
1960年代から独自の視点でビジネスを切り拓いてきた株式会社ヘリテイジリゾート。父親が創業したヘルスセンターを原点とし、現在の「ヘリテイジリゾート」という形へと自らの手で事業を築き上げた代表取締役社長の杉田憲康氏は、19歳でスキー場を立ち上げた異色の経歴を持つ。その後も30歳で30面のコートを持つテニスクラブを設立し、ホテルやプール、ゴルフ場を展開してビジネスを成功へと導いた。徹底したマーケティングと時代を読む感性を武器に、当時は「儲からない」とされていたレジャー産業に企業研修というジャンルで切り拓き多目的な事業展開に挑んできた杉田氏。77歳を目前に地政学を学び、気候変動を見据えた次世代リゾートや教育事業へ挑み続ける同氏に、経営の原点と今後の展望をうかがった。
「儲からない」産業にあえて挑んだ19歳の原点と30歳の決断
ーー経営者としての原点について教えてください。
杉田憲康:
私が初めて本格的にビジネスを手掛けたのは、まだ19歳のときです。当時は学生運動が激しく、大学がロックアウトされて学校に行けなくなる事態に見舞われました。そこで、父親が経営していたヘルスセンターのオフシーズン対策として、天候の影響を受けにくくブームになりつつあったスキー場に目を付けたのです。小さい頃から父親とは反骨精神から喧嘩ばかりしていましたが、私がアイデアを出して工夫する姿をどこかで認めてくれていたのでしょう。当時の金額で1500万円という大金を出してくれましてね。その資金で潰れた食堂を買い取ってロッジをつくり、その後スキー場の開発をして、結果的に3年間で全額返済したのが、私の経営の原点です。
ーーテニスクラブ設立後、あえてレジャー産業を選んだ理由は何ですか。
杉田憲康:
父親が経営するヘルスセンターが時代遅れになり、私が引き継がないのであれば売却をするとの話が出た時に、「私がやります」と答えました。但し条件として「経営に一切口出ししない、潰しても後悔しない。」と伝え、この二点と株も全部買い取りました。
当時のマスレジャー産業は、一般的には斜陽化していました。「レジャー」という言葉を私なりに日本語に訳すと、「儲からない」という意味になります。しかし、この場所は東京から近くて自然が美しく、朝夕の景色が本当に素晴らしかった。この価値をなんとか活かしたいと思い、当時は一面からでも商品になり、リスクが少ないテニスクラブから始めました。
あえて「儲からない」産業に挑んだ情熱と、独自の徹底したマーケティングによるスポーツビジネスや研修事業・ファミリーでのリフレッシュ等への展開、そして経営理念は、この頃から培われたものです。ちょうど日産スカイラインのCMの影響で若者の間にテニスブームが到来した運もあり、時代を的確に捉えながら、そこからホテルやゴルフ場へとレジャー事業の挑戦を拡大していったのです。
「食」への強いこだわりとルーツ「人間に自然に還れ」という思い

ーー貴社の「食」へのこだわりはどこから来ているのでしょうか。
杉田憲康:
一番影響を受けたのは母親です。とても繊細な人でセンスも良く、当時、埼玉県で女性ただ一人の一級調理師免許も取得して、例えば20分間で生きた鯉の活き造りをつくり、大根の桂むきでバラの花を添えるような厳しい試験だったそうです。自家の畑で野菜も全て作り、調理現場で懸命に働く母の背中を見て育ちました。だからこそ、ホテルやリゾートを運営する上でも「食」には強いこだわりを持っていますし、「医食同源」という考えを大切にしています。
ーー創業時から掲げている理念について教えてください。
杉田憲康:
私は事業を始めたときからある理念を掲げてきました。それは、「人間に自然に還れ」という言葉です。ジャン=ジャック・ルソーの「人間よ自然に帰れ」という言葉がありますが、私はそれには少し違和感を持ちました。これからの時代を生きていくなら、より人間らしく、そして自然は自然らしくあるべきだと考えたのです。より人間らしく生きるためにどうしたらいいか、自然の大切さをどう守っていくか。それがビジネスの基本だと思っています。こうした妥協のない理念とおもてなしの精神を貫いてきたからこそ、皇室ゆかりのホテルとしてご宿泊いただけるような歴史と文化を築き上げることができたのだと自負しています。
気候変動と地政学を見据えた事業変革と次世代への教育
ーー今後の未来、会社をどのようにしていきたいとお考えですか。
杉田憲康:
私は間もなく77歳になりますが、まだまだ守りに入るつもりはありません。今一番興味を抱いているのは「地政学」です。温暖化など地球規模の気象変動もその一つで、これだけ気候変動が激しくなり夏は40度がめずらしくない中で、AIや天候に左右されやすいストレス社会で屋外のアウトドア事業のリスクを軽減していく必要があります。だからこそ今後は、より人間らしいこだわりの「癒し」「食」など、お客様により満足していただけるような「事」を、施設づくりの中心としてシフトしていく方針です。
ーー具体的にはどのような新しい展開を構想されていますか。
杉田憲康:
実は現在、北海道の富良野市においても新たなプロジェクトを進めています。温暖化が進めば、北海道の農業やリゾートとしての価値はさらに高まると確信しているからです。ここではゴルフ場やホテルの展開にとどまらず、インターナショナルスクールの設立など、教育事業も構想しています。富良野は花やスキーで海外からのお客様も非常に多いエリアですので、インバウンド需要の取り込みはもちろん、語学力を活かした若者の雇用創出など、地域全体を巻き込んだ壮大な展開を考えています。
ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。
杉田憲康:
一番大事なのは「バランス」です。昔は肉体労働など右脳に頼る社会でしたが、今はAIや受験勉強など左脳に偏りすぎています。私は、人間としての基本は汗をかくことだと考えていますし、時には仲間と切磋琢磨して打たれ強くなることも必要です。そして何より、誰に対しても素直に「ありがとう」と言える感謝の気持ちを大切にしてほしい。そうした人間としての「Return Within」を大切にしながら、若い人たちには夢とやりがいを持って果敢にチャレンジしてほしいと願っております。
編集後記
杉田氏は77歳を迎える現在も、決して守りに入ることはなく、「地政学」を学びながら未知の領域へと果敢に挑戦し続けている。「若い人たちに夢とやりがいをつくっていきたい」と語る同氏の力強い言葉からは、社会の激しい変化を乗り越え、次なる時代へと進化し続ける同社の、非常にワクワクする未来の景色がはっきりと見えてくる。斜陽産業と言われたレジャー業界にあえて挑み、見事に反転させた先見の明とリスク管理能力を両輪に、新たな価値を創出し続けるヘリテイジリゾートの今後の展開に期待が高まるばかりだ。

杉田憲康/1949年埼玉県生まれ。日本大学法学部卒業後、家業の宿泊・観光業に従事。ヘリテイジグループを成長させ、埼玉県屈指のホテルグループへ発展。日本ホテル協会の理事を歴任。北海道富良野市でもゴルフ場を核に、リゾート開発を展開中。現在は介護事業にも領域を広げ、地域社会の課題解決に積極的に取り組む。