※本ページ内の情報は2026年2月時点のものです。

福岡県を拠点に、約70年にわたり日本の防衛事業を支える株式会社ワキタハイテクス。特殊な容器や装置の製造を手がけ、国の安全保障に不可欠な役割を担ってきた。その歴史ある企業を率いるのが、三代目社長の脇田大揮氏である。幼少期は社長である父に反発し、家業を継ぐ未来を全く描いていなかった。地方銀行員を経て、ある転機をきっかけに父の会社へ。しかし、社長就任後に待ち受けていたのは、成果と引き換えに組織が疲弊していくという厳しい現実であった。苦悩の末に脇田氏が見出した、「全員が可能性を解放できる組織」とは。自社の変革に留まらず、社会貢献へと向かう脇田氏の原動力と未来への展望に迫る。

「社長」が嫌いだった少年時代 父への反発から始まったキャリア

ーーどのような幼少期を過ごされましたか。

脇田大揮:
物心ついた頃から、社長である父のことが嫌いでした。どこか偉そうで、人に頭を下げさせたり、逆に誰かにぺこぺこしたりする姿を見て、「社長とはそういう人間なのだ」と感じていたのです。人に嫌われているようにも見え、その反動で自分は「人に嫌われたくない」と強く思う子どもだった記憶があります。

そのため、将来会社を継ごうという考えは全くありませんでした。父から仕事の話をされることもなく、むしろ「父のようにはなりたくない」という思いから、継ぐ未来は選択肢にすら入っていませんでした。

ーーどのような学生時代を経て、最初のキャリアを選ばれたのでしょうか。

脇田大揮:
学生時代はラグビーに打ち込んでおり、正直なところ、就職活動にもあまり熱心ではありませんでした。周りの学生の流れに乗り、福岡県内の銀行やインフラ企業を受け、最初に内定をいただいたのが地方銀行だったのです。

挫折と転機 父の会社へ入社して見えた新たな景色

ーー銀行員としてのご経験で、現在に活きていることはありますか。

脇田大揮:
6年間、融資業務などで500社ほどの決算書を見てきた経験は、財務に関する知識は今の経営に直接役立っています。それ以上に大きな学びとなったのは、反面教師としての経験です。当時の職場は、個人の可能性を閉ざし、人の心を軽んじるような側面がありました。そこで「人の痛み」を知り、組織においては何よりも「人の心」や「個人の可能性」を大切にすべきだと気づかされました。この時の経験が、今の経営の原点になっています。

ーーどのような経緯で貴社へ入社されたのでしょうか。

脇田大揮:
銀行を適応障害で退職した後、父から声をかけてもらい、アルバイトとしてまず工場の現場で働き始めたことがきっかけです。そこで初めて、自社が防衛という国の根幹を支える、社会的に非常に意義のある仕事をしていると知ったのです。歴史も長く、多くの従業員が働くこの会社を、素直に素晴らしいと感じました。

ーー入社当時、従業員の反応はいかがでしたか。

脇田大揮:
「よく戻ってきてくれた」と、とても喜んでくださいました。私自身は初めての入社でしたが、やはり「三代目」としての期待があったのだと思います。当時の社長であった父と従業員との間に、少なからず距離があったこともあり、従業員の中には変化を求める気持ちや、「なんとかしてほしい」という思いをひしひしと感じました。

理想と現実の狭間で 就任直後に直面した組織崩壊の危機

ーー入社当時、組織のどのような点に課題を感じていましたか。

脇田大揮:
入社してわずか1カ月で「このままではいけない」と危機感を抱いていました。当時はワンマン経営の色が濃く、組織というよりも「個人商店」の延長のような状態だったのです。銀行員時代に多くの企業を見てきた経験から、コンプライアンスや労働基準法といった、企業として最低限守るべきルールの整備が急務だと感じました。まずはそこから立て直す必要がある、というのが当時の正直な思いでした。

ーーその後社長に就任され、どのような経営を目指されたのですか。

脇田大揮:
就任当初は、父への対抗心から「父以上の成果を出す」という思いが強く、効率や成果を何よりも重視する経営を進めました。結果として売上などの数字は伸びましたが、私と従業員の心はどんどん離れていきました。急進的な改革とのミスマッチにより去っていく社員も多く、組織としての求心力が失われていく現実を前に、深い孤独と葛藤を感じていました。

ーー組織崩壊の危機に直面し、どのように方針転換を図っていったのですか。

脇田大揮:
社長就任からわずか10カ月でこの状況に陥り、成果だけを追い求めても自分の心は満たされないと痛感しました。そこで、成果よりも「社員が心から仕事を楽しめること」や「心理的安全性」を最優先する方針へ大きく舵を切りました。当初は自分なりに試行錯誤しましたが、企業風土を根底から変えるには限界があり、より本質的な変革のために組織開発の専門企業の力を借りることを決断しました。トップダウンの意思決定を廃止し、社員一人ひとりが自分の意思で考え、行動できる「自律型組織」への移行を本格化させています。

大手重工メーカーと同水準の待遇で挑む 「何者かになりたい」人材求む

ーー組織変革の過渡期にある今、どのような人材を求めていますか。

脇田大揮:
業界経験や過去のスキルは一切問いません。実際、元銀行員や自衛官など、全くの異業種から飛び込んできたメンバーが第一線で活躍しています。私が最も重視するのは、「何者かになりたい」という強い渇望があるかどうかです。現在はトップダウンを全廃したフラットな組織ですので、上からの指示を待つ人には合いません。既存の枠組みに囚われず、自らの可能性を信じて解放し、自律的に道を切り拓ける方と共に働きたいですね。

ーー貴社で働く魅力は何でしょうか。

脇田大揮:
福岡にいながら、大手重工メーカーと同等の待遇とスケールで仕事ができる点です。給与水準はライバルである大手企業と合わせ、仕事内容も彼らと同じ高度な防衛装備品の開発です。その上で、大手のような転勤がなく、業務も細分化されていないため、裁量を持って幅広い工程に挑戦できる。ここがエンジニアにとっての最大の魅力であり、弊社が選ばれる理由になっています。

防衛事業の枠を超えて 九州の製造業を牽引する未来

ーー改めて、貴社の事業内容と独自の強みについてお聞かせください。

脇田大揮:
私たちは、自衛隊が使用する装備品の危険物を保管する特殊な容器や、基地で使われる装置などを製造しています。創業以来約70年、国の防衛事業を支えてきました。この業界は、収益率や不安定な生産量などから撤退を選ぶ企業も少なくありません。その中で私たちは防衛事業に特化し、他社では対応しきれない領域まで担うことで、独自の存在価値を確立している点が最大の強みです。

ーー今後、会社の枠を超えて成し遂げたいビジョンはありますか。

脇田大揮:
私にとって会社の売上を伸ばすことは目的ではなく、あくまで影響力を高めるための手段に過ぎません。私の根底にあるのは、純粋に「人の役に立ちたい」という思いです。日本の製造業、特に中小企業には、素晴らしい技術を持ちながら経営面に課題を抱えている会社が少なくありません。今後は、私たちが実践してきた組織変革を一つのモデルケースとして発信し、福岡、そして九州全体の製造業を元気にしていきたいです。経営に悩む企業を救い、地域社会全体に変革の波を起こしていくことこそが、これからの使命だと考えています。

ーーその実現に向けた、3年後、5年後の具体的な目標をお聞かせください。

脇田大揮:
定量的には、3年後までに会社の売上を現在の2倍(200%)に成長させる計画です。そして定性的には、私自身が「福岡の製造業を変える」という活動を本格化させている状態を目指します。自社が圧倒的な成果を出すことで、「ワキタハイテクスのようになりたい」と思っていただけるようなリーディングカンパニーとなる。そうして影響力を高め、社会や業界に対してインパクトを与えられる存在になることが、直近の目標です。

編集後記

幼少期に抱いた父への反発心。それを原動力に、一度は全く違う道を歩んだ脇田氏。しかし、運命に導かれるように家業と向き合い、社長就任後の大きな挫折を経て、独自の経営哲学を確立した。「人の役に立ちたい」。その純粋な思いは、今や自社の変革に留まらず、福岡の製造業、ひいては社会全体をより良くしたいという壮大なビジョンへと昇華されている。彼の挑戦は、事業を継ぐ者だけでなく、自らのキャリアに悩む全てのビジネスパーソンに、壁を乗り越えるための勇気と希望を与えるだろう。

脇田大揮/1987年福岡県生まれ。地銀入行を経て、株式会社ワキタハイテクスへ入社。