※本ページ内の情報は2026年4月時点のものです。

1951年の開局以来、関西を中心に多くのリスナーに愛されてきた株式会社MBSラジオ。低迷期からの復活劇や分社化といった変革を経て、現在は「売上高関西ナンバーワン、レーティング(聴取率)1位」を目標に掲げ、総合編成の強みを活かした番組づくりを行っている。さらに「脱ラジオ」というスローガンのもと、放送事業に留まらず、音声配信やイベント事業など多角的な展開に注力している。学生時代から音楽を愛し、制作現場から営業、経営まで放送局のあらゆる面を知り尽くす代表取締役社長の原厳一郎氏に、ラジオの存在価値と未来への熱い思いをうかがった。

音楽好きの青年が放送局へ 震災で知った「ラジオの使命」

ーー入社の経緯を教えてください。

原厳一郎:
学生時代からずっとベースを弾いていて、音楽番組や音楽イベントの企画をしたいという気持ちから、放送業界をたくさん受けて、縁あって株式会社毎日放送に入社しました。最初の3年間は、テレビ放送の運行を秒単位で制御する「放送実施部」という裏方の部門に配属されました。番組やコマーシャルが予定通りに流れるよう、コンピュータ制御の元となるデータを作成・管理する業務です。一歩間違えれば放送事故に直結する、放送の当たり前を支える極めて責任の重い現場でした。その後、テレビ編成部を経て、念願のラジオ制作部門へ異動しました。

ーーラジオ制作部ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか。

原厳一郎:
お昼の番組を担当し、パーソナリティと毎日ネタを探しては、翌日の放送に向けて全国各地へ取材に飛び回っていました。たとえば、愛知県岡崎市で線香花火を手づくりしている方を訪ねて、次の日のスタジオで実際にその花火をやってみたりと、足しげく現場に通って「音」を届ける毎日でしたね。その後、1995年の阪神・淡路大震災を経験しました。当時、東京のテレビ局が被害の悲惨さを映像で伝える中、私たちラジオ制作部は被災者のためのライフライン情報を発信し続けました。リスナーからのメッセージを紹介し、被災地に役立つ情報を届けることで、傷ついた人たちを癒やし、勇気づける。そこで改めて「ラジオの存在価値」を強烈に意識し、再認識しました。

低迷期からの復活と掲げた「売上高関西ナンバーワン レーティング1位」

ーーその後はどのようなキャリアを歩まれたのですか。

原厳一郎:
実はその後、テレビ営業など再びテレビ部門へ異動し、10年間ほどラジオから離れました。「もうラジオに戻ることはないだろう」と思っていましたが、2007年に再度ラジオ部門へ戻ることになったのです。当時は業界内でのラジオ聴取率も売上高も低迷している厳しい時代でした。そこで、タイムテーブル改革のためのワーキンググループの座長を任され、社内の利害関係をまとめて一つの提案を実行した結果、何年かぶりに聴取率で三冠を達成し、売上高も復活させることができました。

ーー社長に就任されてからどのような目標を掲げられましたか。

原厳一郎:
弊社には「MBSラジオは地域に根ざし社会に貢献し、聴取者の生命と財産を守る、寄り添う音声メディアである」という経営理念があります。とはいえ、「寄り添う」という言葉を安易に使いたくはありません。全く知らない相手から突然寄り添われても、戸惑いや違和感を抱かせてしまうだけだと思うからです。真に寄り添うためには、まず私たちが何者であるかを知っていただき、信頼関係を築くことが不可欠です。だからこそ、関西地区のレーティングで1位を取り戻すこと、そしてコンテンツ制作の原動力となるお金、つまり売上高30億円を達成することを目標に掲げました。現場の皆がやりたいことを実現するためにも、会社全体でそこを目指しています。

総合編成の強みと「脱ラジオ」への挑戦

ーー貴社の事業の強みや現在の取り組みについて教えてください。

,原厳一郎:
バラエティ、スポーツ、ニュースなど、あらゆるジャンルを網羅する「総合編成」であることです。その中心にあるのは、パーソナリティが自身の熱量で届ける「言葉」です。それぞれの言葉がリスナーの心に深く刺さることで、各番組に熱狂的なファンをつくっていきたいと考えています。

また、若いリスナー層を取り込むためのタイムテーブル編成やキャスティングにも工夫を凝らしています。少し私事になりますが、今年2026年は「丙午(ひのえうま)」で、私自身も還暦を迎えます。火が重なる燃え盛るような年にちなみ、ラジオの中からいろいろな「火」をつくっていきたいと思っています。たとえば、番組やイベントを通じて熱狂を生み出すエンターテインメントの「火種」、被災地などでしんどい思いをしている方には温もりとなる「焚き火」、生き方や仕事に迷っている方の道しるべとなる「灯台」、タイムテーブルの中に大小さまざまな火を灯し続けたいですね。

ーー「脱ラジオ」というスローガンについてもお聞かせください。

原厳一郎:
中期経営計画で「脱ラジオ」というスローガンを掲げています。まずは圧倒的に力のある放送をきっちり行った上で、そこから派生してポッドキャストでの音声コンテンツの配信やYouTubeへと展開していく構想です。

また、番組イベントについても、従来の無料招待制によるリスナーサービスに留まらず、収益化を推進しています。チケット収入や協賛を得られる形にし、会場でグッズを販売するなど、グッズ収益も含めた放送以外の収益の柱をこれからどれだけ伸ばせるかが鍵になります。これら「脱ラジオ」の取り組みを加速させ、新たなビジネスモデルを確立していきたいと考えています。

データと感覚の融合そしてプロパー社員が牽引する未来

ーー組織づくりや今後のビジョンについてお話いただけますか。

原厳一郎:
弊社は分社化して丸5年が経とうとしており、現在では出向社員よりもプロパー社員(新卒、キャリア採用、転籍組)の割合が多くなりました。今後は、現場を知り尽くした彼らの中から次世代を担う幹部を育成し、プロパー社員主体の経営体制を築いていくこと。それが、私の大きなミッションです。

また、番組制作においてはマーケティングの強化も進めています。昔は感覚だけでキャスティングしていましたが、今はデータ分析を取り入れ、事実に基づいた番組づくりを現場に浸透させています。ただ、データを知った上で自分の思いや感覚を優先するのは構いません。番組制作における感覚とデータのバランスをしっかり理解した上で、現場に活かしてほしいと考えています。

ーー最後に将来の展望をお聞かせください。

原厳一郎:
とにかくナンバーワンを取りたいです。そして、未来永劫、「MBSラジオ」という音声コンテンツが世の中に聴かれるようになってほしい。何万人も集まる大きなイベントだけでなく、たとえ100人規模の小さなイベントでも、参加者に火を灯せる企画をつくり、深いつながりを築いていく。そんな魅力的で多様な熱狂を生み出し続ける会社にしていきたいですね。

編集後記

音楽イベントへの憧れから始まり、制作現場で全国を奔走する泥臭い取材、震災報道、そして低迷期からの復活劇。原氏のキャリアそのものが、MBSラジオの歴史と深くリンクしているように感じた。感覚的な面白さを追求する「ラジオ屋」としての顔と、データや仕組み化を冷静に見つめる「経営者」としての顔。この絶妙なバランス感覚こそが、同局の躍進を支えているのだろう。「未来永劫、聴かれるメディアへ」という力強い言葉の裏には、リスナー一人ひとりの心に「火」を灯し続けるという、揺るぎない覚悟があった。

原厳一郎/1966年兵庫県生まれ。関西大学卒業。1988年に株式会社毎日放送に入社し、ラジオ局営業部長、ラジオ局制作センター長、Mビジョン推進局長、業務監査局長などを経て、2024年6月に株式会社MBSラジオの代表取締役社長に就任。