※本ページ内の情報は2026年6月時点のものです。

ラーメンチェーン「喜多方ラーメン坂内」を展開する株式会社麺食(東京都)は、1988年の創業から店舗数を順調に伸ばし、現在は国内外合わせて91店舗を展開するまでに成長してきた。これまでの道のりには多くの壁があったが、中でも大きな転機となったのは中原誠氏の代表取締役社長就任である。2012年に2代目として跡を継いだ翌々年には初の海外進出を果たし、国内の足場を固めながらグローバル展開を加速させている。本稿では、社長就任前の銀行員時代のエピソードや、100店舗を通過点と捉える今後の成長戦略に迫る。若手への大胆な権限委譲による海外現地法人の設立、デジタル技術を活用した新たな顧客体験の創造、そして「外食産業を誰もが憧れる職業にする」という熱い思いなど、同社が掲げる独自の組織論と経営の要諦を深掘りする。

ワンマン経営を脱して組織強化を誓い社長に就任

ーー貴社に入社するまでのエピソードをお聞かせください。

中原誠:
小さい頃から“ほとんど家にいない”父とは険悪な関係だったこともあり、ラーメン事業を営む家を継ぐ気はまったくありませんでした。ただ、いつかは自立して身を立てたい気持ちは強くあったのです。大学を出て第一勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行し、外食の宝庫である渋谷支店配属となったのは起業を目指す自分にはいい刺激となりました。

当時、銀行を選んだ最大の理由は、日本経済を支える勤め人の方々がどのような思いで働いているのかを内側から深く理解したかったからです。バブル崩壊後の厳しい時代でしたが、現場で働く人々の誇りや会社への愛情、仕事に対する愛着を直接肌で感じられた経験は、現在の経営に大きく活きています。皆さんの仕事に対する熱意や「もっとこうしたい」という熱い思いに触れ、非常に感銘を受けました。

その後は外食の現場経験を求めて退職し、フランチャイズ支援会社や飲食事業に携わりました。外食の経験を積んだ後も折り合いの悪かった父の会社に入るつもりはなかったのですが、1997年に母が亡くなってから様相が一転。「家族を助けないといけない」という気持ちが強くなり、跡を継ぐのを覚悟のうえで2005年に弊社に入社する決断をしました。

ーー入社後、お父様との関係は変化しましたか?

中原誠:
元銀行マンですから、仲は悪くても業績資料を見て商売人としてリスペクトする気持ちはありました。しかし当時の会社は「社長が気に入りそうなアイデアを出す」という典型的なワンマン経営に陥っていて、創業時の2人のメンバーも会社から出てしまうなど、繁栄期から衰退期に向かっている状況でした。

上の世代の経営陣は、社員のエンゲージメントを上げる感覚を持っておらず、ワークライフバランスについての理解も不足していたのです。「このままでは次のステージに行けない。中原家の私物ではなく組織化していきたい」と父を説得し、最終的には社長を交代するに至りました。

コロナ禍はアメリカ出店のおかげで大損害を免れた

ーー外食企業としてコロナ禍の影響はいかがでしたか。

中原誠:
大きな打撃でしたね。店も10店舗以上閉めましたし、人もかなり入れ替わりました。32億円ほどあった売上高が一気に20数億円まで落ちたのですから大変です。その点、アメリカに進出していたのは良かった。日本と違ってアメリカでは1億円の助成金をすぐに出してきたんです。しかも従業員を解雇しないなど条件を満たせば返済しなくていいという制度でしたから大いに助かりました。

デリバリーもテイクアウトも以前はなかったのですが、やむを得ず採用したところ、コロナ前の売上高1500万円に迫る1300万円まで回復しました。現在11店舗展開しているアメリカ進出に早くから着手していたおかげで、会社全体の収益をカバーすることができました。

「心の満足」を届ける食の存在意義

ーー事業を成長させる中で、変わらず守り続けているものは何ですか。

中原誠:
「食を通じた気持ちの温もりを伝えることで、世界中の人々を笑顔にする」というミッションです。単に空腹を満たすだけでなく、心もいっぱいにしてもらう温かみは絶対に守るべき原点として大切にしています。

現代はストレスフルな社会であり、食事にはメンタル面で心を満たす力があります。この思いを確信したのは、震災の被災地での炊き出しを経験したときです。当初は空腹を満たすための提供でしたが、物資がそろいコンビニが再開した後でも私たちのラーメンは歓迎されました。毎日支給されるお弁当で空腹は満たされても、「また同じお弁当か」と次第に飽きがきてしまうものです。

そんな中、私たちが現地へ出向き、温かいラーメンを提供すると、「また来てくれたのね」「このラーメンを食べるとホッとする」と心を通わせることができたのです。単にお腹をいっぱいにするだけでなく、私たちが会いに行くことで生まれるコミュニケーションや心の繋がりこそが重要なのだと気付かされました。そんな、心を満たす豊かさを提供することこそ、私たちが果たすべき食の存在意義だと実感しています。

グローバル展開の加速と「現地社長」の育成

ーー貴社のグローバル展開やそれを支える組織づくりについて教えてください。

中原誠:
アメリカに続く海外出店の計画では、ヨーロッパ進出の先頭を切って、2024年にドイツへの出店を果たし、さらに2026年内にはスペイン・マドリードへの出店も控えており、世界各地への展開が加速しています。日本の食が外国の資本で利用されているのが現状ですが、国内にこれだけおいしいものがあるのに、日本人自身がもっと外に出さないのはもったいないと考えています。

この同時多発的な成長を支えているのが、自分で考え、主体的に行動できる「現地社長」の存在です。弊社では社長を担える人材を増やすため、若手への大胆な権限委譲を行っています。実際、ドイツやスペインなど海外法人の社長を、30代の若手社員に任せています。小さな子供を連れて見知らぬ国で挑戦するのは大変ですが、本人の成長のためにもやりがいのあるフィールドを用意しています。

また、モンゴルから来て日本で実績を積んだ優秀な女性スタッフを、アメリカの新店舗の責任者へ抜擢した例もあります。意欲ある若手に活躍の場を用意することで、私一人が指示を出すのではなく、各地のリーダーが経営者目線で主体的に店舗を増やしていく体制を構築しています。

ーーFC店の割合など、今後の具体的な店舗展開の目標をお聞かせください。

中原誠:
国内外合わせて80店舗以上あるうち、割合は直営店1に対し、フランチャイズ店2です。入社した2005年当時は直営が1割未満でしたが、チェーン一丸となってブランドをもう一度整えたいと思ったときに、直営1割だとうまく動かせなかったんです。いざというとき、社会にインパクトを与えるまでに時間がかかってはいけないので、3分の1は直営で運営する方針にしています。

現在目標としている国内100店舗は、さらなる高みを目指すための通過点に過ぎません。コロナ禍から回復してきた今がチャンスですから、多店舗展開を継続し、海外でも店舗ビジネスとして大事に育てていきます。

デジタル技術(DX)と「温もり」の融合

ーーお客様との繋がりを深めるための今後の取り組みをお聞かせください。

中原誠:
現在、第3世代の公式アプリ導入を見据えています。これまでは単なる割引クーポンの配布になりがちでしたが、今後はマクドナルドのような高度なデータ分析を取り入れます。

お客様の属性や来店頻度に基づき、一人ひとりの趣味や嗜好に合わせたパーソナライズされた体験を計画しています。たとえば、頻繁に来店される男性には好みのメニューのクーポンを出し、家族連れのお客様には子ども向けのサービスを提供する形です。今日ご来店いただいたお客様のうち、何人が新規で何人がリピーターなのか、さらにリピーターの中でも来店頻度を正確に分析することで、店舗の課題を的確に把握できるようになります。

しかし、その目的は単なる効率化だけではありません。デジタル技術を活用して効率を高めることで浮いた時間やリソースを、お客様との「心の繋がり」に再投資します。券売機やアプリなど最新のシステムを使いこなしながらも、昭和33年創業の「坂内食堂」から続く温かみを、世界中のお客様へ届ける仕組みを構築することが目標です。

日本の外食産業を「憧れの職業」へと変革する

ーー企業としての最終的なビジョンをお聞かせください。

中原誠:
世界の企業の時価総額ランキングに、日本の外食企業をランクインさせることです。現状、上位を占めているのはアメリカの企業ばかりで、日本企業は入っていません。日本の食には、アニメやゲームと並ぶぐらいのコンテンツとしての力があります。海外で高い評価を得ているおいしい食文化を、確かなビジネスモデルとして確立し、ビジネスの面でも世界と肩を並べる規模の企業を創り上げたいと考えています。

ーー外食産業全体の地位向上に対する思いをお聞かせください。

中原誠:
かつて新卒採用を行っていた際、内定を出しても親御さんに反対されて辞退する、いわゆる“親ブロック”を経験し、悔しい思いをしました。本来、外食の仕事は、一生懸命においしいものを提供し、お客様に喜んでいただける素晴らしい職業です。偽装などの不正をせず、真面目においしいものを少しでも安く提供すれば、働く人も食べる人も全員が笑顔になれます。

小さな子供たちが、「大きくなったらケーキ屋さんやラーメン屋さんになりたい」と夢みるように、次世代を担う世代が外食で働きたいと心から憧れる業界へと変革していかなければなりません。

日本が誇るおいしい食文化を世界へ発信し、世界で戦える企業に成長すれば、業界の地位も必ず向上します。大谷翔平選手の活躍に日本中が沸き立つように、私たちが世界で活躍して圧倒的な成果を示すことで、日本全体を元気にできると信じています。この強い信念を持って、未踏の山へ登り続けていきます。

編集後記

取材を通して見えてきたのは、古き良き「食の温もり」を守り抜く強固な意志と、外部環境の変化に柔軟に対応するしたたかさの共存だ。昨今の感染症の影響で長年取引のあったスペインからの豚肉輸入が停止した際も、即座にデンマークを含めた豚肉輸出国産への切り替えを行い、品質を維持する供給網を確立している。さらに、EC部門では店舗の味をそのまま売るのではなく、家庭での消費行動を緻密に分析した専用商品の開発を進めるなど、事業の多角化にも余念がない。世界を舞台に時価総額ランキング入りという途方もない夢を語る中原氏の目は、すでに次なる山の頂を見据えていた。

中原誠/大学卒業後、旧第一勧業銀行(現・みずほ銀行)に入行。退職後、株式会社ベンチャー・リンクに入社。その後、株式会社グローバルダイニングへ入社し、外食経験を積み、2005年に父の明氏が経営する株式会社麺食に入社。2012年、同社代表取締役社長に就任。看板ブランド「喜多方ラーメン坂内」は国内78店舗、海外11店舗(アメリカ10店舗、ドイツ1店舗)、その他業態の企画運営および人財紹介、卸売事業など多方面に展開(2026年5月上旬時点)。2025年4月に、書籍『日本食GLOBALIZATION』を出版。