※本ページ内の情報は2026年3月時点のものです。

「広告代理店でもコンサルでもない。クライアントの隣で、共に汗をかく黒子でありたい」。そう語るのは、株式会社ベストインクラスプロデューサーズ(BICP)を率いる代表取締役社長の菅恭一氏だ。かつて大手広告代理店で将来を嘱望されるも、40歳で独立。目指したのは、広告枠を売る代理店でもコンサルタントでもない、クライアントの隣で汗をかく「伴走者」という在り方だ。なぜ彼は安定を捨て、未開拓の領域に挑んだのか。その根底にある「マーケティング愛」と独自の組織論に迫った。

32歳で最年少部長へ 拭えなかった「業界構造」への違和感

ーーまずは、貴社を創業された経緯からお聞かせください。

菅恭一:
新卒で株式会社朝日広告社に入社し、2004年頃からデジタル領域の立ち上げに携わりました。当時はまだテレビや新聞が主流の時代でしたが、社内ベンチャーのような形でデジタル部門を組織化し、32歳で部長職に就きました。その後も局長、センター長とキャリアを重ね、そのまま会社にいれば役員への道も見えていたと思います。会社の中での発言権もあり、居心地も悪くなかったですね。

ーーそこから、独立を選んだ決定的な理由は何だったのでしょうか。

菅恭一:
最大の理由は、既存の「広告代理店」というビジネスモデルに構造的な限界を感じたからです。広告代理店は、その仕組み上、どうしても「メディアの枠」を販売することで収益を得ます。ゆえに、顧客にとって本質的に必要な戦略よりも、メディアを売るための提案が優先されてしまう側面が否めません。この構造の中にいる限り、真の意味でクライアントのパートナーにはなれないのではないか。そんな葛藤が日に日に強くなっていきました。「クライアントサイドに立ち、中立的な立場で戦略を描き、実行まで共に汗をかく存在が必要だ」。そう確信し、40歳の時に安定したキャリアよりも、業界の課題解決に挑む道を選びました。

「伴走専門会社」という新たなカテゴリーをつくる

ーー独立後、具体的にはどのような立ち位置で事業を展開されていますか。

菅恭一:
私たちは自らを「伴走専門会社」と定義しています。これは、広告代理店でもなければ、コンサルティング会社でもない、その間にある「伴走者」という立ち位置です。多くの企業は「自社のマーケティング戦略は自社で考えるべき」という理想をお持ちですが、実際にはリソースやノウハウが不足しているのが現実です。かといって、外部に丸投げしてしまえば社内に知見は蓄積されません。私たちは、あくまで主走者(メインランナー)であるクライアントの横に立ち、戦略策定から実行のプロセスまでを支援します。主役を支える「黒子」としての在り方ですね。

ーーその独自の立ち位置は、市場からどう受け入れられたのでしょうか。

菅恭一:
創業当初から日本を代表する大手企業から直接お問い合わせをいただくことができました。私個人に人脈があったわけではありません。それでもご指名をいただけたのは、「代理店機能」ではなく「マーケティングプロデュース」という独自のドメイン(立ち位置)に価値を感じていただけたからだと思います。能力やスキルが同じでも、立ち位置を少しずらすだけで、顧客にとっての価値は劇的に変わる。これを肌で感じた経験は、経営者として大きな自信になりました。

「人の違い」を楽しむことが強い組織をつくる

ーー組織づくりにおいて大切にしている価値観を教えてください。

菅恭一:
BICPは「マーケティングの力で、人生を楽しめる人を増やす」というビジョンを掲げています。その根底にあるのは「マーケティング」と「人」を愛するという思いです。うちは少数精鋭ですが、メンバーの個性はバラバラです。一見するとクセが強いと思われるような人材もいますが、私はその凸凹を欠点ではなく資産だと捉えています。

ーー個性を活かすための具体的なエピソードはありますか。

菅恭一:
たとえば、現在ある関西オフィスは、ある社員の家庭の事情がきっかけで開設に至りました。創業期から苦楽を共にしてきたメンバーから、「家庭の事情で大阪へ転居しなければならない」という相談を受けたのです。当時はまだ社員が東京勤務の5名程度で、通常であれば退職を余儀なくされるケースですが、私は迷わず「それならば、大阪にオフィスを構えよう」と決断しました。結果として、そこから関西エリアのクライアントとの新たなご縁が生まれ、今では全社売上高の約半分を支える重要拠点へと成長を遂げました。人を大切にし、個々の事情や違いすらも事業の駆動力に変えていく。これこそが、私たちの組織の強みです。

社長がいなくても回る組織へ そして55歳からの「世界挑戦」

ーー今後の展望についてお聞かせください。

菅恭一:
直近の課題は「脱・社長依存」です。創業者がトップダウンで案件を獲得してくるスタイルでは、企業の成長スピードはいずれ頭打ちになります。この2年ほどは、あえて私が現場や営業の第一線から退き、メンバーが自律的に損益責任(PL責任)を持って動ける仕組みづくりに注力してきました。その成果が少しずつ見え始め、私の目の届かないところでも、プロジェクトが円滑に進む組織へと変化してきています。

ーー組織が自走し始めたその先に、描いているビジョンはありますか。

菅恭一:
見据えているのは、海外への本格進出です。具体的には、私が55歳という節目を迎えるまでの数年以内に、米国法人を設立したいと考えています。すでにニューヨークにスタッフを配置し、準備を進めている段階です。日本の優れたプロダクトやサービスを、海外市場へ届ける支援を加速させたい。

国内事業が私の手を離れても安定して回る体制を築き上げ、私自身は渡米して、またゼロからビジネスに挑みたいという夢があります。既存の地位に安住するのではなく、次世代にバトンを渡し、私自身もまた新たな「伴走」の旅に出たいのです。

編集後記

「代理店かコンサルか」という二元論に陥りがちなマーケティング業界において、「伴走」という第三の道を切り拓いた菅氏。「黒子でいい」と語るその姿勢からは、主役であるクライアント、そしてマーケティングと「人」への深い愛情が感じられた。大手代理店での出世コースを捨ててまで貫いた現場主義と顧客視点。そのDNAは、確実に次世代のリーダーたちへと受け継がれている。55歳からの米国挑戦という新たな夢も含め、この「マーケティングと人を愛する集団」の次なる展開から目が離せない。

菅恭一/1973年、東京都練馬区生まれ。1998年に青山学院大学を卒業後、株式会社朝日広告社に入社。2015年4月に独立し、株式会社ベストインクラスプロデューサーズの創業に参画、代表取締役に就任。「マーケティングの力で、人生を楽しめる人を増やす」をビジョンに掲げ、ブランドと顧客が直接繋がる時代のブランド戦略、マーケティング戦略および活動支援を行う。著書に『マーケティングフレームワークの功罪』(日経BP)がある。