社を動かす原動力なのです。

才能や頭の回転の速さも一つの能力かもしれません。しかし、私が本当に信頼しているのは、たとえ不器用でも、会社のミッションを信じ抜き、覚悟を持って仕事に取り組んでくれる人です。目先の要領の良さよりも、信念を持って一歩ずつ歩み続ける。そうした人々が、時間をかけて組織を支える「本物の人財」へと成長を遂げるのです。そうした人財を大切に育む環境を守り抜くことこそが、経営者である私の最大の務めだと考えています。

編集後記

濵田氏の経営の根底には、稲盛和夫氏から受け継いだ経営理念と、父の背中を通じて幼いころから血肉となった西郷隆盛の「敬天愛人」の精神が深く根付いている。実家の焼酎メーカー再建や、自社の経営危機といった逆境を乗り越えた経験が、その揺るぎない信念を形成した。単なる事業拡大ではなく、生産者、消費者、従業員、そして日本の未来までを見据える「6次産業×環境維新=日本創生」というミッション。それは、関わるすべての人の幸福を追求するその挑戦であり、日本の1次産業に新たな可能性を示す希望の光である。

濵田総一郎/1955年鹿児島生まれ。武蔵大学経済学部卒業。東武鉄道株式会社での勤務を経て、帰郷。家業である濵田酒造株式会社の立て直しに尽力。1991年に株式会社パスポートを創業し、社長に就任。2021年に持株会社である株式会社良知経営を設立し、ホールディングス体制へ移行。連結子会社10社を擁する良知経営グループの代表に就任。食とエネルギーの課題を解決すべく「6次産業×環境維新=日本創生」をビジョンに掲げる。