
創業75周年を迎える株式会社ニシ・スポーツ。多くの日本の公認陸上競技場に関与し、ハードルや投てき用具などの用器具において圧倒的なシェアを誇る同社は、まさに日本の陸上競技界を支えるインフラストラクチャーとしての役割を担っている。親会社である株式会社アシックスから代表取締役社長に就任した松田卓巳氏は、バスケットボール出身という「異競技出身者の客観的な視点」から、伝統ある同社のポテンシャルを再定義しようとしている。「仕事は一人では完結しない」と語る松田氏が、圧倒的シェアを持つ企業だからこそ抱く危機感と、組織に浸透させようとしている新たな文化について語った。
0から1を生み出す原体験 「仕事は一人では完結しない」
ーーまずは、これまでのキャリアについて教えていただけますか。
松田卓巳:
新卒で株式会社アシックスに入社したのですが、もともと神戸出身で、幼い頃から地元企業であるアシックスに憧れを抱いていました。大学ではスポーツマネジメントを専攻し、念願叶っての入社でした。キャリアの中で特に印象に残っているのは、入社3年目の経験です。当時、元プロサッカー選手などの著名人と連携し、全国でジュニアサッカースクールを開催するプロジェクトを任されました。若手で経験も浅い中、社内の先輩や社外の関係者など、多くの協力がなければプロジェクトは動きません。スケジュール調整から資料作成、アスリートや関係各所との折衝まで、必死に思考し、奔走した日々でした。
ーーその経験から、どのような教訓を得られましたか。
松田卓巳:
「仕事は一人では完結しない」という事実です。0から1を生み出す仕事であれ、1を10にする仕事であれ、周囲を巻き込む力が不可欠だと痛感しました。私が大切にしているのは、自身の夢やゴールと、共に働く仲間のゴールを重ね合わせることです。方向性が一致すれば、1の力が2にも3にも増幅する。だからこそ、常に謙虚さを失わず、チームを鼓舞することを意識しています。この考え方は、その後のランニングイベントの立ち上げや、グループ内のトレーニング施設運営会社の代表を務めた際にも、私自身の軸となりました。
高いシェアを占める企業の「責任」とは 単なるモノ売りからの脱却

ーー株式会社アシックスから貴社の社長に就任され、客観的に見て改めて感じた強みは何ですか。
松田卓巳:
グループ内部から当社へ来て初めて、国内公認陸上競技場に導入される用器具や計時・計測・電子機器で多くのシェアをいただいている事実の重みを再認識しました。当社は、単に製品を納入するだけでなく、年間80大会以上の陸上競技会運営をサポートしています。またアパレル、トレーニング機器の販売まで競技環境を包括的に提供しており、これは世界的に見ても極めてユニークな立ち位置です。極端な話をすれば、当社の歩みが止まれば国内の陸上競技大会が開催できなくなってしまう。それほど、陸上競技界にとって必要不可欠な存在なのです。
ーー圧倒的なシェアがあるからこその課題もあるのでしょうか。
松田卓巳:
「待っていてもご注文をいただける」という環境は、時に受動的な姿勢を生みます。しかし、少子化で競技人口が減少する中、現状維持は衰退を意味します。シェアを保持しているからこそ、業界をリードし、文化を醸成していく責任がある。単にモノを売るのではなく、顧客の声を吸い上げ、新しい価値やサービスを創出する「価値創造(コトづくり)」の発想への転換を、今まさに社員に求めています。

創業者から学んだ「志」 陸上競技文化の醸成へ
ーー組織づくりにおいて、アシックス時代のご経験はどのように活きていますか。
松田卓巳:
私は過去に5年間、アシックスの社長室にて企業の代表の傍で執務する機会を得ました。そこで企業の代表や創業者の「スポーツを通じて社会に貢献する」という精神、その言動や振る舞いに深く触れることができました。当時学んだ企業としての姿勢や責任感は、現在の私の経営判断の根底に流れています。当社もまた、75年の歴史の中で真摯なモノづくりを続けてきた会社です。その伝統を継承しつつ、社員一人ひとりが「社会のインフラを支えている」という誇りと責任を持てる組織を構築したいと考えています。
ーー今後の展望について、お話いただけますか。
松田卓巳:
大きな方向性は二つあります。一つはグローバル展開です。昨年の世界陸上競技選手権大会では、投てき3種目(砲丸投・円盤投・ハンマー投)の男女全18個のメダルのうち、10個を当社の投てき用具を使用するアスリートが獲得しました。また、夏季デフリンピック競技大会では、当社の「光刺激スタート発信装置(通称:スタートランプ)」が高い評価を得ました。これは、聴覚障がいのあるアスリートに向けて光でスタートの合図を知らせる補助システムです。このように、当社の技術は世界基準にあります。この日本の緻密な技術を、戦略的に世界へ広げていきます。
もう一つは、社内の意識改革です。陸上競技は個人種目が主体ですが、目標が定まった際の団結力には目を見張るものがあります。このエネルギーを、陸上競技文化の醸成やスポーツ界全体への貢献という大きなベクトルへ向けていきたい。社員が自律的に考え、行動し、仕事の中に喜びと責任を見出せる企業を目指します。
編集後記
シェアの高さにあぐらをかくことなく、むしろそれを「責任」と捉える松田氏の言葉には、トップ企業としての強烈な矜持が感じられた。バスケットボールという異競技の出身だからこそ見える同社のポテンシャルと、社長室時代に培った創業者のDNA。これらが融合し、老舗企業に新たな風を吹き込んでいる。インフラとして競技を支えるだけでなく、文化そのものを創り出そうとする同社の挑戦に、今後も注目したい。

松田卓巳/1977年兵庫県生まれ。京都教育大学卒業後、2001年に株式会社アシックスに入社。同社ではグローバルスポーツマーケティング部長として海外市場でのブランド価値向上に尽力したほか、社長室長として経営層のサポートに従事。また、グループ内のトレーニング施設運用会社にて代表取締役を務めるなど要職を歴任。2024年1月、株式会社ニシ・スポーツ 代表取締役社長に就任。