
高校中退、メルセデス・ベンツのメカニック、バー経営。異色の経歴を持つ株式会社アクトビの代表取締役社長 兼 CEO、藤原良輔氏。IT未経験からエンジニアへ転身した藤原氏は、業界における「つくるだけ」の下請け構造に疑問を抱き、ビジネスの本質を理解するエンジニア集団を立ち上げた。現在は営業部隊を持たずとも、名だたる大手企業から直接DX支援の依頼が舞い込むまでに成長した。「100年先も成長し続ける会社」を目指す藤原氏の、妥協なき経営信念と組織づくりに迫った。
父の言葉が人生の羅針盤に「自分の人生に責任を持つ」
ーーまずは、これまでの経歴について教えていただけますか。
藤原良輔:
高校時代はアルバイトに熱中するあまり、学校へほとんど通わなくなっていました。最終的にはバイク通学が見つかって停学処分となり、両親とともに生活指導の先生から呼び出されたのです。その時、父が先生に対して「学業では落ちこぼれでも、働くことに本気で取り組んでいる。こういう人間こそが、社会をよくするのではないか」と言ってくれました。
そして、「自分の人生に責任を持つ」「18歳で高卒資格を取る」「人に迷惑はかけない」。父と交わしたこの3つの約束を守ることを条件に、高校を中退したのです。この時の「自分の人生に責任を持つ」という言葉が、その後の私の人生におけるすべての判断軸になっています。
ーーその後はどのような道を歩まれたのですか。
藤原良輔:
約束通り、通信制高校に通って高卒資格を取得しました。当時、キャバクラのボーイとして働いていたのですが、お客様が乗ってくるメルセデス・ベンツを見て「もっとこの車を知りたい」と興味を惹かれ、これがメカニックの道を目指す原点となりました。そこで自動車整備の専門学校へ進み、卒業後はメカニックとしてディーラーに就職。社内資格も初回ですべて合格し、給料も上がりました。ただ、仕事を続けるうちに、私が本当に知りたかったのはエンジンの構造そのものではなく、それを生み出したメルセデス・ベンツの思想や歴史なのだと実感したのです。そう確信した私は、翌日には退職の意思を伝えていました。
その後、22歳でダイニングバーを開業することとなります。最初は赤字続きでしたが、リピート客を獲得する重要性に気づき、なんとか軌道に乗せる状況まで持ち直しました。しかし、あるとき常連の経営者の方から「君が今この時間に提供している価値はいくらだ?」と問いかけられました。その時に店内にいたのは5名ほどで、提供しているお酒の杯数から時給換算したら1万円にも満たない数字でした。その事実を突きつけられ、「それはビジネスではない。価値をもっと最大化させるべきだ」と指摘を受けたのです。自分が立っている場所の狭さを思い知らされた瞬間でした。そして、このまま惰性で続けるのを防ぐため、2年弱で店を畳むことになりました。
業界構造への違和感が起業の原点。泥臭く実績を積み上げる
ーーそこからIT業界へ進まれたきっかけは何だったのでしょうか。
藤原良輔:
バーを閉めた後、「残りのキャリアをすべて懸けるに値する業界はどこか」という基準でマーケットを見ていたのですが、候補に残ったのは経験のあるレジャー産業と、IT業界の2つでした。正直、レジャー産業なら勝手も分かっていて、すでに人脈もあったので、このままやっていけると思っていました。しかし、正しさだけが正義ではない世界に「胸は張れない」と感じたのです。一方で、自分で店のホームページを作った経験などから、ITに対して面白さを感じていました。また、父との約束から“自分で決断し、あえて難しい道へ進む”と決めていた背景もあり、最も難度が高そうだと感じたIT業界を選んだのです。
最初に就いたのは客先常駐のテスター業務でした。当時の手取り給料は16万円ほどで、自宅にインターネット回線を引く余裕すらありませんでした。そこで私は、ファーストフード店のフリーWi-Fiを活用することにし、出社前の数時間、夜は業務が終わってから深夜まで店に行き、プログラミングの勉強に明け暮れました。
転機となったのは、自社の農業IoTサービスの立ち上げメンバーに抜擢されたことです。農家の方々に直接ヒアリングを行う中で、「誰の、何の課題を解決するからこそ、対価をいただけるのか」という、ビジネスにおける当たり前の構造に初めて気がつきました。
ーーその経験は貴社の創業にどうつながったのでしょうか。
藤原良輔:
当時のIT業界は、コンサルタントが課題をヒアリングして仕様を決定し、エンジニアはただ言われたものをつくるだけ、という分断構造が常態化していました。機能ばかりが重視され、現場で使われないシステムが量産されている状況に強い違和感を覚えたのです。そこで、「ビジネスの構造を理解した上で、顧客の課題解決に直結するものをつくれるエンジニア集団を築き上げたい」と決意しました。コンサルティングファームへの転職やフリーランス時代を経て、知人からの出資を機に、株式会社アクトビを創業しました。
ーー創業後どのようにしてクライアントを開拓していきましたか。
藤原良輔:
設立からの3年間は、とにかく泥臭く、単価の安い案件でも引き受けて実績づくりに徹しました。しかし、コロナショックを機に、企業のDX投資に対する意識が変化したのを受け、「下請けではなく直接契約で本質的なDX支援を行おう」と大きく舵を切ったのです。
私たちが何より大事にしているのは「つくるもの」ではなく「つくる目的」にフォーカスすることです。お客様から「この機能をつくりたい」とご相談いただいても、なぜそれが必要なのかを徹底的にヒアリングし、意味がないと判断すれば「つくるべきではない」とはっきりお伝えします。こうしたビジネスパートナーとしての真摯な姿勢が評価され、現在は営業部隊を持たずとも、名だたる大手企業様から直接お問い合わせやご紹介をいただけるようになりました。
独自の判断基準「ACTBE OS」が未経験者をプロに変える

ーー貴社の採用や組織風土について教えていただけますか。
藤原良輔:
現在は新卒層や若手の採用に振り切っています。弊社では未経験であっても、「なぜこの仕事が必要なのか」という目的を理解しないまま進めることに違和感を抱く若手は、圧倒的なスピードで成長しますね。社内には独自の判断基準を明文化した「ACTBE OS」が浸透しています。これは、右も左もわからない若手が迷った際、立ち返るべき指針として機能しており、これをベースに徹底した教育を行っています。
私たちが目指すのは、決して心地よいだけのぬるま湯のような環境ではありません。「熱湯の中で全員で青春しようぜ」と公言しているくらい、日々の業務は非常にハードです。しかし、「その代わりに3年間で、他社へ進んだ同期の誰よりも成長させる」と約束しています。結果として、現在のマネージャー陣は市場に出れば非常に高い評価を受けるレベルにまで育っています。
ーー昨年上場されたそうですが、今後の展望についてもぜひお聞かせください。
藤原良輔:
私が目指しているのは「100年先も成長し続ける会社」をつくることです。そのためには、目先の利益を追うのではなく、正しいことをやり続け、人が育つ会社であり続けなければなりません。経営の透明性を高め、ガバナンスを効かせるための一つの手段として、TOKYO PRO Marketへの上場を選択しました。
そして、2030年までの中期ビジョンとして「エンジニア・デザイナーの職域の再定義」を掲げています。単に言われたモノをつくるだけの人材ではなく、大衆の認知をつくり出し、ビジネスの課題を直接解決できる存在へと引き上げていきたい。今後も採用と育成に注力し、AI技術の波にも正しく向き合いながら、関わる人全員が胸を張れる事業を展開し続けていきます。
編集後記
「学業では落ちこぼれだった」と笑う藤原氏だが、その根底には父親から託された「自分の人生に責任を持つ」という揺るぎない信念が流れていた。IT業界の分断構造に違和感を覚え、本質的な課題解決を追求する姿勢は、多くの大手企業からの絶大な信頼へとつながっている。「100年先も成長し続ける会社をつくる」という言葉の裏には、社員一人ひとりの市場価値を高め、ひいては業界全体の職域を再定義したいという深い愛情と覚悟を感じた。100年先を見据え、ひたむきに「正しいこと」を追求する株式会社アクトビのさらなる飛躍から目が離せない。

藤原良輔/1987年大阪府生まれ。高校中退後、メルセデス・ベンツ正規ディーラーにて整備士として勤務。22歳でダイニングバーを開業。その後、未経験からエンジニアに転身しSIer・コンサルティングファームを経て、2018年に株式会社アクトビを創業。2025年10月、東京証券取引所TOKYO PRO Marketに上場。100年先も成長し続ける会社を目指し、現在は新卒採用を強化中。人の成長の再現性づくりに取り組む。