※本ページ内の情報は2025年9月時点のものです。

海外の著名なレストランブランドを日本で展開し、美食家たちを魅了し続ける株式会社ワンダーテーブル。同社の強みは、一つひとつのブランドに独自のビジョンを掲げ、パートナーと長期的な信頼関係を築く経営姿勢にある。2022年、その舵取りを託されたのが、代表取締役社長の河野博明氏だ。アルバイトからキャリアをスタートし、現場の最前線で輝きと苦悩を経験してきた同氏。その情熱的な言葉から、飲食業界の新たな可能性と、未来への確かな展望を紐解いていく。

「ありがとう」という言葉の喜び お客様との繋がりで見つけた天職

ーー飲食業界で一筋に歩んでこられた原点をお聞かせください。

河野博明:
幼少期、週末に家族で美味しいものを食べに行くのが何よりの楽しみでした。その楽しい記憶からか、大学生になって上京した際、レストランの華やかな世界に強く惹かれたのです。憧れからアルバイトとして飛び込みましたが、そこは私にとって学校よりも心地よい居場所でした。

一番心に響いたのは、お金をいただきながらお客様から「ありがとう」と直接感謝されることでした。そして「こんなに嬉しい仕事はない」と感じました。一度はアパレルの世界も経験しましたが、つくり手の顔が見えず、商品に感情移入することが難しかったのです。それに比べ、飲食店ではシェフや生産者の思いが料理に乗ります。お客様の「美味しい」という笑顔が直接見られるのです。そのライブ感と、人の温もりに触れられる点に、この仕事の価値を確信しました。

若き支配人時代の大きな挫折 失敗から学んだリーダーシップの本質

ーー貴社へ入社されてからのキャリアについてお聞かせください。

河野博明:
大学時代のアルバイト先が弊社の前身の会社でした。卒業後に別の飲食企業を経て「戻ってこい」と声をかけてもらい、再び弊社で働くことになったのです。

入社後は新規店舗の立ち上げを次々と経験しました。大きな転機は「ロウリーズ・ザ・プライムリブ」(以下、「ロウリーズ」)の担当になったことです。「ロウリーズ」は1938年にアメリカのビバリーヒルズで創業した老舗アメリカンダイニング。アメリカ本国の店舗を視察した際、映画のようにきらびやかな世界に衝撃を受けました。それまで抱いていた独立の夢よりも、会社という大きな舞台でレストランを動かす面白さに目覚めたのです。

ーーキャリアの中で、ターニングポイントとなった出来事を教えてください。

河野博明:
大きなターニングポイントは二つあります。一つは、30歳で「ロウリーズ」の支配人になった時の大失敗です。若くして抜擢されて天狗になっていた私は、完全に空回りしてスタッフから総スカンを受け、組織が崩壊してしまいました。この時、役職や肩書で人は動かないことを学びました。リーダーとして一人ひとりの心に向き合う大切さを骨身にしみて感じたのです。

もう一つは、大阪での「ロウリーズ」立ち上げです。東京での成功体験を基に乗り込んだものの、初日のランチ客はたったの2組でした。マーケットも認知度も全く違う土地で、ゼロからブランドを確立していくのは困難でした。地道に信頼を積み重ねる重要性を痛感した忘れられない経験です。

競合を制した誘致の決め手はブランドへの愛情とビジョン構築

ーー「ピーター・ルーガー・ステーキハウス」の誘致の舞台裏をお聞かせいただけますか。

河野博明:
正直、私たちが提示した金銭的な条件は、他社と比べて見劣りするものだったと思います。それでも私たちがパートナーとして選ばれたのには理由があります。彼らは一つひとつの店舗を、自分の子供のように愛情をかけて長く育ててくれる会社を探していたからです。彼らは我々の既存店を秘密裏に視察していました。そして高級店からカジュアルな店まで、全ての店舗にブランドへの愛情や私たちの精神が宿っていると感じてくれたのです。100社以上が競合する中で、「あなたたちなら」と、信頼し任せてくれました。

ーー経営姿勢の根幹にある考え方についてお聞かせください。

河野博明:
私たちは「ビジョン経営」を何よりも大切にしています。会社全体のビジョンはもちろんですが、展開するブランド一つひとつに、オーナーの思いを汲み取った「ブランドビジョン」を丁寧に設定します。いわば、ブランドごとの憲法のようなものです。この揺るぎない軸があるからこそ、現場に大きな権限を委譲してもブランドの価値がぶれることなく、それぞれの店舗が主体的に成長していけるのです。

価格競争からの脱却 オンリーワンの体験価値を支える人への投資

ーー現在の厳しい事業環境をどのように捉え、成長を目指していますか。

河野博明:
食材費や人件費の高騰など、確かに環境は厳しいです。しかし、安易な価格競争に陥るつもりは全くありません。私たちが提供するのは、食事だけでなく、そこでしか味わえない特別な「体験価値」です。その価値に正当な価格をつけ、マーケットに左右されないオンリーワンの存在でありたいと考えています。そのために不可欠なのが人への投資です。

ーー具体的には、どのような取り組みをされているのでしょうか。

河野博明:
2023年10月に、人事評価制度を全面的に刷新しました。これは弊社の大きな挑戦です。ブランドごと、部署ごとに求められる役割と責任を細かく定義しました。これにより、社員一人ひとりのキャリアパスが明確になったのです。そして、毎月の1対1の面談で上司が成長をサポートします。その頑張りが半期ごとの給与に正当に反映される仕組みです。人が育てばブランドの価値が高まり、収益性も向上して社員に還元できる。この好循環を生み出し、外食産業で一番給料を払える会社になることが目標です。

外食業の枠を越える挑戦 関わる全ての人を幸せにするコミュニティ創造

ーー貴社では、どのような方が活躍されているのでしょうか。

河野博明:
弊社のレストランは規模が大きく、一人の力では何もできません。だからこそ、スキルや経験以上に人間性でチームをまとめ、周りを巻き込んでいける人が輝いています。頭で考えるだけでなく、心で人と繋がり、チームをつくっていける。特に若い世代には、そうした才能を持つ人材が本当に多いと感じます。現在は世代交代の真っ只中で、20代の支配人抜擢なども行っています。若手が挑戦できる機会を積極的につくっているところです。

ーー最後に、貴社が目指す近い未来の展望についてお聞かせください。

河野博明:
私たちは自らを単なる外食業だとは捉えていません。目指すのは、お客様、社員、関わる全ての人がハッピーになれる「付加価値創造産業」です。会社という枠組みを超え、同じ志を持つ仲間が集まる場にしたいと考えています。そして食を通じて人々に豊かさと感動を届けるコミュニティをつくり上げていきたいのです。

これからも常識に囚われず、ホスピタリティで時代を切り拓いていく。そんなワクワクする未来を、仲間たちと共に描いていきます。

編集後記

「天狗になっていた」「総スカンを食らった」と自身の失敗を、河野氏は包み隠さず語る。その率直な言葉からは、数々の苦難を乗り越えてきた者だけが持つ、本物の強さと人間的な魅力が伝わってくる。アルバイトから社長へ。そのサクセスストーリーの裏には、現場への深い愛情と、共に働く仲間への揺るぎない信頼があった。食を通じて感動を創造するコミュニティを目指す同社の挑戦。それは、これからも多くの人々を惹きつけ、未来への希望を灯し続けるに違いない。

河野博明/1974年、愛知県生まれ。大学時代の飲食店でのアルバイトから飲食業一筋。1998年株式会社スティルフーズに入社、2000年株式会社ワンダーテーブル(旧富士汽船株式会社)に入社。入社後は海外ブランド数店舗の支配人を務める。2017年より営業第二部(現・ダイニング事業部)部長に就任。ニューヨークの老舗ステーキハウス「ピーター・ルーガー・ステーキハウス」の東京出店プロジェクトなどを指揮する。2019年取締役、2023年代表取締役社長に就任。