※本ページ内の情報は2026年4月時点のものです。

「お母さんたちの肩の荷を下ろし、本来の愛情を引き出したい」。そう語るのは、重度障害児向けのデイサービスや訪問看護などを展開する株式会社福蔵FUKURAを率いる、代表取締役社長の須田祥子氏。創業当時は前例がなく、制度も整っていない「道なき道」だったが、今では6拠点で16の事業所を展開するまでに成長した。なぜ未経験から重度障害児支援の世界へ飛び込んだのか。そして、社員が自発的に理念に共鳴する組織の裏側には何があるのか。須田氏の原動力と未来への構想に迫った。

「自分の力を試したい」老健施設で手にした運営の経験と自信

ーー起業されるまでのご経歴を教えてください。

須田祥子:
最初は社会福祉協議会という、半官半民のような組織で働いていました。そこは仕事ができてもできなくても待遇が変わらない年功序列の世界で、仕事ができる人にばかりいくつもの役割が集中し、何役もこなさなければならない非常に過酷な環境でした。にもかかわらず評価につながらない現状に疑問を感じ、「民間で自分の力を試したい」と考えるようになったのです。

そこで、ケアマネージャーの資格を活かして、新規オープンの介護老人保健施設へ転職しました。1年後には副施設長に任命され、実質的な運営全般を任されることになりました。当時は、医療依存度の高い方や重度な方にこそ手を差し伸べるべきだと考え、ロボットスーツHALLの導入など先進的なリハビリやケアの仕組みづくりに奔走しました。そこで全国的にも注目されるような施設をつくり上げることができ、「やり切った」という自負を持てるまでになったことが、一つの大きな転機となりました。

人生の折り返し地点で決断 未経験で挑んだ「道なき道」

ーーなぜ、重度障害児の支援で起業しようと思われたのでしょうか。

須田祥子:
自分の人生の折り返し地点で今後を考えたとき、「未来ある子どもに、そして重度な方にこそ手を差し伸べたい」という強い思いを抑えきれなくなったのです。そこで、未経験ながら重度障害児の支援事業を創業しました。

ーー創業当時、どのようなことで一番苦労されましたか。

須田祥子:
当時は、重度な障害のお子さんが通えるデイサービスそのものが地域になかったため、行政も制度を正しく理解できておらず、私たち自身も手探りで「道なき道」を切り開くしかありませんでした。

特に困難だったのは、適切な報酬をいただくために必要な「重症心身障害児」の認定です。前例がないために認定が下りるまで1年ほどかかり、その間は看護師などの専門職を抱えながらも、非常に低い単価で運営を余儀なくされました。資金繰りに窮し、眠れない夜を過ごした時期もありました。しかし、一緒に働く職員たちには「振り返ったときに愚痴や不満が落ちているような道ではなく、道端に綺麗な花が咲いているような道を拓こう」と伝え続けました。その思いに賛同してくれた職員たちが、笑顔で苦労を乗り越えてくれたからこそ、今があるのだと感謝しています。

ーー社名に込めた思いについてお聞かせいただけますか。

須田祥子:
私の祖父は「あの世にはお金も家も持っていけない。だから。よいことをして天の蔵にたくさん貯金をしなさい」と教えてくれました。そこで、福祉の「福」と天の蔵の「蔵」を合わせて「福蔵」と名付けました。心を込めて仕事をすることで、天の蔵に貯金ができるような会社にしたいという私の考えを込めています。

孤独なお母さんの肩の荷を下ろし 本来の愛情を引き出す

ーー事業が軌道に乗った転換点はどこだったのでしょうか。

須田祥子:
いままで社会にないサービスだったので、開始して1年ほどで利用を希望するお客さんがたくさん押し寄せてきました。「困っているところに手を差し伸べていこう」と決意して展開してきたからこそ、恐怖心も捨てて駆け抜けることができました。

ーー特に印象に残っている象徴的なエピソードはありますか。

須田祥子:
人工呼吸器をつけた小学3年生の女の子をお預かりしたときのことです。看護師と一緒に事業所の前を少し散歩しただけなのですが、お迎えに来たお母さんが「この子が私以外の人と外出したのは初めてです」と涙ぐまれました。これまで24時間365日、たった一人で向き合ってきたお母さんの肩の荷を下ろさせてあげたいと強く思いました。

ーー重度障害児を取り巻く社会の理解や、ご家族への向き合い方について、どのような発信を大切にされていますか。

須田祥子:
重度障害のお子さんを持つお母さんの中には、どこか隠してしまいたいという気持ちや罪悪感を抱えている方もいらっしゃいます。そんな思いや罪悪感を消してあげたくて、子どもたちの輝かしい笑顔をSNSで届けています。また、必死に命を守るケアに追われ、我が子を「かわいい」と思うゆとりがなかったお母さんが、弊社の訪問看護師が「かわいいね」と接する姿を見て、「初めて我が子をかわいいと思えた」といわれたこともありました。お母さんたちに心のゆとりを持ってもらい、本来の愛情を引き出すお手伝いをすることも、私たちの役割だと思っています。

ーー貴社のオリジナルキャラクター「ふくらんくん」も、そうした発信の一助を担っているのでしょうか。

須田祥子:
次女が昔描いた「羽のないミツバチ」が原画で、完璧ではなくても一生懸命に生きる子どもたちの姿を象徴しています。当初はプロに依頼しましたが、整いすぎたデザインよりも、不器用ながら夢と希望を詰め込んで旅に出る娘の絵にこそ、私たちの理念が宿っていると確信しました。現在はYouTubeやグッズ制作も行っていますが、それらはすべて、ご家族や地域の方々に楽しんでいただき、少しでも心のゆとりや笑顔を広げるためのものです。キャラクターが理念の伝道師となって、世界中に温かな「福」を膨らませていってほしいと願っています。

一生涯のトータルケアと理念が引き寄せる組織づくり

ーー現在の事業内容と強みについて教えてください。

須田祥子:
重度障害児のデイサービスを中心に、生活介護、訪問看護、訪問介護、居宅介護支援サービス、相談支援事業所などを展開しています。私たちの強みは、一生涯にわたってケアができるトータルケアのシステムを構築している点です。

ーー手厚いケアを支えるスタッフの方々は、どのように採用されているのですか。

須田祥子:
実はありがたいことに、現在は求人媒体を使っていません。口コミを聞いて来られる方や、「通りすがりに気になっていて、いつか応募したいと思っていた」と自ら門を叩いてくださる方が自然と集まってくるのです。こうした縁が生まれる背景には、徹底した理念の浸透があります。採用時には必ず理念を語り、「この理念に賛同してくれる方以外とは仕事をしない」と明言しています。

私たちが向き合うお子さんの多くはお話しすることができません。しかし、言葉はなくとも感情や魂はすべて伝わってきます。だからこそスタッフには、「目の前にいる子どもたちの心の通訳者になってほしい」と伝えています。月一回の勉強会や研修などを通じて、こうした心のあり方を粘り強く語り続けることで、同じ志を持つ仲間たちが弊社を形づくっています。

ーー最後に、今後の展望をお聞かせください。

須田祥子:
現在注力しているのは、幹部育成です。今いる利用者様や職員を10年先、15年先も守っていくためには、組織戦で臨む必要があります。また、事業面では、さらに包括的なトータルケア体制の構築を目指しています。その一歩として、お母さんたちがご自身の休息や急な体調不良の際にも安心して預けられる「ショートステイ」の準備を開始しました。さらに将来的には、多くの親御さんが切実に願う「親亡き後」の受け皿となるグループホームもつくりたいと考えています。「福蔵があるから、安心してこの子を託せる」。そう思っていただける終の棲家までを地続きで提供することこそが、私たちの目指す支援の完成形です。これからも、困っているところに手を差し伸べ続け、お母さんたちが安心できる環境をつくっていきます。

編集後記

「道端に綺麗な花が咲いているような道を拓こう」。須田氏のこの言葉に、同社が多くの利用者や求職者を惹きつける理由が凝縮されているように感じた。未経験から重度障害児ケアという未知の領域に飛び込み、現場の切実な声に耳を傾けながら、トータルケアの仕組みを構築してきたその歩みは、単なるビジネスの枠を超えた社会的使命に満ちている。「親亡き後」までを見据えた構想が実現するとき、同社はさらに多くの家族にとっての希望の光となるに違いない。

須田祥子/1964年茨城県出身、武蔵野短期大学英文科卒業。社会福祉協議会や介護老人保健施設で高齢福祉に携わったのち、2016年に株式会社福蔵FUKURAを創業。重度な障がいを持つ子供のための事業を展開。当時、地域では前例のなかった重症児デイサービスを開設した。訪問看護や訪問介護も併設しトータルケアとして地域での暮らしをサポートできる体制づくりに務めている。