※本ページ内の情報は2026年6月時点のものです。

国内外で多様な飲食店を展開し、フィットネスにも事業を拡大する株式会社サンパーク。同社は国内外でのフランチャイズ店舗運営と自社ブランド展開を組み合わせることで、独自のフードプロデュース事業を展開している。しかし、代表取締役社長CEOの髙木健氏が継いだ当初、会社は倒産寸前の危機にあった。いかにしてどん底の状態から息を吹き返し、グローバル展開を果たすまでに成長したのか。その軌跡と、挑戦を後押しする独自の組織文化について話をうかがう。

倒産寸前を救ったフランチャイズ戦略

ーーまずは、これまでのキャリアについて教えてください。

髙木健:
大学卒業後、数年の会社員生活を経て、私はホテル業界へ転身しました。ホテル業界は一見優雅ですが、実際は24時間営業で泊まり込みも当たり前、休みも月に1日あるかないかという非常にハードで「ドロドロした」世界でした。私は営業からフロントまで、下から上までのあらゆるポジションを経験し、最終的には30階建てのタワーホテルの副支配人を務めました。この7年間に及ぶ現場経験を通じて、中間管理職としての立ち振る舞いや、組織を動かすビジネスの基礎を学びました。

1991年に嫁の父が経営する弊社に入社しました。当時はガソリンスタンドとレストランを2軒運営していたのですが、いずれも赤字で資金繰りもショートする寸前で、倒産間際の状態でした。特に、レストランの現場では「職人第一」という雰囲気で、スタッフはお客様ではなく職人の顔色ばかりを気にしていたのです。

ーーそこからどのようにして会社を立て直したのでしょうか。

髙木健:
お店を一新するために、職人主導の体制を変え、フランチャイズへの加盟を決断しました。当時あった2軒の赤字レストランを、それぞれ大手パスタチェーンと大手ハンバーグチェーンの2つのブランドへと業態転換したのです。当初、義理の父からは「安いハンバーグを売ってどうするんだ」と大反対されましたが、結果的にこれが起爆剤となりました。パスタ店は年間1000万円の赤字から月600万円の黒字へ転換。ハンバーグ店も以前のレストランに比べて売上高が4倍へ伸長し、現在の経営基盤を築くことができたのです。

社員の未来を拓くための自社ブランド開発と50店舗の失敗

ーーほかには、どのようなことに挑戦されましたか。

髙木健:
フランチャイズ展開が軌道にのったところで、自社ブランド開発に挑戦しました。あるとき、店長から「私はずっと店長のままなのでしょうか」と聞かれたことがきっかけです。複数のフランチャイズを運営するビジネスモデルは、本部が多くの業務を担います。メニュー開発やマーケティングなどをすべて本部が担うため、間接費がかかりません。しかし経営的なメリットが大きい分、社員の立場からすると思考を巡らせる仕事が少なく、キャリアの限界を感じてしまいます。そこで、自社ブランドを立ち上げ、彼らが主体的にマーケティングや業態開発に携わり、ステップアップできる環境をつくりました。

ーー自社ブランドの立ち上げは、スムーズに進んだのでしょうか。

髙木健:
最初はうまくいかないことばかりでしたね。次々と新しい業態を立ち上げては閉じるという試行錯誤を繰り返し、失敗した店舗はおよそ50店舗にものぼります。しかし、その蓄積から、「成功するのは1000円前後の日常食であり、子どもの頃から食べ慣れている味(ハンバーグ、パスタ、ラーメン等)」という私たちなりの必勝パターンを見出すことができました。

海外ローカルを魅了する徹底した現地主義

ーーグローバル展開を始めた経緯について教えてください。

髙木健:
東京への進出を計画し、物件まで探していた矢先、東日本大震災が起こりました。そこで国内での出店計画を一旦白紙に戻したのです。そして、以前から見据えていた海外進出を前倒しして、シンガポールに拠点を構えることにしました。

ーー海外進出を成功させる秘訣はどこにあるとお考えでしょうか。

髙木健:
徹底した「即断・即決・即金」です。良い物件はすぐに埋まってしまうため、日本の会議で時間をかけるようなやり方では勝てません。また、徹底して「ローカルの中流層」をターゲットに定め、食材もすべて現地調達としています。何より重要なのは、トップ自らが現地へ赴き、五感で文化を感じることです。実際、屋台で食事をするなどして、現地の文化を直接体験しました。

たとえばシンガポールでは、一年中暑いにもかかわらず人々が熱い鍋を好んで食べているということがわかりました。そこから着想を得て開発したのが、石鍋を使った「火山ラーメン」です。現地の嗜好にエンターテインメント性を掛け合わせたこの商品は、大ヒットを記録しました。

減点主義からの脱却 褒める文化が挑戦を生む

ーー組織づくりにおいてどのような取り組みをしていますか。

髙木健:
互いの良いところを認め合う「褒める文化」の定着です。弊社では独自の評価システムを導入し、全店で誰が誰を褒めているかを見える化しています。この仕組みは、「挑戦する社風」をつくるための土台です。

「減点主義」の組織では、一度失敗すると評価が下がるため、誰も新しい挑戦をしなくなります。しかし、互いを認めあう土壌があるからこそ、失敗を恐れずに「まずはやってみる」という加点主義の風土が生まれる。その結果、新しいことへの挑戦が次々と生まれ、数字(売上高)もついてくる。さらに、居心地の良い環境になることで離職率も圧倒的に減るという、良いことずくめの循環が生まれています。

ーー風土づくりによって具体的にどのようなメリットがありましたか。

髙木健:
「新業態提案制度」を考案しました。若手社員自身に「こんなお店をやりたい」という事業計画をつくってプレゼンしてもらって、優勝すれば実際にその店舗をオープンできる権利が得られる制度で、実際にこの制度から生まれた店舗もいくつかあります。失敗を恐れず積極的に挑戦してもらうことで、若手の起業家精神を育んでいます。

「食・健康・美容」の相乗効果 2030年売上高300億円の未来へ

ーー今後のビジョンについて教えてください。

髙木健:
私たちは今、国内・海外での「フランチャイズ運営」と「自社ブランド展開」の両輪に加え、自社ブランド同士を掛け合わせた複合展開も強化しています。たとえば、「髙木珈琲」と「生ドーナツ専門店」をコラボレーションさせるなど、相乗効果を狙ったブランド展開を行っています。さらにフィットネスやストレッチ専門店などのウェルネス事業も拡大しています。この「食・健康・美容」をつなげた総合フードプロデュース企業を目指しています。

今後はこの強みを活かし、2030年までに売上高300億円、店舗数300店舗の達成を目指します。現在展開しているアジアやアメリカはもちろん、これまで進出していないヨーロッパやアフリカへの進出も視野に入れ、さらなる成長を目指してまいります。

編集後記

倒産寸前の状態から会社を引き継ぎ、独自の戦略で経営を立て直した髙木氏。社員のキャリアを思って始めた自社ブランド開発では、50店舗にのぼる失敗を経験した。また震災を機に海外進出を決断するなど、その歩みは常に挑戦の連続であった。独自の評価システムによる「褒める文化」や若手の挑戦を後押しする制度など、人を育て活かす仕組みが同社の躍進を支えている。2030年、売上高300億円と全大陸制覇という大きな目標に向かい、株式会社サンパークの成長は続く。

髙木健/1959年、兵庫県神戸市生まれ。慶応義塾大学法学部法律学科卒業後、株式会社丸井(現・株式会社丸井グループ)に入社。2年間の勤務後、ホテル業界に転職。最終的には120人を束ねる副支配人に。31歳の時に、縁あって株式会社サンパークを引き継ぐ。1997年5月、代表取締役に就任。