
「目標を紙に書くと叶う」。下請けの過酷な環境で疲弊していた若手プログラマーは、一冊の本との出会いを機に自社サービスへの転換を決意する。たった1台のパソコンから始まった株式会社エイチームホールディングスは、多角的なビジネスを展開する東証プライム上場企業へと飛躍的に成長した。激動のIT業界の荒波を彼らはどう乗り越えてきたのか。「社会が求めるもの」へと視点を転換させたターニングポイントや未来像について、林高生社長に経営哲学と戦略の軌跡をうかがった。
岐阜県土岐市 パソコン1台からのスタートと下請けの苦悩
ーーまずは、創業の経緯からお聞かせいただけますか。
林高生:
私は11歳からプログラミングを始め、趣味やアルバイトとしてずっと続けていました。私の父親は陶芸家であり、小さい頃から私がその後を継ぐという話がありました。しかし、私が9歳の時に父が病気で亡くなってしまったため、陶芸家になることは必須ではなくなったのです。
その後、25歳の時に、陶芸家になるかコンピュータのプログラミングを仕事にするかで迷いました。ただ、「陶芸家だとしばらくは食べていけないだろう」と考え、プログラミングの仕事を始めようと決心したのが起業のきっかけです。1997年6月、岐阜県の土岐市で知人からお金を借りてパソコンを1台買い、姉の勉強机と電話1台の環境で個人事業としてスタートしました。当時は企業様向けの在庫管理システムや自動車の塗装ロボットのシミュレーターなどの受託開発を行っていました。
ーー現在の会社組織へと拡大していく過程で苦労したことを教えてください。
林高生:
創業から3ヶ月後に16坪のオフィスを借り、友人や知人を集めて4名体制で再スタートを切りました。当初はオフィスでの社内開発でしたが、案件が大型化するにつれて、お客様の会社に常駐する派遣スタイルが中心になってしまったのです。しかし、常駐派遣での時間単位の契約ではどうしても売上高が制限されます。スタッフの人件費や家賃などの固定費を支払うと資金繰りが苦しくなり、1999年から2000年頃にかけてが最初に訪れた経営の危機でした。
下請けの苦悩と運命を変えた一冊の本
ーーその後はどのような経験を積まれたのですか。
林高生:
2000年になると世の中にiモードが登場し、携帯電話(フィーチャーフォン、以下:ガラケー)でインターネットができる時代が来ました。東京の携帯サイトをつくる仕事が山のようにあると聞き、私たちは岐阜県から市場の大きい名古屋へと拠点を移しました。アルバイトも含めて13名ほどの規模に拡大しましたが、当時の取引先からは理不尽な要求や対応が繰り返され、私たちはひどく疲弊してしまいました。スタッフの顔を見ると「辞めようか」とも言えず悩んでいた時に、ふと神田昌典氏の著書である『非常識な成功法則』という一冊のビジネス書に出会ったのです。
ーーその本にはどのようなことが書かれていたのでしょうか。
林高生:
そこには、「目標を紙に書くと叶う」「目標は数値化して現在の10倍のスケールで描き、期限を2年後に設定する」といった内容が書かれていました。当時はまさに人生のどん底だったため、私はこの状況を打破しようと目標を書き出し、今何をやるべきか必死に考えました。結果的に下請けの受託開発から脱却することができ、自社発信の携帯アプリゲーム会社になろうと方針を変更できたのです。これがエイチームの方向性を決定づける最大のターニングポイントでした。
「自分たちに何ができるか」から「市場に何が刺さるか」への視点の転換
ーー未経験の領域である新事業はどのように進めましたか。
林高生:
並行してウェブサイトをノーコードで開発できるBtoBのSaaS事業も進めていましたが、全く売れず顧客の課題解決に直結しない難しさを痛感しました。一方、携帯ゲーム開発は長年のプログラミング経験からハードルは低かったものの、ただつくれるものをつくっても意味がありません。業界関係者にリサーチすると「これからは絶対に『萌え』の市場が来る」という答えが返ってきたのです。
ーーその後、どのような戦略を立てたのでしょうか。
林高生:
秋葉原系文化を徹底リサーチし、美少女恋愛シミュレーションゲームをつくることにしました。当時のパケット通信料の高さを考慮し、通信量を極力抑えつつ、シナリオや絵柄を差し替えるだけで大量生産できる汎用性の高いゲームエンジンを構築してみたのです。その後、実際にリリースすると、限られたスペックの中で表現された画期的なシステムが高く評価され、初月でいきなり100万円ほどの売上高を記録しました。システム基盤があるため、あとは市場ニーズに合わせてコンテンツを量産するだけで利益率が飛躍的に上がる好循環に入りました。
ーーゲーム事業での成功はもう一つの事業にどのような影響を与えましたか。
林高生:
劇的な変化をもたらしました。資金と時間に余裕が生まれ、全く売れなかったノーコードツールを大胆に改造し、流行し始めていたデジタルコンテンツの課金サイトを構築するシステムへと生まれ変わらせたのです。外部クリエイターとレベニューシェア(成功報酬型)でタッグを組み、次々とサイトを立ち上げ、大きな収益の柱へと成長させることができました。
ーー二つの事業の成功体験から経営者としてどのような教訓を得られましたか。
林高生:
私はこの経験から、今市場に何が刺さるのか、社会が何を求めているのかをまず考える「マーケットインの視点」の重要性を学びました。技術力に自信のあるベンチャーが陥りがちなのは「自分たちに何ができるか」というプロダクトアウトの視点です。しかし、どれほど優れた技術でも市場のニーズに刺さるとは限りません。市場起点への発想転換こそが、その後の多角化の強力な武器になったのだと思います。
他業界のビジネスモデルを抽象化しライフスタイル事業を展開

ーーその後、貴社はどのようにして事業を展開してきたのですか。
林高生:
社員が30名に増える中、ゲームなどのエンターテインメント領域にとどまらずパソコン向けのネットサービスも立ち上げたいと考えていました。そんな折、とあるホテルの予約サイトを運営する企業が上場し、利益を出しているという話を聞きました。ビジネスモデルを調べると、ホテルの空き部屋を予約サイトに掲載し、お客さんを送客して紹介料をもらう仕組みでした。これに気づいた時、このモデルはホテルだけでなく、引っ越しなど他の業界にも当てはめられるのではないかと閃いたのです。
ーー具体的にはどのようなサービスを思いついたのでしょうか。
林高生:
特定の業界で成功しているビジネスモデルの構造を抽出し、別の業界へと横展開させたのです。それが、「ゲーム会社が立ち上げた」比較サイトです。当時は珍しいサービスとあってか世間からは不思議がられましたが、私は業態を固定する方が大きな経営リスクだと感じていました。事業の柱を複数持つポートフォリオ経営こそが企業の安定に繋がります。何より社会が求めている課題解決であり、自分たちの技術力で実現できるならつくるべきだと信じていました。
上場への険しい道のりとスマホシフトへの即断即決
ーー多角化によって事業が急成長を遂げる中で上場を目指された最大の理由は何ですか。
林高生:
売上高が数億円に達し、上場を意識し始めましたが、決断するにあたり最後の背中を押したのは社員や社員の家族の存在でした。当時はベンチャー企業への社会的信用が低く、社員の親から心配されることも少なくありませんでした。私を信じてついてきてくれた社員の身内を安心させ、エイチームが社会に確かな価値を提供する好機だと世間に証明したかったのです。
ーーそこから上場までは順調に進んだのでしょうか。
林高生:
困難の連続でした。上場準備を始めた矢先にライブドアショックが起こり上場審査基準が厳格化し、さらに2008年のリーマン・ショックで計画は何度も後ろ倒しになりました。実際に承認が下りるまで約7年もの歳月を費やしたのです。
その間にIT業界の事業環境にも変化がありました。最大のパラダイムシフトがスマートフォンの台頭です。弊社の主軸はガラケー向け事業だったため死活問題でしたが、私はスマホの波からは逃れられないと直感し、社内の全リソースを即座にスマホにシフトさせる決断を下しました。最大のピンチであると同時に、自社ゲームをグローバル配信できる過去最大のチャンスでした。利用層の拡大でライフスタイル比較サイトの利用者も急増すると考え、機能の追加に応じて課金するフリーミアムモデルにもいち早く対応し、スマホ向けの新たな巨大市場を開拓してきたのです。
圧倒的な技術力を武器に他社と組む選択と集中
ーー改めて、貴社の独自性や最大の強みはどこにあるとお考えですか。
林高生:
ヒットすると業績が変動するエンターテインメント事業と、安定してキャッシュを生み出すライフスタイルサポート事業(現:デジタルマーケティング事業)という性質の異なる2つの領域を両立させている点が弊社の特徴です。この絶妙なバランスが強固な経営基盤をつくっています。そして事業推進の強みは、創業からの圧倒的な技術力です。私自身がエンジニア出身であり、新しいテクノロジーの探求に貪欲な人材が集まっています。この技術的裏付けがあるからこそ、国内外の有力企業からパートナーシップのお声がけいただけているのだと思います。
ーー多くの有力企業からパートナーとして選ばれる理由は、どこにあるとお考えですか。
林高生:
自社でオリジナルの開発に固執するのではなく、他社と積極的に組もうという姿勢があるからだと考えています。近年は事業ポートフォリオの選択と集中を進め、自前主義にはこだわっていません。市場が求める価値をいかにスピーディかつ高品質に提供できるかが最優先であり、そのため、優れたプロダクトを持つ企業とのアライアンスや買収を積極的に行っています。最近も素晴らしい技術を持つスタートアップをグループに迎え、我々のデジタルマーケティングのノウハウを掛け合わせることで短期間で彼らの売上高を2倍以上に伸ばしました。弊社はエンジニアが多く、テック企業の文化を深く理解していることも大きな強みです。
AIがもたらす究極の組織再編とテック集団としての未来
ーー今後の貴社のビジョンについてお聞かせいただけますか。
林高生:
我々は今後、さらに高度で強力なテック集団を目指して進化していきます。エンジニア出身の社長が最前線で率いる大企業は多くないため、このエンジニアドリブンな文化を最大限に活かし、志を同じくするテクノロジー企業との協業を通じてグループ規模を拡大していきます。
ーーそのテック集団としての進化の中で現在最も注目されている技術テーマは何でしょうか。
林高生:
やはり生成AIをはじめとする人工知能の高度活用です。現場の業務効率化はすでに進めていますが、私がより強く注目しているのはAIを活用した抜本的な組織づくりです。人事評価やマネジメント領域でAIシステムを活用し、経営理念などの複雑な文脈を読み込ませることで、人間の感情によるブレやバイアスをなくし意思決定を高度化します。重要なのは、AIが業務を代替できる前提で、本来あるべき組織の姿をゼロベースで再構築することです。
ーーAIを前提としたゼロベースの組織再編とはどのような変化をもたらすのですか。
林高生:
AIのサポートがあれば、マネージャー1人が数十名の状況を的確に把握できるようになります。階層をなくした極めてフラットで意思決定の速い組織へと生まれ変わり、定型業務をAIに任せれば部署そのものをなくすこともあり得ます。これはコストカット目的の人員削減ではなく、生み出された人間の余力を新規事業の創出やクリエイティブな企画立案など攻めの業務に全振りするためです。これにより売上高と利益を伸ばし、社員の働き方もより創造的に進化させられると確信しています。
ーー最後に、読者の方々へメッセージをお願いいたします。
林高生:
エイチームはエンターテインメント事業やデジタルマーケティング事業にとどまらず、これからはBtoB領域でもテクノロジーや業務支援ソリューションを提供し、企業の成長を後押しする売上向上支援カンパニーの役割も担っていきます。「自分たちに何ができるか」に縛られず社会が求めるものを見極め、環境変化を恐れず自らをアップデートし、進化し続けます。私たちの今後の挑戦にぜひご期待ください。
編集後記
「目標を紙に書くと叶う」。単なる精神論で終わらせず数千億円規模の市場価値を生み出したのは、林社長の圧倒的な行動力と成功体験を捨てる柔軟な思考だった。下請けから抜け出し、他業界のビジネスモデルを抽象化して横展開し、全社を挙げてガラケーからスマホへ即座にシフトして危機を好機へと変えた視座の高さには驚かされる。「自分たちがつくれるもの」ではなく「市場が求めるもの」を追求し続ける姿勢。今、AIという波を捉え、業務効率化にとどまらず抜本的な組織再編にまで踏み込もうとする同社。高度な技術力と時代の風を読む嗅覚を併せ持つ「テック集団」が次にどんな市場を切り拓くのか、進化を止めない彼らの挑戦から目が離せない。

林高生/1971年、岐阜県生まれ。1997年に個人事業としてエイチームを創業、ソフトウェアの受託開発を開始。2000年に有限会社エイチームを設立し、代表取締役社長に就任。2012年に東証マザーズ上場後、史上最短記録(当時)で東証一部へ市場変更を果たし、現在は東証プライム市場に上場。