
1日147万食。全国44都道府県で学校給食を提供し、日本の小中学生の約6人に1人の食を支えるのが株式会社東洋食品だ。創業から60年の歴史を持ち、学校給食の民間委託の先駆けとして業界を牽引してきた。同社は現在、徹底した衛生管理による「食中毒ゼロ」の継続に加え、積極的な食育推進やホテル・外食事業への参入、インドネシアをはじめとする海外展開など新たな挑戦を続けている。外資系金融でのキャリアを経て35歳で家業へ身を投じた専務取締役の荻久保瑞穂氏にこれまでの歩みと次世代に向けた給食産業の展望をうかがった。
外資系金融で培った「顧客第一」と「データ分析」の精神
ーー大学時代の専攻や研究テーマについて教えてください。
荻久保瑞穂:
東京工業大学(現・東京科学大学)とその大学院で、品質管理の研究をしていました。特に注力したのは、景気と顧客満足度の相関関係や、その国際比較研究です。日本は品質に対する要求水準が非常に高く、不確実性を回避する文化があります。そのため、他国と比べて品質自体は高いにもかかわらず、顧客満足度の評価は厳しくなるといった独特の傾向をデータから分析していました。
これらの研究を通じて、日本の消費者の特性やその背景にある文化を深く理解できました。のちに外資系企業で働いた際、海外の上司へ日本の商慣習を論理的に説明する場面で、この知見が大いに役立っています。また、表面的なデータにとらわれず、裏側にある本質を見極めようとする姿勢は、現在の経営にも通じる大切な基盤です。
ーー外資系金融業界へ進まれたのは、どのような経緯があったのですか?
荻久保瑞穂:
きっかけは、学生時代にロンドンにあるブルームバーグ・エル・ピー(以下、ブルームバーグ)でインターンを経験したことにあります。インターンを通して、多言語が飛び交う環境や圧倒的なスピード感などに惹かれました。そこで、大学院修了後に、東京にある日本法人へ入社したのです。同社は、競合他社より1秒でも早くニュースを配信するというスピード感のある企業文化でした。今日提案したアイデアを、2日後にニューヨークのマネージャーにプレゼンするようなスピード感のある環境で働いていました。また、世界標準となる顧客満足度向上研修を東京オフィスから発信して実践につなげるなど、非常に刺激的な3年間でしたね。
その後、当時の顧客であったウエリントン・マネージメント・ジャパン・ピーティーイー・リミテッド(以下、ウエリントン)に転職し、債券運用の担当として5年間働きました。同社には、個人のアイデアをチーム全体で共有する文化があり、徹底的な議論を通じて投資案を磨き上げていく過程から多くを学びました。大学で学んだデータに基づく定量的な分析や仮説検証のスキル、そして外資系金融企業2社で培った顧客第一の精神は、今の経営にも強く活きています。
祖父と父が築いた伝統企業へ35歳での決断
ーーそこから、なぜ東洋食品へ入社されることになったのでしょうか。
荻久保瑞穂:
2016年、私が35歳の時でした。当時70歳を迎えた父(現社長)から突然、「いつになったらうちの会社に来てくれるんだ」と問われたのです。私自身、後継ぎとして育てられたわけではなく、当時はまだウエリントンでボストン本社への赴任も視野に入れて働きたいと考えていました。ただ、父が東洋食品に入社したのもちょうど35歳の時であり、何かの節目かもしれないと感じました。祖父が創業し、父が大きく育て上げたこの会社を、私がさらに成長させて引き継ぎたいという強い思いが芽生え、入社を決意しました。
ーー実際に入社されてみて、ご自身の経験は現在の経営にどのように活かされていますか。
荻久保瑞穂:
経営において、私は客観的なデータに基づいた事実確認と定量的な判断を徹底しています。また、「お客様>会社>自分」という優先順位を全社に発信し続けています。この順番を間違え、自分や会社の保身を優先してしまうと、不祥事や品質の低下につながりかねません。徹底した顧客第一の姿勢は、前職から変わらず大切にしている軸です。
「言われたものを作る」にとどまらず。食育推進で描く新たな給食のカタチ

ーー入社後、特に注力されてきた取り組みを教えてください。
荻久保瑞穂:
一つは「食育」の推進です。私が入社した約10年前、学校給食の委託会社は、「自治体から指定された通りに調理する。それ以上でも以下でもない」という風潮が一部にありました。しかし、本当にお客様に満足していただくためには、受託会社側からも提案を行うべきではないかと考えました。お客様の要望には応えたうえで、さらに期待を上回る取り組みをするため、社内に「食育推進チーム」を立ち上げました。単に食事を提供するだけでなく、地元の食材を使った郷土料理を紹介する「ご当地学校給食マップ」を作成したり、寸劇を通じて子どもたちに食の重要性を伝えたりと、自治体様への積極的な提案を行い、協力して食育活動を実施しています。
ーー具体的なメニューや取り組みの事例を教えていただけますか。
荻久保瑞穂:
たとえば、長野県長野市では増えすぎた鹿の食害が課題になっていたため、長野市様と連携し、ジビエ(鹿肉)を使ったキーマカレーやミートソースを開発しました。最初は食べ慣れない献立のため、おいしく食べてもらえるかが懸念されましたが、何度も試作を重ねた結果、現在では子どもたちに人気のメニューとなっています。他にも、通常は捨てられてしまう野菜の端材を使った「ベジブロス(野菜だし)」の活用など、食品ロス削減への取り組みも行っています。学校給食事業者が給食の提供に留まらず、専門的な立場で自治体をサポートし、地域に貢献していくことがこれからの時代の役割だと考えています。
1日147万食を支える信頼と、日々の積み重ねが結実した「食中毒ゼロ」の実績
ーー貴社の事業における最大の強みは何だとお考えですか。
荻久保瑞穂:
事業の根幹は「信頼」です。学校給食はレストランと異なり、長期契約のもと、毎日同じお客様に食べていただくビジネスです。アレルギー対応、衛生管理、食育、防災拠点としての機能など、自治体様ごとに異なる細かなニーズに日々応え続けることでしか、信頼は築けません。毎日安全で高い品質の学校給食を提供し続けることが私たちの使命です。特に衛生管理に関しては、創業以来の「食中毒ゼロ」を守り抜くために強固な体制を敷いています。保健所で食品衛生監視員を務めていた専門家を30名以上採用し、学校給食事業部から独立した社長直轄の「衛生部」として、第三者の厳しい目で内部監査を行っています。さらに、食品安全の国際規格である「ISO22000」も学校給食に特化して取得しました。
ーー安全を守るために、他にも重視されていることはありますか?
荻久保瑞穂:
ルールの徹底はもちろんですが、現場スタッフ一人ひとりの意識の高さも重要です。2017年に、刻み海苔が原因で大規模食中毒が発生しました。1か月にわたり4都道府県7施設で発生しためずらしい事件でした。原因食材が特定されていない中、当社の受託施設でも同じ刻み海苔を使用することがありましたが、「刻み海苔にウイルスがついているのではないか」という社員の仮説思考のもと、海苔を加熱しました。海苔を加熱するというルールはない中で、調理員が自主的に刻み海苔を加熱したことで結果として食中毒を防ぐことが出来ました。マニュアルを守るだけでなく、状況に応じてリスクを先読みして行動できる人材が育っていることは、弊社の誇りです。
給食センターの可能性を拡張する外食・ホテル事業と人材の有効活用
ーー少子化が進む中、今後の事業展開としてどのようなことをお考えですか。
荻久保瑞穂:
食と公共性という共通項を持つ新たな事業として、ホテル事業と外食事業をスタートしました。伊豆・河津町の老舗旅館をリニューアルした『今井荘』は、初年度から高い評価をいただいています。また、『北緯43°のスープカレー屋さん』というブランドで札幌や仙台、横浜に飲食店も展開しています。
ーー一見すると本業とは異なる分野ですが、こうした新規事業を展開する狙いについてお聞かせください。
荻久保瑞穂:
確かな相乗効果があります。学校給食の調理員は給食がない8月の夏休み期間中が休日となりますが、旅館業にとっては8月が最大の繁忙期です。そこで、社内で人材交流を行い、人員を有効活用する仕組みを作りました。
ーー既存の給食センターを活かした、今後の事業展開についても詳しくお聞かせください。
荻久保瑞穂:
全国に約300箇所ある給食センターも、夏休みなど年間約160日は稼働していません。将来的にはこの空き時間を活用し、学童保育や老人ホーム、保育園への食事提供、さらには共働き世帯向けの夕食のテイクアウトなど、地域の多様なニーズに応える拠点として設備の稼働率を上げていきたいと考えています。
働きやすさとキャリアを可視化する 多様な人材が輝く組織づくり

ーー従業員の方々のエンゲージメント向上に向けた施策についても教えてください。
荻久保瑞穂:
私自身が双子を含む3人の子育てを経験し、産休・育休からの復職を実践してきたこともあり、誰もが働きやすい環境づくりには力を入れています。育休後も元のポジションを保証し、男女問わず休業を取りやすい風土をつくっています。これまでも一度退職した社員が戻ってこられる「退職者リターン制度」や、新入社員や産休・育休明けの社員をサポートする「メンター制度」を導入した結果、飲食・給食業界の平均の約半分の14%という離職率を実現しました。給食の現場は朝が早いものの、残業はなく仕事の終わりも早いです。
また、夏休みをまとめて取得できるなど、メリハリをつけた働き方が可能です。子どもたちの健康と成長に直結する社会性の高い仕事ですので、こうした環境で給食の仕事に挑戦したいという方には、ぜひ弊社に来ていただきたいですね。
ーーキャリアアップや評価制度はどのように構築されていますか。
荻久保瑞穂:
「スキルマップ」という制度を導入し、求めるスキルとキャリアを明確にしています。大量調理スキル、ヒューマンスキル、マネジメントスキルなどの項目を5段階・約40項目に細分化し、どこをクリアすれば次のステップに進み、昇給に繋がるのかを可視化しました。さらに、命に関わる重要なアレルギー対応業務を担う責任者には「アレルギー責任者手当」を支給しています。また、全国への新規受託により転居を伴う異動をする社員には「遠隔地赴任手当」を手厚くするなど、役割と責任に応じた適正な評価と還元を徹底しています。
日本の給食ノウハウを世界へ 付加価値の高い企業を目指して
ーー海外進出に向けた具体的な構想をお聞かせください。
荻久保瑞穂:
現在、インドネシアへの進出を準備しています。インドネシアでは近年、8千万人規模で学校給食を無償化する国家的な動きが急速に進む一方で、衛生面での大きな課題を抱えています。予算化や法整備のタイミングも重なり、今が進出の好機だと判断しました。農林水産省系の補助金も活用し、現地の栄養課題や食事内容の調査を進めています。弊社の強みである衛生管理のノウハウやメニュー提案、食育プログラムを通じて、現地の社会課題解決に貢献したいと考えています。さらに、インドネシアからの特定技能人材を受け入れ、日本で弊社のノウハウを学んでもらった後、将来的に母国へ帰って現地の給食事業を牽引してもらうといった、グローバルな人材育成のサイクルも構想しています。
ーー最後に、今後の展望や中長期的なビジョンについてお聞かせください。
荻久保瑞穂:
昨今、物価高騰などの影響で厳しい経営環境に置かれる給食事業者も少なくありません。しかし弊社は、単に価格の安さだけで勝負する入札には参加しません。価格だけでなく、食育や衛生管理といった付加価値を正当に評価していただける「プロポーザル方式」での受託を重視しています。質の高い給食と独自の付加価値を提供し、「選ばれる理由」を明確に持つ企業として成長を続けていきます。給食センターを調理施設から、地域の食育・子育て・防災拠点へと進化させ、社会に不可欠な食のインフラとしての役割を追求し続けていきたいと考えています。
編集後記
「お客様、会社、自分」。外資系金融という異なるバックグラウンドを持つ荻久保氏だが、その徹底した客観的データに基づく分析と顧客第一主義は、食中毒ゼロという揺るぎない結果と、自治体の細かなニーズに応える組織力に結実していた。少子化という環境変化を、設備の多用途化や海外展開という新たな機会へと転換させる柔軟性。「言われたものを作る」という業界の常識から脱却し、付加価値で勝負する老舗企業の進化は、日本の給食産業が向かうべき一つの最適解を示している。

荻久保瑞穂/東京工業大学(現・東京科学大学)にて、経営工学専攻で品質管理を学び、2008年に工学博士を取得。大学院修了後は、ブルームバーグでクライアントサービス業務に従事。その後、投資運用会社のウエリントンで、債券運用を担当。2016年、祖父が創業し、父が第二創業として学校給食事業を確立した株式会社東洋食品に常務取締役として入社。2019年に専務取締役に就任。東洋食品採用Instagramのアカウントはこちら。