
1970年創業の個人店「ビューティ・ローズ」を前身とし、現在は20店舗以上を展開する株式会社B.R.P(ビーアールピー)。同社は、美容業界につきまとう長時間労働や社会保険の未加入といった課題に切り込み、日曜定休や多様な働き方を実現してきました。高校在学中から美容の道を志し、トップクリエイターを経て経営の道へ進んだ代表取締役会長の田村王子氏。スタッフが長く働ける環境づくりへの情熱と母親への思い、次代を見据えた経営戦略について話をうかがった。
高校と夜間学校の「二足のわらじ」から見えた美容の世界
ーーまずは、美容の道を志された経緯をお聞かせいただけますか。
田村王子:
母が1970年に「ビューティ・ローズ」という個人店を開業し、その背中を見て育ったため、美容師の華やかな世界に憧れがありました。中学卒業後すぐに美容学校に行きたかったのですが、周囲のアドバイスもあり高校への進学を選択しています。しかし思いは断ち切れず、高校1年の秋から夜間の美容学校に通うようになりました。
昼は高校生、夜は美容学校という二足のわらじです。片道2時間かけて通い、帰りはいつも終電近くでしたが、電車の中でテスト勉強をするなど効率よく学んでいました。スポーツが盛んな学校で、部活動に打ち込む同級生たちのハードな様子を見ていたので、体力的にそこまで大変だとは感じていませんでした。
ーー卒業後はどのような修業をされたのでしょうか。
田村王子:
高校卒業と同時に美容師ライセンスを取得し、まずは新宿の大手美容室に入りました。そこではわずか2ヶ月の勤務でしたが、マニュアル化や組織づくりの重要性を徹底的に学べたことは大きな収穫です。その後、大阪の著名な先生の下で2年間修業することになります。技術は全国屈指でしたが、朝早くから夜中まで働き、休みの日も先生の鞄持ちという過酷な日々でした。2年間で何十人も辞めていくハードな職場ではありましたが、確かな技術を吸収すると同時に、「こんな労働環境ではいけない」と強く感じたことが原体験となっています。
「母を楽にしたい」という思いと業界の風土を変える決意

ーー家業に戻られてから代表に就任するまでの経緯を教えてください。
田村王子:
20歳を過ぎて家に戻ってからは、しばらくメーカーのインストラクターやヘアショーなど外部活動に注力していました。華やかなコレクションの現場にも立ちましたが、そこで痛感したのは、美容師が制作部隊のなかでも下の立場に置かれ、社会的地位が驚くほど低いという現実です。
また、外では「先生」と呼ばれる一方で、自分のお店では目の前のお客様を完全に満足させ、リピートにつなげられないもどかしさを抱えていました。同時に、スタッフが次々と辞めていく状況を目の当たりにし、「長期雇用がない」「社会保障がない」という美容業界全体に蔓延する古い風土に強い疑問を抱くようになります。これらの経験が、経営者として業界の在り方を変えようと決意する大きな転換点となりました。
「美容業界を一流企業と同じような労働環境にし、一人のスタッフが長く働けるような会社をつくりたい」という思いを実現するためには、自分が経営の舵を取らなければならないと思いました。創業者である母は職人気質で、私の考えとはかなりの温度差があり、何度も衝突を繰り返しました。それでも、朝から晩まで働き通しにもかかわらず、「借金を返さないと」とこぼしていた母を、どうしても楽にさせてあげたかったのです。「私に任せてゆっくりしてくれ」と説得を続け、10年かかってようやく代表を譲ってもらいました。
「日曜定休」と「社会保険完備」で実現する多様な働き方
ーー貴社の強みや、スタッフが長く働けるための取り組みを教えてください。
田村王子:
一番最初に取り組んだのは「日曜定休」です。美容室は地域の情報発信基地でもあります。世間の人が休んでイベントを楽しんだり、家族サービスをしているときに、同じ目線を持っていなければお客様との会話は近くなりません。また、当時は業界の1割未満しか加入していなかった社会保険にも100%加入しました。最初は手取りが減るとスタッフから批判もありましたが、「将来必ず大切になる」と言い聞かせました。
ーーそうした過去の改革を経て、現在ではどのような環境づくりをされていますか。
田村王子:
結婚や出産などのライフイベントで美容師が居場所を失うことがないよう、どんな働き方でも受け入れられる体制を整えています。「準社員」という正社員に準ずる枠組みを設け、時間や曜日の相談に柔軟に応じています。
たとえば、子どもの手が離れた後に店長へ復帰するスタッフも珍しくありません。営業時間も9時から18時までと短くし、途中1時間店を閉めて完全に休憩できるようにしました。震災やコロナ禍の際も、自社で100%休業補償を行い、時間短縮や減給を一切行いませんでした。「何があっても会社が守る」という安心感を提供し続けるためにも、会社をより大きくし、強い力を持つ必要があると考えています。
ーー最後に、今後の展望や事業継承についてお話しいただけますか。
田村王子:
実は最近、1店舗目のときから30年近く一緒に歩んできた女性スタッフに社長職を譲り、私は会長に就任しました。会社が長く存続するためには、常に組織が新鮮でなければなりません。経営者が劣化してエネルギーを失う前に、よりエネルギッシュな次の世代にバトンを渡すべきだと考えたからです。この事業継承は10年前から構想を練ってきた計画的なものです。バタバタと交代するのではなく、計画的に次世代へ託すことで、会社の成長は止まることなく伸びていくと確信しています。
編集後記
美容業界の「当たり前」に真っ向から挑み、スタッフを守り抜く姿勢を貫く田村氏。高校時代からの尋常ならざるバイタリティと、大阪での過酷な修業時代で培われた反骨精神が、同社の強靭な組織づくりの根底にある。「母を楽にさせたい」という純粋な思いから始まった改革は、今や多くの美容師にとっての希望の光となっている。業界の風土を変え、一人のスタッフが長く働ける環境を追求し続ける同社が、今後どのような進化を遂げるのか、その挑戦から目が離せない。

田村王子/1972年10月16日千葉県生まれ。春日部共栄高等学校卒業。高校1年生の秋に国際文化理容美容専門学校に入学。ダブルスタディーの上、高校卒業と同時に美容師ライセンス取得。新宿・大阪の某美容室にて3年間修業の後、家業である株式会社B.R.Pに入社。2001年、代表取締役に就任。美容を通して家業から優良企業づくりに取り組む。