
成友興業株式会社は産廃業者のネガティブなイメージを覆し、建設汚泥などの廃棄物を再利用する「資源循環」のトップランナーだ。同社を率いる代表取締役社長の細沼順人氏は、29歳で両親を事故で亡くし、何の引き継ぎもないまま社長に就任するという極めて困難な状況を経験した。そのような中で下したのが、上場への決意である。「田舎のプレスリー」から脱却し、売上高1000億円を見据える企業集団へと着実に歩みを進めてきた軌跡と、躍進を支える「真っ白な経営」の信念に迫る。
「負の感情」からのスタートと突然の事業承継
ーーまずはどのような経緯で貴社に入社されたのか、お聞かせください。
細沼順人:
幼少期、父親の仕事を見て決してかっこいい仕事だとは思っていませんでした。当時の土建屋や産廃業者は激しく、厳しい世界でした。私自身もスパルタを超えるような教育を受けて育ち、将来は自分で起業して、父親を見返してやろうとずっと思っていました。大学卒業後は不動産会社に入社し、トップを目指して働く日々でしたね。
その後、25歳で私の母親が倒れたことをきっかけに、子どもの頃から私を支えてくれた母のそばにいたいと考えるようになり、実家に戻って成友興業への入社を決めました。
ーー入社されてから社長に就任されるまでどのような出来事があったのですか。
細沼順人:
入社当時は「10年以内でこの地域でトップを取れる」と自信を持っていました。しかし、私が29歳の時に両親が事故で他界し、突然社長を務めることになったのです。しかも亡くなった日は会社の決算日で、銀行口座は凍結され、支払いすらできない最悪の状況。何の引き継ぎもなく、実印の場所さえわからない状態からのスタートでした。
それでも「社員の生活を守らなければならない」という責任感だけで必死に事業を継続しました。昔気質の厳しい業界で、毎日「生きていくのは大変だ」と葛藤しながら過ごしていましたね。
ーー大変な状況から持ち直すことができた最大の理由はなんだったのでしょうか。
細沼順人:
娘たちの存在が最大の理由です。当時、生まれたばかりの次女を含め、幼い娘が2人いました。そんな娘たちの顔を見た時、「この子たちに、こんな過酷な仕事を継がせるわけにはいかない」と感じたのです。この業界を、自分の娘や次世代を担う若者たちが働きたくなる業界にしなければならないと考えました。そう考えた末に出た答えが「上場」でした。社員10名、資本金1000万円の会社でしたが、強い使命感を抱き、社員の前で「必ず上場させる」と誓いました。
スーパーエコタウンへの挑戦と「田舎のプレスリー」からの脱却
ーー会社を成長させる上でのターニングポイントは何だったのでしょうか。
細沼順人:
東京都の「スーパーエコタウン事業」への進出です。当時、先進的な技術を持つ企業が都心にビル型の産廃処理施設を建てているのを目の当たりにしました。それを見て「自分もこれをつくりたい」と強く思い、城南島工場の公募に参加して選定を勝ち取ったのです。
当時の売上高は20数億円規模でしたが、投資金額は30億円にのぼります。当初は全額融資を約束していた銀行から支援を断られ、資金繰りに奔走しました。しかし、地元の信用金庫などが支援を申し出てくれたおかげで、何とか資金を工面できたのです。
さらに、役員たちが「給料を減らしてでも成し遂げましょう」と言ってくれました。その出来事は今でも忘れられません。この事業を通じて、私たちは「地元で目立つだけの存在」から脱却できました。いわゆる「田舎のプレスリー」だった私たちが、都心の中心部で競争できる企業へと成長できたのです。
圧倒的な立地と問題解決が生んだ「技術力」

ーー貴社の事業における強みや、技術的な優位性はどこにあるのでしょうか。
細沼順人:
国や東京都発注の土木工事の施工部隊や土壌汚染の調査から運搬、廃棄物処理、再生までをグループ内で完結できるバリューチェーンです。そして社会が困っている問題を解決することで、新しい技術やビジネスを生み出してきた点にあります。たとえば、かつて処理が困難だった「建設汚泥」を再生させる技術です。生コンのミキサーを改良してリサイクルする技術を開発しました。また、コンクリート塊から再生骨材を製造するため、国交省や大手ゼネコンや大学と産官学で研究を重ねました。その結果、日本で初めて再生骨材HのJIS認証を取得しています。業界のルールメイカーとしての地位を確立できたことは大きな自信につながりました。
さらに最大の強みは「立地」です。再開発が盛んな都心の現場から近い城南島に、最大規模の面積を持つ工場を構えています。これは圧倒的な競争力となっています。
「真っ白な経営」と未来を牽引する若き才能
ーー組織づくりにおいて、どのような価値観を大切にされているのでしょうか。
細沼順人:
1ミリの脱線も許さないルール遵守です。日本で一番真っ白で、「これでもか」というくらいルールを守る組織でありたいと考えています。かつての産廃業界は不適正な処理をする業者が少なくありませんでした。だからこそ、私たちはどんな細かいことでも絶対にルールを逸脱しないと決めたのです。この「絶対正しい」を貫く倫理観があるからこそ、大手企業からも信頼されるパートナーになれていると自負しています。
ーー若手の採用に非常に力を入れていらっしゃいますが、その狙いを教えてください。
細沼順人:
会社が成長し続けている最大の原動力は「人」だからです。弊社では、業界では異例と言える規模で、毎年継続して新卒採用を行っています。私自身が愛情を持って育てた新卒社員たちが成長し、今の組織をバイタリティ溢れるものに変えてくれました。採用で最も重視しているのは「素直さ」です。変革を恐れず、前向きに真っ直ぐ仕事に取り組める素直な心を持った若手は、成長のスピードが違います。彼らが中心となり、自主的にチームを牽引しているのが私たちの大きな強みです。
資源循環のトップランナーとして売上高1000億円のグループを目指す
ーー今後の展望について、どのようにお考えでしょうか。
細沼順人:
これからは「適正処理」の時代から「資源循環」、そして「サーキュラーエコノミー」の時代へとシフトします。かつては家族経営を中心に成り立っていた業界も、持続可能な産業へとアップデートされなければなりません。業界の一角を担い、世界に通用する組織となるためには、売上高1000億円規模の「企業集団」を目指す必要があります。しかし、自社単独の努力だけでその規模に達するには、相応の時間が必要です。そこで私たちは、M&Aによるホールディングス化を進めることで成長を加速させ、志を同じくする同業他社とともに強固なグループをつくり上げていく方針です。
編集後記
「親父を見返してやる」という反骨心から始まり、絶望的な状況での社長就任を乗り越えた細沼氏。その根底にあるのは、「子どもに誇れる会社にする」という愛情と、「真っ白な経営」への覚悟であった。かつての業界体質から脱却し、M&Aを駆使して資源循環のプラットフォームを構築しようとする視線は、すでに遠い未来の社会インフラを見据えている。素直で優秀な若手たちが躍動する成友興業が、今後どれほどのインパクトを業界に与えるのか。その躍進から目が離せない。

細沼順人/東京都出身。1988年成友興業取締役。1991年不動産会社に入社。1995年に専務取締役に就任。1996年に先代社長の急逝に伴い、同社代表取締役に就任。人的資本経営を根幹に、ひとり一人のエンゲージメントを高め、価値を最大限に引き出す施策を取り入れながら事業拡大を進めている。