
半世紀以上にわたり、時代時代にあった社会のあらゆる製品をゴム加工技術で支えてきた株式会社赤堀パッキング。現在は、ゴムやスポンジの特急加工を武器に独自のポジションを築いている。同社を率いる二代目の赤堀仁氏は、15歳から現場に立ち、厳しい修業と泥臭い営業で会社を牽引してきた。現在、赤堀氏が目指すのは、適正価格で利益を生み出し、社員が自走する組織の構築だ。そして視野は日本国内にとどまらず「アジアNo.1」へと向けられている。異端とも言えるその経営戦略と、組織変革の裏側に迫った。
「現場の痛み」を知るリーダーの誕生
ーーまずは、キャリアのスタートについてお聞かせいただけますか。
赤堀仁:
最初から後継ぎとして特別扱いされたわけではなく、15歳からアルバイトとして現場で働き、製造現場の最前線から家業を見てきました。大学卒業後は、修業のために大阪の同業他社へ入社しました。当時、関東の人間が関西の企業に入るのは珍しいことでしたが、あえて厳しい環境へ飛び込む道を選んだのです。そこには自分への甘えを断ち切ろうとする反骨心がありました。その地で毎日夜中まで働き、年間休日はわずか数日という過酷な環境で過ごしながら、加工技術の基本を習得していきました。
ーーその後貴社に戻られてから、どのような役割を担われたのでしょうか。
赤堀仁:
25歳で弊社に戻り、そこからの約10年間はひたすら新規開拓の営業に明け暮れました。親や会社から顧客を引き継ぐことは一切なく、すべてゼロから新規顧客を自分で切り拓き、当時は「9割打者」とも言えるほどの高い確率で、次々と仕事を取ってきました。昼間は営業に走り回り、夜は自ら受注した案件の加工を行うという日々を繰り返しました。過労で扁桃腺が腫れ上がり、医師から即座に入院を告げられることも多々あり、非常にハードな働き方でしたが、そうした泥臭い努力を積み重ねることで、信頼を勝ち取ってきたのです。この圧倒的な現場経験と営業力が、現在の「攻めの経営」の源泉になっています。
「スピード」という名の究極のサービス業
ーー貴社の強みである「超特急即納システム」には、どのような思いが込められていますか。
赤堀仁:
お客様は「水や油が漏れている」「機械が止まってしまった」と、たった一つの部品が手元にないために、本当に困り果てて連絡をくださいます。超特急で製品をつくり、その「困った」を即座に解決し、お客様から「ありがとう」という言葉をいただくことこそが、私たちの商売の本質です。私は、製造業は究極のサービス業だと考えています。図面通りにものをつくるのは当たり前のこと。それをいかに早く、そして気持ちのよい対応とともに届けるか。そのプロセスすべてが、お客様に選んでいただける理由になるのです。
ーー価格競争については対策を立てられているのですか。
赤堀仁:
安売りは絶対にしません。日本の企業で黒字を出しているのはわずか3割程度という厳しい現実を直視する必要があります。ゴム加工業界の値崩れにもつながりますし、長く会社を続けることは大事ですが、適正な利益を出さなければ社員に還元もできず、設備投資もできず、会社は成長できません。コロナショックを機に、すべての価格を適正に見直しました。私たちの強みである技術力とスピードという大きな付加価値に対し、適正価格をいただく経営へと舵を切ったのです。安売りではなく、利益をしっかりと確保できる体質へと完全に転換しました。
「赤堀イズム」と自走する組織

ーー組織をまとめる上で、どのような変革を行ってきましたか。
赤堀仁:
トップダウンからの脱却を図りました。かつては私がすべてを判断して指示を出していましたが、今は現場に権限を委譲しています。「ただこなすのではなく、自分で考えなさい」「不安があれば上司に相談しなさい」と口酸っぱく伝えています。自分で決断し、責任を負うプロセスを踏まなければ人は成長しません。役職への登用についても、自ら手を挙げた人に任せる挙手制を採用しており、製造部も営業部も自ら改善に動く「自走型組織」への移行プロセスが進んでいます。
ーー社員の方々の意識を変えるために、どのようなメッセージを伝えているのでしょうか。
赤堀仁:
実は、社員には「会社のためではなく、まずは自分のために働きなさい」と投げかけています。会社に対する忠誠心のようなものを押し付けるのではなく、自分がよりよく働くため、個人の成長を追求し、豊かになるために行動する。それが結果としてお客様への最善のサービスにつながり、最強のチームをつくるからです。この逆説的なロジックが浸透し、今では急ぎの案件が来ても、製造部と営業部が協力し合って対応する風土ができあがっています。
DX×海外展開で描く「アジアNo.1」のビジョン
ーーDXやAIの活用については、どのような方針をお持ちですか。
赤堀仁:
DXやAIの導入は、もちろん今後当たり前のように浸透していきますが、それ自体が目的化してはいけません。あくまで「人手不足の解消」や「技術承継」のための武器です。私たちの仕事にはどうしても職人の手作業が必要な部分が残りますが、機械化できる部分は徹底して省力化し、人間は人がやるべき付加価値の高い業務に集中するための機械化であるべきだと考えています。
ーー海外展開も積極的に進められているのでしょうか。
赤堀仁:
2050年には日本の人口が大きく減少し、国内市場だけで戦うには限界が来ます。国内の縮小をただ嘆くのではなく、ファーストペンギンとして自ら海外に活路を見出す攻めの戦略をとるべきです。現在、ベトナムのハノイに営業所を構え、現地で採用した非常に意欲的な若手メンバーを日本に招き、育成しています。彼らが技術と「赤堀イズム」を身につけ、将来的に現地工場の責任者として活躍する青写真を描いています。
ーー最後に、貴社が目指す今後のビジョンをお話しいただけますか。
赤堀仁:
目指すのは日本No.1ではなく、「アジアNo.1」です。ただ、規模を拡大するだけではなく、まずはしっかりと売上高と利益を積み重ねること。そして何より、社員が「赤堀パッキングで働いてよかった」と思える、生き生きと働ける土台をつくっていくことが私の最大の使命です。
編集後記
過酷な修業時代と泥臭い現場経験を経て、圧倒的な技術力と営業力で道を切り拓いてきた赤堀氏。「製造業は究極のサービス業」と言い切るその眼差しには、顧客の困りごとを最速で解決するという強い使命感が宿っていた。安売りと決別し、権限委譲によって自走型組織をつくり上げる経営手腕は、変革期にある多くの日本企業にとって大きなヒントとなるだろう。国内市場の縮小にとらわれず、ベトナムから「アジアNo.1」を目指す同社の今後の躍進が楽しみだ。

赤堀仁(あかほりひとし)/1973年2月13日東京都生まれ、駒澤大学卒業。15歳から22歳まで自社工場でバイトし、大学卒業後、大阪の同業他社に2年間、ゴムメーカーに1年間、計3年間の修業を経て、1998年に株式会社赤堀パッキングに入社。2009年に同社代表取締役社長に就任。