
1971年の創業以来、金属製品の塗装加工を手がける株式会社八代塗装。同社代表取締役の友田義昭氏は、高校卒業と同時に家業へ入り、現場で腕を磨いてきた塗装職人である。20代での工場立ち上げや、他社での修業、さらには単身マレーシアへ渡り工場を立て直した経験も持つ友田氏。機械化が進む現代において、職人の技術と自動化をどのように融合させようとしているのか。そして、社員の幸せを願う具体的な取り組みについても話をうかがった。
小学2年生で決めた家業を継ぐ決意と職人としてのスタート
ーーまずは、家業へ入られるまでの経緯をお聞かせください。
友田義昭:
私は幼い頃から父の働く姿を見て育ちました。その影響もあって、小学2年生のときの作文にはすでに「後を継ぐ」と書いており、夏休みにはいつも工場へ足を運んで、職人たちと一緒に手伝いのようなことをして過ごしていましたね。
その後、高校卒業してからすぐに家業へ入りました。当時は父から、大学へ行くように強く勧められていました。しかし私は「大学へ行く4年間があるなら、その時間でよい職人になる」と説得し、入社を決意したのです。入社後は見習いからスタートし、2年後の20歳のときには新しい工場の立ち上げを任され、20名以上のスタッフをまとめる経験も積んでいます。
ーーその後は、ずっと家業で腕を磨かれたのですか。
友田義昭:
27歳のとき、「今の自分は先代のやり方しか知らない。他の会社がどのようなやり方をしているのか知りたい」と考え、3年間の期限付きで一度会社を離れ、他社で修業を積みました。その後、約束通り家業に戻ったのですが、そこで父と意見が激しく衝突したのです。
時代の流れに合わせて「週休二日制」を導入し、社員が長く働ける環境をつくりたい私と、「仕事がある限り働くのが職人だ」という父。真っ向から対立し、父から「俺の会社だから自分のやり方でやる。嫌なら辞めろ」とまで言われ、私は身を引く形で再び会社を離れることになりました。
言葉の壁を越えたマレーシアでの工場再建
ーー会社を離れた後は、どうされたのでしょうか。
友田義昭:
車好きが高じて友人の車屋を手伝っていました。そんな折に自転車・つり具の会社から「マレーシアにある工場の不良率が高くて困っている」と相談を受けたのです。
実は、以前にそのラインの立ち上げを3ヶ月だけ手伝ったことがあったのですが、私が指導していた期間は不良率が1%まで下がった実績があり、それを買われての再度の依頼でした。当初は断っていましたが、あまりにも困っている様子だったので「1年で必ず結果を出す」と約束し、単身で現地へ向かったのです。結果的に、その挑戦は4年に及ぶことになりました。
ーー言葉も通じない環境での現場再建は、どのような苦労がありましたか。
友田義昭:
英語も現地の言葉も話せなかったため、最初は周りのスタッフも私を遠巻きに見ているだけでした。そこで私は、現場を歩き回るときに空のペットボトルを持ち歩き、叩いてリズムを取りながら近づくようにしたのです。私が来たことが音でわかるようになり、現地の言葉で挨拶すると彼らも喜んでくれました。働く仲間の気持ちを一つにまとめることができれば、必ず結果はついてきます。生産効率は上がり、1年後には黒字化を達成して、現地のスタッフ全員にボーナスを出すことができました。
ーー帰国後、どのような経緯で会社を任されることになったのでしょうか。
友田義昭:
父から「戻ってきてほしい」と頼まれたことがきっかけです。当時の八代塗装は厳しい時期にありました。そこで「生産や品質管理はすべて私がやる。口出しは一切しない」という条件で復帰し、後に代表を任されることになったのです。
1000個塗ったら1000個べっぴんに 受け継がれる技術と強み

ーー改めて、貴社の事業内容と強みについて教えていただけますか。
友田義昭:
弊社の強みは、創業時から培ってきた「塗装の技術力」です。たとえば、弊社の塗装ラインは、一般的な工場に比べてスピードが非常に速いのですが、それでも塗料の付着効率を極限まで高める工夫をしています。その結果、材料費を抑えつつ、高品質な製品を迅速に仕上げることが可能です。
実は、これまで弊社から営業をしたことは一度もありません。「困っているなら八代塗装さんに」と、すべて実績や技術を聞いたお客様からのご紹介やお問い合わせで、今の事業が成り立っている状態です。
ーー社長ご自身も現場への思い入れが強いのでしょうか。
友田義昭:
私は塗装の仕事が本当に好きです。「1000個塗ったら、1000個すべてをべっぴんにつくりたい」というこだわりを持っています。ただ作業をこなすのではなく、製品一つひとつを美しく仕上げる。その技術と姿勢があるからこそ、お客様の信頼に応え続けることができると考えています。
粉体塗装の新設と自動化で目指す社員が輝く未来

ーー今後の事業展開についてもお聞かせいただけますか。
友田義昭:
環境に配慮した粉体塗装の専用工場を新設し、自動化技術を活かしていきたいと考えています。現在の主流である溶剤塗装はどうしても臭いが発生し、働く人の健康への負担があります。これからの時代を生き抜くためには、粉体塗装への移行と職人不足を補う自動化ラインの構築が不可欠です。
ーー取引先の開拓や採用についてはどのようにお考えですか。
友田義昭:
取引先については、会社の規模にはこだわりません。たとえ小さな案件でも「他所では断られたが、どうしても八代塗装に助けてほしい」と言われれば、喜んでお受けします。ネームバリューではなく、私たちの技術を本当に必要としてくれるお客様と、共に歩んでいきたいですね。
採用に関しては、ただ人を増やすのではなく、まずは働きやすい環境を整えることが最優先です。幅広い年代がバランスよく活躍し、長く安定して働ける会社にしていきたいと考えています。
ーー最後に、今後の会社としての展望をお話いただけますか。
友田義昭:
私が一番大切にしているのは、社員が毎日安心して生活できることです。そのためには、仕事の波をなくし、安定して利益を出し続ける仕組みが必要です。自社の価値を高めていくことはもちろんですが、社員たちの生活を安定して守れる選択肢があるならば、他社との連携を選ぶ覚悟も持っています。職人としての誇りを持ちつつ、何よりも社員の幸せを守り抜くことが私の使命です。
編集後記
幼い時から職人たちの背中を見て育ってきた友田氏。その言葉からは、塗装という仕事への愛情と「1000個すべてをべっぴんに仕上げたい」という職人としての美学が溢れていた。一方で、自動化や環境に配慮した新工場の計画、そして「社員の生活を守れるなら柔軟な選択をする」と言い切る合理的な経営者としての顔も併せ持つ。伝統的な技術を守りながらも、時代の変化に適応していく株式会社八代塗装の挑戦に今後も期待したい。

友田義昭/1970年大阪府生まれ。高校に通いながら家業を手伝い、先代友田力男のもとで塗装のノウハウを学ぶとともに他の数件の塗装業者に出向いて塗装の腕を磨く。その後は、マレーシアで塗装の工場を立ち上げを行い、その3年後に八代塗装へ戻る。2014年に代表取締役社長に就任。「親が食べずとも子供にはたべさせる」という会長の教えを貫き、わが身は親、社員は子供として現在も続いている。