※本ページ内の情報は2026年6月時点のものです。

世界で建設機械を提供する住友建機株式会社。業界内で独自のポジションを築き飛躍的な成長を遂げる同社を率いるのが代表取締役社長の三觜勇氏だ。かつて会社の存続すら危ぶまれた構造不況下において、社運を賭けた新型機「5型」の開発を成功させた。この開発で見事なV字回復の立役者となり、設計現場から海外赴任を経て経営トップとなった。同氏が今最も力を注ぐのが社員の自律と徹底した現場目線だ。強靭な組織をつくるための経営信念に迫った。

時代への逆張りが生んだキャリアと会社の存続をかけた「5型」の開発

ーーまずは、貴社へ入社した経緯をお聞かせいただけますか。

三觜勇:
私が大学を卒業した頃は、まさに精密機器や電子部品のメーカーがもてはやされていた時代で、重工メーカーはどちらかというと斜陽と言われがちな時期でした。しかし、周囲が精密機器というミクロな世界へ傾倒するなか、私はあえて逆行し、幼少期から憧れ続けた巨大なスケールを追い求めて重工メーカーの門を叩きました。よく「地図に残る仕事」と言われたりもしますが、私の場合は単純に昔から大きいものが好きだったんですよね。純粋に大きな機械に惹かれた結果です。

ーー入社後はどのような業務に携わられたのでしょうか。

三觜勇:
最初は設計部門からスタートしました。入社当時の会社はまず、昔つくった機械のメンテナンスや改良から入り、徐々に新規開発へとステップアップしていくような訓練体制でした。その後、会社がイギリスの企業とジョイントベンチャーを組むことになり、その一員として現地での工場立ち上げを支援する役割を担いました。3年ほど英国に駐在し、帰国後、今度は北米へ渡り、小型建機の開発に携わることになります。

ーー小型建機の開発は、順調に進んだのでしょうか。

三觜勇:
実はその開発に取り組んでいた頃に、業界全体を巻き込む構造不況がやってきたのです。弊社も例外ではなく、「本当に会社が存続できるのか?」と危機感を抱いたほどの厳しい状況でした。おそらく会社人生の中で一番大変だった時期だと思います。今の時代では考えられませんが、朝早くから夜遅くまで働くのが当たり前で、社内には、「この難局を何としても突破しよう」という強い連帯感と凄まじい熱気がありました。

ーーその危機をどのように乗り越えられたのでしょうか。

三觜勇:
会社の生死を決めるプロジェクトとして、不況のどん底で主力製品である油圧ショベルの次世代モデル「5型」の開発がスタートしました。この「5型」は、当時の業界水準を塗り替える圧倒的な「低燃費」と、人間工学に基づいた「操作性」を追求したモデルです。私はこの開発の中核メンバーに選ばれ、全社一丸となって取り組みました。

開発にあたっては、これまで自社でやったことのなかった「徹底的な競合分析」に踏み切りました。市場にある他社機をすべて買い集め、全国から熟練のオペレーターをテスト場に呼んで乗り比べてもらい、細かい改善点まで徹底的に洗い出したのです。さらに、私たち設計担当者自身もずっと交代でテスト機の椅子に座り続け、「データ上の振動のピークが、実際に乗っている人間にはどう伝わるか」といった感覚的な部分まで、泥臭く検証を繰り返しました。

こうした執念とも言える徹底的な追求の結果、「5型」は圧倒的な乗りやすさと快適性を備えたモデルとして完成。結果として、この「5型」の開発が成功し、年間の生産体制を徐々に引き上げることで、業績はV字回復を遂げることになります。これは私自身のキャリアにおける大きなターニングポイントになりました。

SH200-5(油圧ショベル 5型):三觜氏が開発リーダーとして携わった製品

ーー現場の声を聴き続ける中で製品開発に対する考え方に変化はありましたか。

三觜勇:
私たちの業界では購買の決裁権を持つのは企業の社長や購買責任者です。しかし私は本当に大事にすべきなのは、実際に機械を操縦するオペレーターだという強い信念を持つようになりました。建設機械は現場の利益創出を支える大切な設備です。どんなに性能がよくてもオペレーターが疲弊し、思い通りに稼働させられなければ、仕事量は落ちてしまいます。だからこそ燃費の良さはもちろんですが、徹底的に操作性と快適性にこだわった機械をつくらなければならないと考えたのです。

ーー開発としての成功から、どのようにして経営の道へと進まれることになったのでしょうか。

三觜勇:
ちょうど「5型」の開発リーダーとして実績を積んでいた時期に、当時の社長が次世代のリーダーを育成する目的で社内で「経営塾」を立ち上げたのですが、私はそのメンバーに選ばれました。当時の私は設計一筋の人間で、財務指標や細かい数字のことは全く分かっていませんでした。しかしその経営塾では具体的な事象だけでなく物事を抽象化して考える普遍的なアプローチを徹底的に叩き込まれました。この時の「いかに的確な判断を下すか」という深い思考の訓練が、後に経営の道を歩む上での強固な土台となっています。そして私が現在もビジネスにおいて最も大事にしている判断力の源泉です。

現場第一とお客様目線 徹底した「オペレーターファースト」と「椅子」へのこだわり

ーー経営塾で培われた深い思考や判断力は、その後どのように活かされていきましたか。

三觜勇:
まさにその経験を試されるかのように、二度目のアメリカ赴任を命じられました。今回は設計担当としてではなく、マネジメント層としての赴任です。当時、弊社がアメリカの会社を買い戻したタイミングであり、北米市場の業績に少し陰りが見え始めていた時期でもありました。私はその立て直しを引き受けることになったのです。

設計畑出身の私にとっては真逆の世界に放り込まれたような感覚でしたが、すべての責任を自分で背負い、新しいことにどんどんチャレンジしていきました。たとえば、販売を促進するためにアメリカ国内で初めて「自社ファイナンス」をスタートさせたほか、中南米への進出やデモセンターの建設など、次々と手を打ちました。結果として、業績を回復させ、市場シェアを伸ばすことができたのです。

ーーそこから業績を回復させるために具体的にどのような手を打たれたのですか。

三觜勇:
徹底した現場主義です。机の上で数字を見るだけでなく自らが現地の販売ディーラーを回りました。ディーラーやその先のお客様のところへ直接出向き、生の声を聴くためです。さらには、新たな市場を開拓するための中南米やブラジルへの進出や、現地のお客様に当社の機械の性能や操作性を実際に体感していただくためのデモセンターの建設といった戦略も進めました。根底にあったのは常に現場へ足を運んでお客様の声を拾い上げ、それを販売戦略に直結させる姿勢です。結果として北米でのシェアを確実に伸ばすことができました。

ーー建機の快適性において特にこだわっている要素は何ですか。

三觜勇:
実は「椅子」なのです。単純なことのようですが、私たちは他社に比べてこのシートのクッション性やサイズ、座り心地、そしてレバーを操作する肘掛け部分に一番お金と労力をかけています。建機は車とは比べ物にならないほど激しく振動しますし、現場によって揺れ方も全く異なります。その複雑な振動をいかに吸収しオペレーターの疲労を軽減するか。さらに体格のよいアメリカ人と小柄な日本人が同じシートに座っても等しく座り心地が良いと感じてもらわなければなりません。

開発担当者は文字通り「椅子の専門家」のようになっていました。交代でシートに座り続け細かい波形データを見ながら、「ここの振動のピークがわずかに違う」と議論を重ねる。傷などでお客様へ提供できなくなったシートを「自宅のソファ代わりに持ち帰りたい」という声が上がるほど最高品質の椅子に仕上がっています。

SH200-8(油圧ショベル 8型):最新の油圧ショベル

社員一人ひとりの“自律”を軸にした組織改革

ーー米国市場の立て直しを経て、その後、社長に就任されるまでの歩みをお聞かせください。

三觜勇:
帰国後は、本社の企画管理部門などで役員として経営の実務を積み、組織全体を俯瞰する経験を重ねました。設計や営業、そして海外拠点での現場経験を持つ自分だからこそできる経営のあり方を模索し続けた期間でもありました。そして2024年、代表取締役社長に就任いたしました。

ーートップに立たれてから組織づくりにおいて最も変えたかったことは何でしょうか。

三觜勇:
私が最も重視してきたのは、「自律を促す組織」を実現することです。社員が自ら意思決定し、責任を持って動くことで、変化の激しい時代でも継続的に成長できるようにしたい。そのために、現場にできるだけ権限を委ね、社員が積極的に挑戦できる、自律を後押しする環境づくりに取り組んできました。

ーー自律を促すために具体的にどのような取り組みをされていますか。

三觜勇:
たとえば、私が参加する会議を極力減らしました。社長がいちいち口を挟むのではなく、部門長に権限を委譲して彼ら自身に判断を下してもらうようにしています。また、若い社員に対しても、早い段階から数千万円規模の予算の使い道を任せるようにしています。

日常の感覚からすれば数千万円は非常に大きな金額ですが、工場や会社を運営していく上では、扱う予算のスケールが全く異なってきます。「社長がこう言ったから」ではなく、自分たちで事業計画を立てて大きな金額を動かす経験を積ませています。これにより自律的な判断力のレベルを引き上げているのです。

ーー失敗に対する恐怖心を持つ社員もいるのではないでしょうか。

三觜勇:
新しい挑戦には失敗も伴います。“失敗しないのは、何もしない人だけ”ともよく言われますよね。若手のうちの失敗であれば、会社全体で十分にカバーできます。だからこそ、恐れることなく挑戦してほしいのです。私が嫌いなのは責任逃れのための報連相です。「報告はしました」と後から言い訳をするくらいなら、自分の意志で判断し、その結果に責任を持つスタンスであってほしい。たとえ失敗したとしても自ら考え行動した結果であれば、それは必ず本人の、そして会社の財産になります。

武器は圧倒的なスピードで盤石な地位を築き世界へ挑む

ーー今後会社をさらに成長させていく上での強みは何だとお考えですか。

三觜勇:
商品力に加えて、全国を網羅する強固なアフターサポート体制です。弊社は販売会社である住友建機販売をグループ会社に擁し、国内7つの統括部、計69の直営販売拠点を通じてグループ一体となったサポートを展開しています。建機が故障して現場が止まることは、お客様にとって致命的な損失になります。だからこそ弊社は、万が一のトラブルの際にも即座に駆けつけることを徹底しています。愚直なまでに、ある意味で昭和的とも言えるこのフットワークの軽さと対応力が私たちの誇りです。

また、ただ拠点を増やすだけでなく、教習センターや国内トレーニングセンターを設置し、社員や代理店、お客様の建設機械サービス員の教育やサービススキル向上をバックアップしています。また、現場復旧に必要な技術を競い合う「グローバルサービススキルコンテスト」を実施するなど、万全の対応ができる技術者・サービスマンの育成にも力を注いでいます。この徹底したサポート力が、お客様からの厚い信頼につながっていると考えています。

ーー商品開発や技術面において、他社とはどのように差別化を図っていくのでしょうか。

三觜勇:
競合他社が建設現場全体のICTソリューションへと事業領域を広げているのに対し、私たちはあくまで「ショベルというモノの周辺」の技術に特化し、そこで圧倒的な差別化を図る戦略をとっています。

その代表例が安全技術です。現在では一般的になった安全システムですが、建機の周囲270度を見渡せるモニターや、カメラで人を検知して自動で減速・停止する安全システム(フィールド ビュー モニター)を、建機業界でいち早く導入したのは弊社なのです。今後も自動化や自律化といったソフトウェア技術の開発に注力し、ハードとソフトの両面から「快適で安全な機械」を追求していきます。

ーー今後のビジネスの展望についてお話いただけますか。

三觜勇:
おかげさまで国内市場においては業界の大手に肩を並べる水準のシェアを獲得することができました。次の3年から5年でまずはこの地位を揺るぎないものにすることが目標です。そのための供給体制として、千葉工場に加え、2026年7月からは新たに横須賀工場も稼働を開始する予定です。

同時に、海外展開もさらに加速させます。アジア市場は工場もあり既に根を下ろしていますが、欧米市場はまだまだ開拓の余地があります。たとえば、2026年はイギリスでのSUMITOMOブランドの拡大に注力します。

また、今後大きな成長が見込まれるグローバルサウスへの展開も重要です。中国メーカーなどの台頭によるコスト競争はありますが、各地域のニーズに合わせた商品開発と、弊社の強みであるサポート体制を武器に、バランスよく世界で戦えるブランドを確立していきたいと考えています。

ーー最後に、読者へのメッセージをお願いいたします。

三觜勇:
弊社の最大の魅力は現場の社員と経営トップの距離が非常に近いことです。新入社員であっても、自分の考えやアイデアをしっかりと持っていれば、社長や役員に直接提案できる。そんな、挑戦を後押しする環境が整っています。また、大きな組織の歯車として延々と一つの業務だけを担当し続けるわけではありません。設計から製造まで幅広い工程に関わり、製品が出来上がっていくダイナミズムを感じられるのも大きな特徴です。

指示を待つのではなく自ら課題を見つけ面白がって動ける方、自分のキャリアを自らの手で切り拓きたいという意志を持った方にはこれ以上ないほど魅力的な会社だとお約束します。ぜひ私たちと一緒に世界を舞台に新しい歴史をつくりましょう。

編集後記

構造不況の危機という逆境を、「5型」の開発という執念で跳ね返した三觜氏。その言葉の端々からは、製品への深い愛情と、それを操る現場の人間への強いリスペクトが伝わってきた。特に「椅子」への並々ならぬこだわりは、単なるスペック競争ではなく、ユーザーの身体的負担をいかに減らすかという設計思想の表れだ。また、社員の“自律”を重視し、若手にも積極的に権限を委ねながら主体的な判断と行動を促す組織改革も、決して口先だけのものではない。圧倒的なスピードと手厚いサポート体制を武器に、盤石な地位を築きつつある住友建機。グローバル市場でどのような快進撃を見せるのか、今後の展開から目が離せない。

三觜勇/1962年、神奈川県出身。東京都立大学工学部機械工学科を卒業後、1987年4月住友重機械工業株式会社へ入社。その後、住友建機株式会社の設計部門、英国駐在、北米駐在、マーケティング、企画管理部門の経験を経て、2020年に住友建機株式会社の取締役、2024年に住友建機株式会社及び住友建機販売株式会社の代表取締役社長、住友重機械工業株式会社の執行役員に就任。