
古野電気株式会社は、1948年に世界で初めて魚群探知機の実用化に成功して以来、超音波や電子技術を基盤に、商船向けレーダーで世界シェア43%、漁業向け電子機器で同49%を占める船舶用電子機器メーカーだ。1938年創業の古野電気商会というラジオ修理業をルーツに持ち、90年近い歴史を紡いできた同社は、世界100カ国以上に販売・サービス拠点を広げ、海外売上高比率は70%以上に達するなど、日本発のグローバル企業として確固たる地位を築いている。同社の成長を牽引してきた代表取締役社長執行役員の古野幸男氏に、異業界から培った戦略眼や独自のグローバル戦略、そしてスマート化を見据えた経営ビジョン「FURUNO GLOBAL VISION "NAVI NEXT 2030”」(以下、NAVI NEXT 2030)と次世代への思いをうかがった。
他業界からの挑戦と「俯瞰する力」が生む戦略
ーーまずは、社会人としてのキャリアのスタートからお聞かせください。
古野幸男:
大学卒業後の1971年に帝人株式会社に入社し、繊維業界でキャリアをスタートさせました。当時は、紡績から染色、そして最終的な製品化に至るまで、外部の協力会社に依頼してものづくりを進める部署に所属していました。
繊維産業は、原料となる石油から糸がつくられ、織物になり、染色され、縫製され、商社を経て小売店に並ぶという非常に長いサプライチェーンを持っています。私はその全体の流れを俯瞰して見るのが好きで、専門誌などを読み漁りながら、技術的な裏付けや産業全体の動向について幅広く学んでいました。この「全体を俯瞰して物事を捉える経験」が、後に全く異なる業界で経営に携わるうえで、大きな武器になったと感じています。
ーーその後、貴社へ入社された経緯について教えていただけますか。
古野幸男:
当時の社長の娘と結婚した縁もあり、義理の父親から「会社に来ないか」と誘いを受け、36歳の頃に古野電気へ入社しました。ただ、私自身はずっと化学メーカーにおりましたので、電子機器や機械メカニズム、あるいは主なお客様である漁業の分野はまったくの未経験でした。同族経営の会社に突然身内が入ってきたわけですから、周囲からの見られ方も含めてプレッシャーはありましたね。社内には各技術の専門家が揃っている一方で、会社全体や業界全体を体系的に教えてくれる人はいませんでした。
ーーその状況をどのように乗り越えられたのでしょうか。
古野幸男:
入社後は経営企画を担当し、5〜6名の部署で働いていたのですが、他の方々も忙しくて、なかなか相談や情報をいただく機会を得にくい環境でした。「これではいけない」と思い、漁業白書(現在の水産白書)を買って、とにかく業界について勉強しました。同時に、弊社をはじめ同業他社の有価証券報告書や決算書を読み、自社の特長や強みについて知見を深めました。すると、「社内でも業界や会社のことに詳しい人」だと周りの社員からも認めてもらえるようになりました。
私は技術の専門家ではありませんでしたが、歴史を紐解き、全体を俯瞰し、戦略の方向性を示して、それぞれの分野で能力のある優秀な社員に任せていく。そうしたマネジメントの姿勢が、会社を引っ張っていくうえで非常に重要だったのだと思います。
ラジオ屋から始まった「現場主義」と世界トップシェアへの軌跡

ーー貴社の歴史と、事業の強みについてお聞かせください。
古野幸男:
弊社のルーツは、義理の父親である創業者が長崎で始めたラジオの修理・販売業にあります。ルーツまで遡れば90年近い歴史がありますが、大きな転換点は戦後の食糧難時代でした。「船の底から超音波を出して水深を測る測深機を、魚を探す用途に転用できないか」という、誰も考えてもいなかった発想に至ったのです。そこから、漁師たちと一緒に船に乗り、実際に魚群が見えるのかどうかを何度も検証しました。
船底に穴を開けるという船の命に関わるリスクを伴うため、はじめは猛反対もされましたが、粘り強く改良を重ねた結果、1948年に世界で初めて魚群探知機の実用化に成功しました。その後も、超音波や電子技術をもとに世界初・日本初の製品を数多く開発しています。
ーーそこからどのように事業を拡大されていったのですか。
古野幸男:
魚群探知機という世の中にない新しい機械を普及させるには、既存の代理店任せにするのではなく、直接漁師のもとへ足を運んで説明し、納得してもらう必要がありました。いわゆる「浜営業」と呼ばれる泥臭い営業活動です。お客様の要望を直に聞き、トラブルがあればすぐに対応する。こうしたお客様に密着した現場主義の営業スタイルが、私たちの原点です。
さらに、販売拠点を持ったからには、新しい商品を継続的に提供しなければなりません。そこで、無線機や小型レーダーなど、漁船に必要な電子機器を次々と開発し、品揃えを拡充していきました。長年の浜営業を通じて現場の課題をすべて解決する「ワンストップ企業」へと変貌を遂げたことが、国内市場における絶対的な強みとなりました。
ーー国内での足場を固められた後、海外展開はいつ頃から始められたのでしょうか。
古野幸男:
1950年代後半から海外への展開を始め、1970年代のオイルショック時には、漁業に加えて海底油田関連の需要が高まっていたノルウェーなどを足がかりに欧米へ大きく市場を広げました。当初は一国一代理店という形をとっていましたが、販売体制の安定と強化を目指して代理店を子会社化し、現地の販売・サービス拠点として自社によるグローバルネットワークを構築してきました。結果として、現在では売上高の70%以上を海外が占めています。世界中を航行するお客様の船を止めることなく、どの港でも質の高いサービスを提供できる体制が、世界トップシェアの実績につながっています。

好業績を支える3つの要因とスマート化を見据えた「NAVI NEXT 2030」
ーーそういった取り組みによって業績は上がっているのでしょうか。
古野幸男:
おかげさまで、大幅な増収増益となっております。これには大きく3つの要因が重なっています。
第一に「新造船」需要の増加です。コロナ禍を経て貿易量が拡大し、海運業界が好況に沸く中で、既存船の機器換装や新たな船の建造に向けた投資が活発化しました。また、アメリカをはじめとする市場では、富裕層による大型ボートやスポーツフィッシング向けの需要も大きく伸びています。
第二に「価格の見直し」です。世界的な部材の高騰に対応し、適正な価格設定への見直しをしっかりと進めたことで収益性が改善しました。
第三に「為替」です。輸出比率が高い弊社にとって、円安は売上高と利益を力強く後押ししました。これら「需要」「価格」「為替」の三拍子が揃ったことが、目標を早期達成できた大きな理由です。
ーー貴社が現在、次の成長フェーズとして描いている将来像についてお聞かせください。
古野幸男:
現在、私たちは経営ビジョンとして「NAVI NEXT 2030」を掲げ、大きな変革に取り組んでいます。これまでの機器を販売する「フロー」のビジネスから、保守・メンテナンスやデータ活用を通じた「ストック」のビジネスへの転換を図っています。現場での地べた営業で築き上げてきた強固なサービスネットワークにITを掛け合わせることで、継続的な価値を提供し、お客様とより強固で長期的な関係を築いていきます。
具体的には「スマート化」の推進です。現在、日本財団が推進する2040年までに内航船の50%を自動運航化するプロジェクト「MEGURI2040(めぐり2040)」に参画しており、弊社もその中核として自律航行システムを開発し、2024年には社屋内に陸上支援センターを設置しました。ここから4隻の無人運航を支援しています。

また、機器から得られるデータを分析して故障の兆候を事前に検知する「予兆保全サービス」や、遠隔からトラブルに対応する「リモートメンテナンス」、高まるサイバーセキュリティ需要に応える情報通信技術のエンジニアリングなど、より安全で効率的な航海を支える技術開発に全社を挙げて注力しています。
防衛・新領域への展開とこれからの時代を担う若手への期待

ーー既存事業に加え、新たな領域への展開も進められているのでしょうか。
古野幸男:
私たちが培ってきた「センシング・情報処理・通信・統合」というコア技術は、海だけでなく、陸上や宇宙といった新たな領域でも力を発揮します。たとえば、防衛装備品事業では、安全保障環境の変化に伴い防衛予算が拡大する中で、需要が増加しています。弊社は生産体制や原価管理の精度を高めながら、陸・海・空のあらゆる現場で国民の安全を守る技術を提供していきます。
また、次世代衛星測位技術といわれる低軌道測位衛星システム(LEO PNT)の開発にも取り組んでいます。これは既存の全球測位衛星システム(GNSS)よりも低高度から信号を発信するため、信号強度が非常に高く、収束時間も短いという特徴があります。これらを組み合わせることで高精度な時刻同期を実現し、5Gや6Gの基地局など重要インフラを支える技術基盤として貢献していきます。

ーー最後に、これから社会に出る若手人材に向けてメッセージをお願いできますでしょうか。
古野幸男:
これからの時代は、自分の得意とする専門分野を深く掘り下げつつ、世の中の幅広い事象に対しても関心を持つ人財が求められると考えています。一つのことだけを追求する専門家も当然必要ですが、俯瞰的な視点を持つことで、異なる知識が結びつき、新たな価値を生み出すことができます。
また、ビジネスの舞台はますますグローバルになっています。多様な背景を持つ人々と円滑に意思疎通を図り、協力して物事を進めていく力は欠かせません。語学力はもちろんですが、まずは身近なところからさまざまな情報に触れ、好奇心を持って学び続ける姿勢を大切にしてほしいと思います。弊社の挑戦に共感し、一緒に新しい時代を切り拓いてくれる若い力に大いに期待しています。
編集後記
他業界から歴史あるメーカーへと飛び込み、独学で業界構造を把握してトップへと上り詰めた古野氏。そのマネジメントの根底にあるのは、全体を俯瞰し、現場の声を拾いながら、優秀な人材へ仕事を任せていくという「人を活かす仕組み化」の信念だ。世界中に広がる「FURUNO」ブランドだが、この英語表記には創業者の名字だけでなく、世界中の海で働く人々に共通の価値を届けるというグローバルブランドとしての決意が込められている。魚群探知機という「未知の可視化」から始まった同社の挑戦は、今や無人運航や宇宙測位といった未来のインフラづくりへと広がっている。「なくてはならないFURUNO」を目指す同社の進化は、止まることを知らない。

古野幸男/1971年、帝人株式会社に入社。その後、1984年に古野電気株式会社に入社。1987年、管理本部の副本部長に就任。1987年、取締役就任。1990年、常務取締役就任。1999年、常務取締役管理担当兼東京支社長に就任。2007年、代表取締役社長に就任。2021年、代表取締役社長執行役員兼CEO(現任)。