
「チャンスは待っていても来ない。自ら動いて獲得するものだ」。そう語るのは、100年の歴史を持つ雪印メグミルク株式会社の代表取締役社長である佐藤雅俊氏だ。アイスホッケー選手としての異色の経歴を持ち、引退後は極限状態での危機管理や大規模な企業統合を牽引した。社内に蔓延していた保守的な風土を打ち破り、次なる100年へ向けて「食の持続性」の実現という社会課題に挑む。「準備と信頼」の信念と創業の精神「健土健民」を胸に、同社をいかに未来志向の組織へ生まれ変わらせるのか。その経営信念と変革の全貌に迫る。
アスリートから学んだ「チャンスを掴む力」と「準備の重要性」
ーーまずは、アイスホッケー選手時代のお話からお聞かせいただけますか。
佐藤雅俊:
私は弊社に入社してから11年間、アイスホッケートップリーグの選手としてプレーをしていました。その11年間を終えてビジネスの現場に身を投じるにあたり、正直に言えば「11年間の出遅れ、マイナスからのスタートだ」と覚悟していたのです。しかし、いざ仕事に向き合い、さまざまな事象と出会ううちに、あることに気づきました。それは、スポーツの世界で悩み、もがきながら見出した答えが実は企業のありとあらゆる場面に当てはまるのではないか、ということです。特に強く感じたのは、「チャンスに対する捉え方」です。事業を進める上でさまざまなチャンスがありますが、それは待っていても決して来るものではありません。自らが動いてつかみ取らなければならないのです。
私は選手生活の最後の2年間、プレイングコーチとしてチームマネジメントに携わりましたが、その中で一番辛かったのが、シーズン終了後に選手へ引退宣告をする面談でした。戦力外通告を受けた選手の多くは、「自分にはチャンスを与えられなかった」と口にします。トップアスリートは幼少期から常にエースだった人間ばかりですが、トップチームに集まれば、当然序列ができ、レギュラーになれない選手も出てきます。しかし、マネージャーや指導者側はすべての選手に少しでもチャンスを与えようとするものです。たとえば、負けの流れが強い試合で急遽出場させられた時。その意味を理解し、「流れを変える(ゲームチェンジ)」という自身に与えられた役割を100%演じきれるか。それを自分にとっての「機会」と捉えられるかどうかが、その後のキャリアを大きく左右します。
これは企業における社員も同じです。「チャンスを与えられない」と嘆くのではなく、日常の仕事の中に転がっているチャンスをどう捉えて行動するか。スポーツという結果が非常に明確な勝負の世界から学んだこの価値観を、私は今、経営者として何よりも大切にしています。
ーー好機を逃さないための日頃の姿勢として、大切にされている信条などはありますか。
佐藤雅俊:
私は常々、仕事もスポーツも「準備7割、本番3割」だと考えています。本番で力を発揮できるのは、準備が徹底的にできており、「100%達成できる」というイメージが構築されているからです。大舞台で奇跡のようなプレーが起こることがありますが、それは決して奇跡ではなく、いかに日頃の準備を突き詰めてやり切っていたかの結果なのです。私自身も選手時代、そして今に至るまで、徹底して準備をすることを何よりも大切にしています。
ーービジネスマンとしてターニングポイントとなった出来事を教えていただけますか。
佐藤雅俊:
日々がターニングポイントの連続ですが、アスリートからビジネスの世界へ転向したことは、人生における大きな岐路でした。また、東北エリアの長として経験した東日本大震災では、極限状態での危機管理が私にとって大きな考え方の転機となりました。
しかし、現在の「社長」という立場に最も直結しているのは、弊社の統合プロジェクトに携わったことでしょう。弊社は過去に分割され複数の会社に分かれましたが、その後、最も大きな2つの事業を再び一つに統合するという大きな変革期を迎えました。私は40代のとき、その統合実務の最前線に身を置く機会を得たのです。
一般的に、組織の統合スキームを完遂するには3つの柱があると考えています。1つ目は、「システムの統合」。2つ目は、組織やガバナンスなどの「機関の統合」。そして3つ目、最も重要であり困難なのが、企業理念や意識といった「マインドの統合」です。お互いの強みや弱みも知り尽くしているからこそ、かえって理想を追求しすぎると歩み寄れず、融合が難しいという現実にも直面しました。
社長就任と「健土健民」保守的風土を打ち破る「原理原則」
ーー社長に就任された当時の心境についてお聞かせください。
佐藤雅俊:
就任の打診を受けた時、改めて会社を見つめ直しました。約100年という長い歴史と伝統を持つがゆえに、それを壊してはいけないという思いがありました。一方で、弊社は2000年に大きな品質事故を起こしました。
弊社は、世の中から企業として否定されるという経験をしました。そのため、「もう絶対に失敗してはいけない」という保守的な考え方が社内に蔓延していました。しかし歴史と伝統というものは、本来それを守りながら新しいものをつくり上げることでつながっていくものです。足踏みをしていては組織は止まってしまいます。次の100年を切り拓くためには、思い切って挑戦し、チャレンジしなければならないと強く感じました。
ただ、保守的なマインドを抱える社員に「挑戦せよ」と唱えるだけでは不十分です。失敗を恐れずに突き進むためには、迷った時にいつでも立ち戻れる「心の拠り所」を明確にすることが必要でした。その指針を模索していた時、私の心に深く響いたのが、戦後復興に尽力した白洲次郎氏の「プリンシプル(原理原則)を大事にする」という考え方です。時代の荒波の中でも、本質を見失わない確固たる軸を持つこと。では、私たちの原理原則は何か。その答えこそが、創業の精神である「健土健民」でした。

ーー「健土健民」という言葉は現在の会社経営にどうつながっているのでしょうか。
佐藤雅俊:
1925年の創業当時、北海道は寒さが厳しく農業が安定しない不毛の地でした。そこで創業者たちが立ち上がり、寒冷地に強い酪農業を推進することで、日本人に豊かな「食」を提供して社会課題を解決しようとしたのが弊社の原点です。ただ、昔の言葉をそのまま押し出しても若い社員の共感は得られません。そこで社員全員で議論し、現代の社会課題とは何かを再定義しました。それが「食の持続性」の実現です。世界の人口増加や気候変動の観点から、このままでは十分なタンパク質を摂ることが難しくなるかもしれない未来に対し、食の持続性を実現することが、私たちの社会課題解決であり、そして、それこそが現代版の「健土健民」なのだと考え、私たちの「存在意義・志」に定めました。
ーー経営者として大事にされている価値観や考えについて教えてください。
佐藤雅俊:
リーダーは、自ら夢を描き、ビジョンを持ってそれを語るエンターテイナーでなければならないと考えています。持ち回りの文書で伝えるのではなく、自らの言葉で伝え、人の心を動かすことがリーダーの最大の役割です。
私が大学3年生の時、今後、アスリートとしてアイスホッケーの道に進むべきか、一般の企業人として進むべきか迷っていた際、当時アイスホッケー部を持っていた「古河電工」の方にお会いする機会がありました。実はその方は、後にJリーグを立ち上げる川淵三郎氏でした。当時のサッカーグラウンドは砂埃が舞う環境で、日本リーグと言えども200人から300人の観客と言うような状況もありました。しかし、川淵氏は「私には夢がある。ヨーロッパのように青々とした芝の上で選手が躍動的に活躍するステージをつくるのが私の夢だ」と熱く語ったのです。当時はJリーグの構想すら世にない時代でしたが、1993年、川淵氏は初代チェアマンとしてその夢を現実のものにしました。「強い信念とリーダーシップがあればこれほど大きなことができるのだ」と強烈なインパクトを受けました。「リーダーには、夢を持ちそれを伝え、大きな力に変える強いリーダーシップが大切だ」と学びました。
もう一つ大切にしているのが「人を信じる」ということです。相手にすべてを任せ、信じ抜くことを伝える。そして「信じられた人間は、我々の想像を超える結果を出すことができる」と強く感じています。お互いを信じることはすごい力になりますが、それには信じてもらえるだけの日頃の行動や信頼関係が不可欠です。双方の信頼関係がいかに大事かということです。私は常に夢を語りながら、人を信じる経営を貫くことで、この企業を成長へと導いていきたいという強い思いを持っています。
ミルクバリューチェーンの強みと次世代を見据えた新展開
ーー競合と比較した際の独自性や差別化戦略について教えていただけますか。
佐藤雅俊:
私たちの最大の強みは、酪農乳業に根ざした知見と技術力、そしてミルクバリューチェーンの原点から最終商品までを網羅している点にあります。ベースとなる乳製品を安定的にお届けする基盤を持つだけでなく、「乳(ミルク)」が持つ「本質的価値」と「機能的価値」の探求と提供も大きな差別化戦略です。
たとえば、弊社商品「MBPドリンク」に配合されている「MBP(ミルクベーシックプロテイン)」は、牛乳の中にわずか0.005%しか含まれない希少タンパク質です。その成分を探し出し、骨密度を高める機能があることを発見しました。また、当社が保有する3,000種類以上の菌株が持つ機能や乳の可能性を引き出す技術は、「乳(ミルク)」を知り尽くした私たちにしかできない独自性です。
ーー直近で注力している取り組みはどのようなものがありますか。
佐藤雅俊:
大きく分けて2つあります。
1つ目は「プラントベースフード」市場への本格参入です。食の持続性を考えた時、動物性タンパク質だけでは限界が来ます。私たちは単に商品を出すだけではなく、プラントベースフード原料の調達から最終商品の生産に至るまでの新たなバリューチェーンを構築することを目的とし、アグロコープインターナショナル社との合弁会社をつくりました。2026年度中にはマレーシアの工場が稼働予定であり、今後の大きな事業の柱として期待しています。
そして2つ目は、「雪印メグミルクおいしい牛乳」750mlパックの全国展開です。少子高齢化で世帯構成が変わる中、従来の1,000mlでは飲み残しが発生してしまいます。適量をしっかり届けることで廃棄を減らし、利便性の向上と環境負荷低減につながるサステナブルな商品の普及を進めています。
「未来ビジョン2050」とアセット大変革が描く新しい雪印メグミルク

ーー今後の注力テーマについてお聞かせください。
佐藤雅俊:
当社グループは、次の100年に向けたマイルストーンとすべく、2050年の私たちの「理想の社会」である「未来ビジョン2050」を描きました。私自身が直轄する形で立ち上げたこのプロジェクトは、2050年に会社の中核を担う世代となるグループ会社を含めた若いメンバーで構成しました。
「未来ビジョン2050」では、私たちの存在意義・志である「健土健民」に基づき、次の100年に向けて「リジェネラティブ(持続的で好循環な状態)」な社会の実現を目指しています。ステークホルダーの皆様にご期待いただける、そして従業員が夢と希望を持って働くことができる理想の社会を「EGAO-MEGUMITOWN」という「まち」に表現しました。そして、「未来ビジョン2050」の実現に向けた道筋を描いたのが、新経営計画「Next Design 2030」です。
このビジョンには「食の宇宙時代への挑戦」といった項目も含まれており、保守的だった風土から宇宙に向かうほどに大きく変わろうとしています。経営層の役割は、彼らが「やる」と言ったことをどうすれば実現できるかを全力で考えることだと宣言しています。
ーーそのビジョン実現に向けた構造改革やブランディングの取り組みはいかがですか。
佐藤雅俊:
新経営計画「Next Design 2030」において重視しているのが、「アセットの大変革」を戦略の大きな柱の一つとした既存分野の構造改革です。国内22工場、海外3工場のうち、約20〜30%を再編し、合理化や協業を進めているところです。一方で約475億円を投じてこれまでにない新しいチーズの創造が可能となる生産体制を構築するなど、新たな価値を生み出すための設備投資も行っています。
また、マーケティング・ブランディングにおいては商品という接点だけでなく、弊社の理念や創業の精神といったブランドストーリーをしっかりとお客様に伝えていくことを重視してきました。共感を生み、信頼されるブランドとして成長し続けるためのコーポレートブランド強化を、今後も継続して推進していく方針です。
ーー最後に、読者へのメッセージをお願いします。
佐藤雅俊:
これまで私たちがさまざまな変化に対応できたのは、ミルクバリューチェーンという確固たる基盤があったからです。この基盤に新たな事業領域をかけ合わせ、次の100年に向け、社会課題である「食の持続性」を実現していきたいと考えています。
実は生乳というものは、一切捨てるものがない完璧なホールフードです。果物には皮や芯があり、穀物にも捨てざるを得ない部分がありますが、牛から搾った生乳は、そのまま牛乳として、またはバターやチーズにもなります。更にチーズの副産物であるホエイからは粉ミルクがつくられるなど、余すことなくすべてを食すことができます。これほど無駄がなくサステナブルなものを、決して縮小させてはいけません。食の持続性を実現するためには、日本の酪農業をもっと発展させる必要があります。その実現には消費者の皆様の応援が不可欠です。すべてを活かしきるミルクの可能性を信じ、業界のオーケストレーターとしての私たちの挑戦をぜひこれからも応援していただければ幸いです。
編集後記
長年培われた歴史の重みと、そこに安住しない強烈な変革の意志。佐藤氏の言葉からは現状を打破しようとする熱量がひしひしと伝わってきた。スポーツで培われた「準備」と「自らチャンスを掴む力」は見事に企業経営の信念へと昇華されている。徹底したバリューチェーンの強みを活かしつつ、プラントベースフードや宇宙時代の食まで見据えるスケールの大きさはもはや単なる老舗食品メーカーの枠を超えている。捨てるもののないホールフードとしてのミルクが今後どのように持続可能な未来をつくっていくのか。雪印メグミルクの次なる100年の飛躍から目が離せない。

佐藤雅俊/1963年生まれ、北海道出身。明治大学卒業。1985年雪印乳業株式会社に入社し、1985年4月~1996年3月アイスホッケー部に所属。その後、雪印メグミルク株式会社首都圏西支店長、総合企画室副部長、中部統括支店長、秘書室長、乳食品事業部長、常務執行役員などを経て、2022年6月代表取締役社長に就任。