
1920年の創業以来、長崎で時計や眼鏡の販売から始まり、現在では「festaria bijou SOPHIA(フェスタリア ビジュソフィア)」をはじめとするジュエリーブランドを国内外へ展開するフェスタリアホールディングス株式会社。バブル崩壊後の市場縮小期に業界へ本格参入し、独自の「ビジュ ド ファミーユ(家族の宝石)」という精神的な価値を提唱することで、単なる物品販売からの脱却を果たした。26歳で実家の多額の負債を背負う状況からスタートし、変革を牽引し続ける代表取締役社長の貞松隆弥氏に、これまでの軌跡と未来の「コミュニティ企業」に向けた展望をうかがった。
2億6000万円の負債と「海水パンツ」で決断した沖縄出店
ーーまずは家業に入られた経緯をお聞かせください。
貞松隆弥:
もともと音楽活動をしており、家業を継ぐ意思はありませんでした。しかし26歳の時、実家の眼鏡店を経営していた父が倒れました。長崎へ戻るとすぐ銀行へ同行を求められ、支店長から渡された書類には見たこともない数のゼロが並んでいました。総額2億6000万円。さらに5000万円の債務超過にあることもわかり、会社が抱える負債の保証人となった瞬間です。
逃げ出したい思いに駆られましたが、両親を見捨てることはできず、従業員の生活を守るためにも覚悟を決めるしかありませんでした。この多額の負債があったからこそ、退路を断って事業に真剣に向き合えたのだと今は捉えています。
ーー眼鏡事業からジュエリー事業への進出を決意されたのは何故ですか。
貞松隆弥:
当初は現業の眼鏡事業で負債を返済しようと試行錯誤しました。しかし、当時の眼鏡市場は全体で5000億円規模であり、最大手が市場の多くを握る寡占化状態です。大手企業が「量の論理」で優位に立つ業界構造において、中小規模の店舗が勝ち残るには限界を感じていました。
そこで着目したのがジュエリーです。バンド活動をしていた頃、東京表参道の路上でアクセサリーを自作して販売した経験があり、商材としての可能性を感じていました。ジュエリー業界は「1グラムいくら」で価値が決まる世界。大手が大量に仕入れても劇的に単価が下がるわけではなく、中小企業にも十分な勝機を見出せます。また、世界共通の商材である点も、将来的な海外展開を見据えるうえで魅力的でした。さらには、眼鏡店時代から培ってきた顧客管理のノウハウも生かせるマーケットであることに、大きな可能性を感じました。
ーーその後、ジュエリー事業の販路はどのように開拓していったのでしょうか。
貞松隆弥:
90年代に入り郊外型ショッピングセンターが台頭し始めた時期、「これだ」と直感し、自作の企画書を各デベロッパーへ持ち込みました。実績不足で相手にされない日々が続くなか、沖縄の商業施設(現在のイオン)から「11月オープンの区画に空きが出たため出店しないか」と打診を受けました。開業までわずか2カ月という急なオファーです。
父からは遠方を理由に反対され、私も辞退するつもりで現地へ向かいました。まだ泳げる季節だったため、荷物は海水パンツのみです。しかし、建設中の施設を目の当たりにして考えが一変しました。車社会の沖縄において、中心部から車で15分、大型駐車場を完備した本格的なショッピングセンターの1階入り口という好立地です。共働き率が高く核家族化していない地域特性を踏まえると、世帯あたりの可処分所得は十分にあり、必ず需要が見込める。そう確信し、その場で独断で出店を決めました。結果としてこの第1号店は大きな売上高を記録し、流通専門紙の一面を飾りました。これを機に、全国のデベロッパーから出店依頼が舞い込むようになったのです。
祖父の教訓「いらんもんはなくなる」 宝石は唯一なくならない永遠のアイテム

ーー事業を進めるなかで、社長が大切にされている理念について教えてください。
貞松隆弥:
私の仕事観の根底には、おじいちゃん子だった幼い頃に、祖父の豊市から何度も言い聞かされた「いらんもんはなくなる。だからお前はなくならない仕事をしろ」という言葉があります。祖父は海軍仕込みの腕のいい時計修理職人でしたが、昭和50年代に時計がクオーツ化し、安価になって修理する人が激減したことで、時計修理店を廃業して眼鏡店へと転換せざるを得ないという、つらい経験をしました。時代の流れに翻弄される虚しさや悔しさを身をもって知っていたからこその教訓です。
出店拡大に伴い、ベンチャーキャピタルから出資を受け、株式公開を視野に入れて全国展開を進めていた1995年頃、当時のジュエリー市場はバブル期の3兆円から1兆円へと急縮小し、大手企業の倒産も相次いでいました。自社の業績は伸びていたものの、ふと祖父の「いらんもんはなくなる」という言葉が脳裏をよぎり、「人はなぜ、生活に必須ではないジュエリーを買うのか。これは本当に、時代が変わってもなくならない仕事なのか」という根源的な問いに直面したのです。
その答えを探し求めるなかで出会ったのが、「ビジュ ド ファミーユ(家族の宝石)」というヨーロッパの習慣でした。ダイヤモンドカットの世界的権威であるガビ・トルコフスキー氏にこの問いを投げかけたところ、「ダイヤモンドは40億年前に地球の奥深くで生まれ、この先も永遠に変わらない。一方、人間の寿命は短い。だからこそ永遠でない人間が、永遠の輝きに思いを託し、愛する家族や子孫へ受け継いでいく。だから宝石は必要なのだ」と教えてくれました。
この言葉が、祖父の教えと重なり、ストンと胸に落ちたのです。宝石の真の価値は資産性や装飾性ではなく、思いを継承する「精神的な価値」にある。そう気づかされた私は、単に売上高を追求して拡大する方針を捨て、「ビジュ ド ファミーユ」を企業ミッションとして伝えるブランドへと、事業の舵を大きく切りました。あのときこの本質に気づいていなければ、その後の度重なる経済危機を乗り越えられなかったはずです。
ベトナムに築いた自社工場と星が浮かぶダイヤモンド❝Wish upon a star®❞

ーー理念を形にしていくうえで、どのような挑戦を行ってきたのでしょうか。
貞松隆弥:
祖父が時計修理職人だったこともあり、私自身ものづくりへの強い愛着がありました。当初は外部委託で製造していましたが、自らの手で納得のいく品を形にしたいという思いから、約20年前にベトナムに自社工場を設立しました。当時のベトナム進出は安価な労働力の確保が主な目的とされていましたが、私は現地スタッフに「海外の高級ブランドと肩を並べる品質を目指す」と伝えました。山梨県甲府市から熟練の技術者を派遣し、現地の職人を日本へ留学させるなど、長い歳月をかけて技術を蓄積。その結果、全国の百貨店バイヤーによる投票で選出される賞を12年連続で受賞する評価をいただいています。

ーー高い評価を獲得できた理由は、どのような点にあるとお考えですか。
貞松隆弥:
評価の背景には、品質と輝きへのあくなき探求があります。2019年にはダイヤモンドの輝きをより深く探求するため、社内に研究所を設立しました。100年前に確立されたカット技術が世界基準となるなか、デジタル技術と数学的計算を用いて独自のカットを研究しました。❝Wish upon a star®(ウィッシュ・アポン・ア・スター)❞は、ダイヤモンドのなかに大小2つの星が浮かび上がるオリジナルカットです。
古来、人々は星の動きに導かれ、星に願いを託してきました。この普遍的な営みを、高い屈折率を持つダイヤモンドで表現しています。小さな星は現在の自分、大きな星は未来の自分と愛する人たち。単なる装飾品としてではなく、そこに込められた物語やメッセージに共感して選んでくださるお客様が多く、まさに精神的な価値を体現する商品です。
接客を科学し属人性を排除する「コミュニティ企業」への進化

ーー販売の現場における、貴社ならではの特徴についてお聞かせください。
貞松隆弥:
「断られ上手になりなさい」。私の母であり、サダマツの接客の礎を築いた貞松栄子が遺したこの一言が、私たちのすべての原点にあります。ジュエリー業界が低迷する中でも当社が成長を続けてきた背景には、この母の思想を受け継いだ「接客を科学する」というアプローチと、徹底した顧客管理(CRM)があります。母は限られたお客様と深く向き合う中で、一人ひとりの人生に寄り添い、ニーズを読み取って提案を重ねてきました。
大切なのは、お客様に「これをください」と言われてから動くのではなく、「これはいかがですか?」とこちらから提案することです。「売る」のではなく、「次につなげる」。そのために必要なのが、果敢に提案し、時には断られ、それでもなお誠実に関係を築いていく「断られ上手」の精神です。この積み重ねこそが深い信頼を生み、やがて強固な顧客関係へと育っていきます。
私たちは、この思想を個人のセンスや才能に依存させるのではなく、接客プロセスを細かく分解して方程式のように体系化しました。お客様の潜在的な要望をどの段階で引き出し、どう提案につなげるか。たとえば、店頭に日常使いのアクセサリーを見に来られたお客様であっても、会話の中から「来年、結婚を控えている」といったライフイベントや、ご年配の方なら「お嬢さんが来春に20歳になる」といった情報を丁寧に引き出すことができれば、最適なタイミングでブライダルや記念日のソリューションを提案できます。この接客を科学する仕組みがあるからこそ、若手スタッフであっても一定の訓練で高い接客水準を保つことができ、日本ジュエリー協会主催の接客コンテストで4大会連続で異なるスタッフが日本一に輝くという、圧倒的な成果につながっています。
ーー強固な顧客基盤を活かし、今後はどのような展望を描いていますか。
貞松隆弥:
現在、約40万人の顧客データを有しており、そのうち約2万人のロイヤルカスタマーのお客様が全体の売上高の6割を支えてくださっています。これからは、この強固な顧客基盤をベースに、理念に共感するお客様同士がつながる「コミュニティ企業」への進化を見据えています。そのために、私たちは催事の役割を明確に再編しました。
まず「熟成催事」は、顧客満足度やブランドへの愛着を高め、お客様との長期的な関係を築くための重要なイベントです。VIP展等を通じて、特別なおもてなしや限定商品、非日常の体験を提供し、お客様に「自分は特別な存在である」と感じていただくことを目指しています。単なる売上高ではなく、フェスタリアのファンになっていただくための場として、お客様との絆を深めていく大切な取り組みです。
一方で、ブランドへの入り口となる「集客催事」も大切にしています。コロナ前には、お客様の願い事を短冊に書いていただき、七夕神社に奉納する「エンゲージメントデー(七夕イベント)」を行っていました。また、先日は渋谷で手作りジュエリーのワークショップを開催しました。これらは直接的な売上高には直結しませんが、お客様との絆やジュエリーが好きな方との接点をつくり、そこから得られたお客様のストーリーやニーズをCRMに連動させていく、サダマツならではの集客アプローチです。このように、お客様のリピーターからファンへと育成していく仕組みを、今後さらに強固なものにしていきます。
宝石屋の顔をした「顧客情報産業」情報技術への投資が拓く未来
ーーさらなる成長に向けて、事業のあり方をどのように見据えていますか。
貞松隆弥:
私たちの事業の本質は、宝石の小売業にとどまらない「顧客情報産業」です。お客様のライフイベントや価値観といった深い情報を共有いただいているからこそ、ジュエリー以外の多様な提案が可能になります。資産としての高額商品の展開や、海外顧客・富裕層に向けた新たなサービスも視野に入れています。また、製造業としてのインフラであるベトナム工場を開放し、同業他社からの製造請負(企業間取引)も強化していく方針です。
ーーその構想を実現するために、どのような取り組みを行っていますか。
貞松隆弥:
こうした構想を実現するため、デジタル領域への投資を加速させています。在庫の一元管理システムによる機会損失の防止といった基盤整備に加え、店舗、自社メディア、SNSなどあらゆる接点からの顧客情報を統合。AIを活用し、一人ひとりに最適な提案を行う仕組みを構築しています。さらに、3D技術を用いたオーダーメイドシステムも導入しました。店舗でお客様の要望をうかがいながらAIで立体化し、現地のシステムと連携して当日の金相場を反映した見積もりを即座に提示します。人の手による温もりと最先端の技術を高度に融合させることで、人口減少の時代においても持続的に成長できる企業体質を築き上げていきます。
編集後記
「私たちは宝石屋の顔をした顧客情報産業だ」と語る貞松氏。同社は『ビジュ ド ファミーユ』という確固たる理念を軸に据えながら、接客の科学的分析、ベトナムでの高度な工場運営、情報技術への積極投資など、理路整然とした戦略によって成長を続けてきた。単に物品を販売するのではなく、人の思いや繋がりを資産と捉え「コミュニティ企業」へと進化していくフェスタリアホールディングス。その挑戦は、業界の枠を超えた新たな企業の在り方を力強く提示している。

貞松隆弥/1961年長崎県生まれ。成城大学卒業。1986年株式会社サダマツに入社し、2000年に社長へ就任。2002年にはJASDAQ上場を果たす。2006年ベトナム生産拠点D&Q JEWELLERY Co.,Ltd.を設立。2011年には台湾貞松を設立。2018年にフェスタリアホールディングス株式会社へ社名を変更。2019年ダイヤモンド研究所設立。「Wish upon a star®」の名付け親であり開発者。座右の銘は「夢をもつのは能力だ」。