※本ページ内の情報は2026年6月時点のものです。

1988年、親が工面してくれた資金を手に、中国から日本へ渡った若者がいた。大学院修了後、初の外国人正社員として伊藤忠商事へ入社しエリート街道を進むも、インターネット黎明期に可能性を感じ、独立の道を選んだ。度重なる資金ショートの危機を執念で乗り越え、現在彼が率いるInagora株式会社は、越境ECプラットフォームとして確固たる地位を築いている。AIを実装し次世代のビジネスモデルを牽引する、同社代表取締役CEOの翁永飆氏に、これまでの軌跡と「ショッピングに国境はない」というミッションに懸ける思いをうかがった。

「夢の国」日本への留学とエリート街道からのスピンアウト

ーーまずは、日本に来られた経緯からお聞かせいただけますか。

翁永飆:
私が日本に来た1988年当時は、中国は経済発展の少し前で、海外の情報がそれほど入ってこない閉鎖的な時代でした。海外に行くこと自体がほぼなく、まさに「夢の国」のような遠い存在だったのです。そんな中、日本政府が留学生を大きく増やそうという政策をとっており、ビザが簡易的に取得しやすくなっていた時期でした。その情報を同級生がキャッチし、私も日本へ行く決意をしたのです。

しかし、当時の両親は大学で教えていましたが、両親の月収は合わせても日本円で約2万円という状況の中、留学費用や最初の生活費を合わせると50万円ほどが必要でした。到底払える額ではありませんでしたが、父親が借金をしてサポートしてくれたおかげで、ビザを取得し日本に来ることができたのです。

ーー来日後はどのようなキャリアを歩まれたのでしょうか。

翁永飆:
大学院へ進学した後、伊藤忠商事株式会社に入社しました。当時の日本企業は世界をリードするエクセレントカンパニーとしてのイメージが強く、中でも伊藤忠商事は日本と中国の間の貿易額の十分の一を占めるほど、中国に強い商社として有名でした。私も日本と中国をつなぐ仕事がしたくて入社を決めたのです。

配属されたのは宇宙情報マルチメディアカンパニーという部署で、人工衛星を用いた放送や通信、さらには「スカパー!」のような放送会社の立ち上げやコンテンツ制作に関わりました。最終的には、音楽チャンネル「スペースシャワー」に出向し、上場準備の仕事を担当していました。

ーーそこから独立し、インターネット事業へ挑戦することにしたのはなぜですか。

翁永飆:
上場後の成長ストーリーを描く中で、1998年頃からインターネットがブームになり始めていました。ユーザーが自らリクエストして見たいものを見られるような、インタラクティブなサービスを企画しているうちに、「インターネットサービスって面白いな」と強く感じるようになったのです。大企業の看板や安定を手放すことにはなりますが、当時起業が流行っていたこともあり、インターネットでゼロから事業をつくり出したいという思いが勝りました。

残された時間は3ヶ月 危機を救った「市場を信じ切る力」

ーー独立後、一社目の創業時には、どのような困難がありましたか。

翁永飆:
最初はオフィスも借りられず、誰も相手にしてくれない小さな部屋から2人でスタートを切ったのが始まりです。幸運にも、伊藤忠商事などから約5000万円の出資を受けることができたものの、少し調子に乗って人を雇いすぎた結果、あっという間に1年足らずで資金が底をつく事態に陥ります。次の収益モデルも確立できておらず、新しい事業が立ち上がるまでには3ヶ月という時間が必要でしたが、当時の手元資金ではそこまで会社を維持することができませんでした。まさに、その「3ヶ月という猶予」をどうにかして持たせ、延命しなければならないという、非常に切実な状況だったのです。

そこで、社員のみんなに事情を説明して給与を減額してもらい、全員でギリギリの状況を耐え忍ぶことになります。その結果、なんとかサービスインした月に次の出資を集めることができ、どうにか生き延びることができました。この経験から、資金繰りと収益化までのタイムラグをどう生き抜くかという、経営のリアルを学ぶ貴重な機会となっています。

ーー数々の困難を乗り越えられてきた原動力は何でしょうか。

翁永飆:
根本的な市場ニーズが存在していると信じ切れるかどうかが鍵でした。日本と中国の間には、これだけ日本の産業があり、中国には十数億人の消費ニーズがあります。この間にニーズがないはずがありません。市場さえ存在していれば、自分たちの努力で足りない部分を補っていくことで、自ずと道は開けると信じてやってきました。

後発からの大逆転劇とベンチャーの戦い方

ーー二社目の起業となるキングソフト時代についてお聞かせください。

翁永飆:
インターネットセキュリティのサービスに参入した際、私たちは市場で14番目か15番目の最後発でした。当時すでに有名なブランドが多数存在しており、無名なベンチャーである私たちには彼らを追い越すための資金力もリソースもありませんでした。そこで目を付けたのがビジネスモデルの転換です。当時は年間数千円から1万円程度の更新料を徴収するのが一般的で、「セキュリティソフト=高い」という常識がありました。私たちはそこを「完全無料」にし、代わりにインターネット的な発想で広告から収益を得る仕組みをつくったのです。

結果として1000万人ほどの利用者を獲得し、トップシェアに食い込むことができました。ベンチャーが生きていくには、資金や知名度がない中で、人がやっていないアイデアを見つけ、誰よりも早く実行するスピードが何よりも重要だと学びました。

「爆買い」から「ポップカルチャー」へ進化する越境EC

ーー現在のインアゴーラを立ち上げられた2014年当時と今で、市場のニーズに変化はありますか。

翁永飆:
設立当初は、中国からの旅行者による「爆買い」が全盛の時代でした。インターネットの力を使えば、日本に来なくても日本の良い商品が買えるサービスができるのではないかと考えたのが原点です。取り扱う商品も、最初は紙おむつから始まり、化粧品などのヘルス&ビューティ領域へと広がっていきました。

そして現在はそこからさらに進化し、日本酒やコスプレのファッション、さらにはアニメや漫画などのポップカルチャー領域へとニーズが拡大し、日本のカルチャーを海外に発信する事業を展開しています。直近では、メルカリで販売されている商品をAIで翻訳し、中国のお客様が自国の通貨と住所でそのまま購入できるような代理購入の業態も始めており、常に変わりゆく市場のニーズを捉え続けています。

情報と物理の壁を打ち破るインフラ構築

ーー越境ECにおいて、根本的な課題とは何だとお考えですか。

翁永飆:
国境をまたぐ最大の障壁は、「情報の壁」と「物理的な壁」の2つです。情報がフラットになったとはいえ、海外のスーパーに並んでいるものを日常的に知ることは難しく、そもそも「知らないから買おうと思わない」のです。そして、いざ知ったとしても、国ごとに異なる関税や輸入の仕組みという面倒な物理的・制度的壁が存在します。違う国の商品を知る仕組みをつくり、それをリアルのモノとして手元に持ってくる通関などの仕組みを両立させて初めて、海外のものは目の前に届きます。

ーー貴社の強みについてお聞かせください。

翁永飆:
システム開発から、物流、通関業務に至るまで、越境ECに必要な仕組みをすべて自社開発しています。ここまで総合的な業態を網羅している会社は、競合でもほとんどありません。特定カテゴリにおける圧倒的な市場シェアも強みで、たとえば日本酒の分野では日中間の取引の大部分を押さえていますし、若者向けのファッション領域でも確固たるシェアを握っています。

ーー現在の強固なインフラを構築されるまでには、どのようなご苦労がありましたか。

翁永飆:
事業を始めた当初は「物流って何ですか?」という状態からのスタートでした。何もない中で荷物をどうやって仕分けるのか悩み、最初はエクセルで管理し、自ら倉庫のロケーションをつくるところから始めたのです。そこから徐々にシステムを構築し、ハンディターミナルなどの独自の仕組みを構築しました。現在では自動化に近いところまで仕組みが成熟しています。インフラをつくるフェーズでは多くの人員が必要でしたが、仕組みが完成し効率化されたことで、現在ではより生産性の高い組織体質へと進化しています。

「ショッピングに国境はない」AIと人間が共存し世界へ

ーーAI活用を全社的に推進されているそうですが、具体的な取り組みについてお聞かせください。

翁永飆:
現在、社内に「AI委員会」を設置し、全社を挙げてAI実装による圧倒的な業務効率化を進めています。日本と中国の間では、単なる翻訳だけでなく、国ごとのセールスポイントの書き換えが必要です。そうしたコンテンツの生成や、大量の商品登録、煩雑な通関書類の処理などを次々とAIで自動化しています。私たちの考え方は、AIに仕事を奪われるのではなく、「AI従業員」をフル活用することで、人間がより付加価値の高い「考える仕事」に集中できる環境をつくることです。

ーーAIの導入によって、社員の働き方は具体的にどう変わっていくのでしょうか。

翁永飆:
たとえば、自分で1時間かけてパワーポイントの資料を作成するのか、AIに「こういう資料をつくって」と1分で指示を出すのかの違いです。AIに任せれば、残りの59分を他のもっと人間にしかできない高度な判断や戦略立案に充てることができます。

現在、社内ではエンジニアが構築したAIエージェントを、社員が日々の業務の中で使いながらトレーニングし、教え込んでいる段階です。究極的には、自社で開発したシステムにより、AIが自律的に市場を分析し、自動で仕入れ、販売、SNSへの投稿から最後の会計処理までを行うような仕組みを目指しています。これにより、人間はシステムのブラッシュアップなど、さらに高度な業務に集中できるようになります。

ーー今後のグローバル展開において、貴社が目指すポジションは何ですか。

翁永飆:
日本のよいものを全世界に広めていく存在として、圧倒的なナンバーワンのポジションを目指しています。現在、国内がメインの「楽天市場」や、世界的な「Amazon」は存在しますが、「日本の商品を海外へ届ける」という特化したポジションにおいて、絶対的な王者はまだ存在していません。

弊社が創業時から掲げているミッション「ショッピングに国境はない」という言葉の通り、世界のどこにいても、欲しいものがすぐ手に入る世界を実現したい。そこには大きなビジネスチャンスが空いていると考えています。将来的には、海外から日本へ商品を紹介する逆のルートにおいても、私たちが構築したインフラと知見が強い優位性を持つはずです。

ーー最後に、今後の展望をお話いただけますか。

翁永飆:
今後は中国だけでなく、アメリカへの展開にも注力していきます。アメリカでも日本の食文化への関心が高まっており、私たちが中国で確立したノウハウが十分に活かせると確信しているからです。日本には、素晴らしいものづくりをしている企業や職人さんがたくさんいますが、自ら海外展開のノウハウを学ぶのは困難です。メーカーの方々には「いいものをつくる」ことに専念していただき、海外へお届けする部分は私たち専門家に任せてほしいのです。日本の良品を世界へつなぎ、企業も国も元気にしていく。そんな志を持つ方々と一緒に、これからも挑戦を続けていきたいですね。

編集後記

「市場のニーズを信じ切る」。幾度もの経営危機を乗り越えてきた翁氏の言葉には、圧倒的な説得力があった。大企業の安定を捨て、何もないところからシステムや物流のインフラを自らの手で築き上げた軌跡は、まさに執念の賜物だろう。現在、InagoraはAIという新たな武器を手に、業務のあり方そのものを再定義しようとしている。日本の優れたものづくりを、中国、そしてアメリカをはじめとする世界中へ届ける架け橋として、「ショッピングに国境はない」という壮大なビジョンが現実のものとなる日が待ち遠しい。

翁永飆/1969年上海市出身。1988年高校卒業後、留学のため来日。1996年横浜国立大学大学院電子情報工学研究科の修士課程修了後、初の外国人としての正社員新卒採用で伊藤忠商事株式会社に入社。2000年に独立し、インターパイロン株式会社、JWord株式会社、2005年キングソフト株式会社を設立。2006年ACCESSPORT株式会社を設立。2014年に5度目の創業となるInagora株式会社を設立。