※本ページ内の情報は2026年3月時点のものです。

アスリートマネジメントのパイオニアとして、スポーツ界の発展に貢献してきた株式会社スポーツビズ。同社は、アスリート個々のキャリアを支えるマネジメント事業と、企業や自治体の課題をスポーツの力で解決するマーケティング事業を手がける。「スポーツで飯が食いたい」「スポーツで生きていきたい」という学生時代からの情熱を胸に、日本のスポーツビジネスを切り拓いてきたのが代表取締役社長の山本雅一氏だ。同氏が掲げる「スポーツトランスフォーメーション(SX)」という未来について、その軌跡と経営理念に迫る。

「スポーツで飯を食う」原点と広告代理店での衝撃

ーー社会人としての最初のキャリアはどのようにスタートされたのでしょうか。

山本雅一:
大学時代にスキー部に所属していたこともあり、将来はスポーツ、特にスキーで生計を立てたいという思いがありました。しかし、約40年前の当時は、スポーツで仕事をするというとプロ野球の球団職員や、テレビ局、新聞社のスポーツ担当くらいしか選択肢がありませんでした。

そしてまわりの大人から「一度、社会に出てみなさい」と助言され、就職先を探すことに。学生時代から友人たちとイベントを企画するのが好きだったので、それが仕事にできる広告代理店に興味を持ち、入社を決めました。

ーー広告代理店での転機は、スキー界での取り組みにどうつながったのでしょうか。

山本雅一:
入社3年目にF1チームのスポンサー担当となり、マシンのロゴ一つで数十億円が動く世界に衝撃を受けました。「スポーツを好きなだけの世界から、生業として成立する世界に引き上げられる」学生時代の夢が現実的な目標に変わった瞬間でした。

そこで得たノウハウを、自分を育ててくれたスキー界に還元しようと考えました。当時の日本には選手のヘッドギアやウェアに所属先以外のロゴを入れる慣習がありませんでした。海外の事例を基に各所へ働きかけ、広告枠として認めてもらうことに成功しました。長野オリンピックへ向けた投資機運の高まりも追い風になりました。

日本のスポーツビジネスを切り拓いた創業の決意

ーー独立を決意された経緯と、創業当初の様子についてお聞かせください。

山本雅一:
長野オリンピックを控え、スポーツがビジネスになるという確信を深めていた時期のことです。当時の勤務先にスポーツ事業部の設立を提案したものの、「スポーツがビジネスになるわけがない」と理解を得ることはできませんでした。そんな折、トム・クルーズ主演の映画「ザ・エージェント」が公開され、アスリートの代理人が注目を集めることになります。アメリカでは弁護士に次ぐ人気職業だと知り、この文化は必ず日本にも来ると直感しました。こうした経験に背中を押され、独立を決意したのです。

最初はデザイン会社の机一つを間借りして、たった一人でスタートしました。しかし、領域がニッチだったこともあり、ありがたいことに当初から多くの仕事をご依頼いただくことができました。やがて一人では対応しきれなくなり、スポーツ雑誌の広告担当者や、プロを目指すスノーボード選手などを仲間に迎えます。「スポーツで育った人が、スポーツに恩返しをしたいと思いながら働ける会社をつくりたい」。そんな思いを胸に、少しずつ組織を広げていきました。

ーー事業のターニングポイントとなった出来事はありましたか。

山本雅一:
当初は企業がスポーツをメディアとして活用するスポーツマーケティングが中心でした。しかし、仕事をする中でアスリート側の課題、たとえばスポンサー契約の注意点や税金対策、セカンドキャリアといった問題が見えてきたのです。企業側には専門家がいる一方でアスリート側には人生設計、契約、税務、キャリアを横断的に支える存在がいなかった。その構造的な空白こそが事業として向き合うべき課題だと考えました。そこで、事業の軸足を選手側に寄せた「アスリートマネジメント」へとシフトしていったのが大きな転換点です。長野オリンピック後に引退した、スキー・ノルディック複合の荻原兄弟のセカンドキャリアをサポートしたのが本格的な始まりでした。

組織でアスリートを支える体制と経営理念

ーー現在の事業における強みや、他社との違いについてお聞かせください。

山本雅一:
アスリートマネジメントとスポーツマーケティングを融合させ、企業の課題解決までを一貫して手がけている点です。私自身が広告代理店出身ということもあり、企業から資金を引き出す視点や、アスリートの価値を最大限に高め、ビジネスを生み出せるプロデューサー型の人材育成に強みを持っています。

また、個人ではなく組織でアスリートを支える体制も大きな特徴です。マネージャー個人の力量だけに依存しないよう、法務や税務などを専門に担う事業推進部を設置し、弁護士や会計士とも連携しています。会社というプラットフォーム全体で選手を支えることで、個人事務所にはない価値を提供しています。

ーー経営者として大切にされている考え方や座右の銘はありますか。

山本雅一:
「刻石流水(こくせきりゅうすい)」という言葉を大切にしています。「受けた恩は石に刻み、かけた情けは水に流せ」という意味です。人から受けた恩は心に刻んで決して忘れず、自分が誰かに何かをしてあげたとしても、それは水に流して見返りを期待しない。この精神は、私を育ててくれたスポーツへの恩返しをしたいという原動力にもつながっています。

スポーツの力で社会課題を解決する未来への挑戦

ーー今後の展望や、特に注力していきたいテーマについて教えてください。

山本雅一:
私が提唱する「スポーツトランスフォーメーション(SX)」の実現に注力していきたいと考えています。これは、スポーツの持つ力を活用して社会課題を解決し、新しい社会価値を創造していくという概念です。単なるマネジメント会社ではなく、世の中にとってのスポーツの価値を最適化する「SX」を推進します。

具体的な活動としては、クライミングの野口啓代さんと出身地の茨城県龍ケ崎市が連携し、地域を「クライミングの聖地」として盛り上げるプロジェクトが進行中です。また、バルセロナ五輪平泳ぎ金メダリストの岩崎恭子さんは、水難事故防止のために「着衣泳」の重要性を全国で伝える活動を展開しています。これらはまさに、スポーツの知見を地域創生や防災といった分野に役立てるSXの一環です。こうした活動を通じ、スポーツが持つ可能性を社会に実装したいと考えています。

ーーこれからの時代を担う若い世代へ伝えたいメッセージをお聞かせください。

山本雅一:
「好きこそものの上手なれ」という言葉をお贈りしたいと思います。やはり好きなことでなければ、長く情熱を注ぎ続けることは難しいものです。私自身、「スポーツで飯が食いたい」という一心で好きなことを追い求めてきた結果、今があります。だからこそ若い皆さんには、ぜひ自分の好きなことを突き詰めていってほしいと願っています。それが、結果的に自分自身の成功に最も近づく道だと思います。

編集後記

山本氏が学生時代に抱いた「スポーツで飯が食いたい」という純粋な情熱は、広告代理店での経験を経て、日本にまだなかったスポーツビジネスとして結実した。その根底には、自身を育ててくれたスポーツへの深い感謝と「恩返し」の思いが一貫して流れている。社会全体の課題解決へと視座を高める「スポーツトランスフォーメーション」という壮大な構想は、まさにその集大成といえるだろう。「好き」を原動力に道を切り拓いてきた同氏の生き方は、未来を描く若者たちに大きな勇気を与えるはずだ。

山本雅一/1964年神奈川県生まれ、駒澤大学卒業。広告会社の営業職として10年のキャリアを積む中でスポーツマーケティングと出会い、独立を決意。1996年に株式会社スポーツビズを設立し、代表取締役社長に就任。 以来、アスリートのマネジメント業務を中核に、企業や自治体の課題解決にスポーツを活用するマーケティング事業を展開している。