
1993年、大手食品メーカーの営業職から一転、父親の病気を機に家業の町工場へと飛び込んだ株式会社岸田工業所の岸田全弘氏。文系出身かつ異業種からのスタートという壁を乗り越え、社長就任後は業界の先細りを見据えていち早く中国に生産ネットワークを構築した。現在は国内の「真鍮熱間鍛造」と「海外製品の輸入販売」の2本柱で事業を展開。自社製品を持たない提案型の受注生産スタイルでありながら、金型を強みに高い顧客定着率を誇っている。町工場が生き残るための「営業力」の重要性と、次世代を見据えた事業承継の展望に迫った。
トップブランド営業での気づきと文系出身からの現場修行
ーーまずは、これまでのキャリアについてお聞かせください。
岸田全弘:
私は、父親が病に倒れたことを機に1993年に家業である弊社に入りました。それまでは大手食品メーカーで業務用営業を担当しており、そこで働き続けるつもりでしたが、最終的に実家に戻る決断をしたのです。前職ではホテルや外食チェーンを回り、若手時代には飛び込み営業も経験しました。
そこで学んだのは、「トップブランド商品は勝手に売れていく」という事実です。「売れるものを売る強み」を実感しました。一方で、クーラーボックスを抱えて街を歩き回ることもしました。喫茶店などに粘り強く飛び込み営業をした経験が、現在の営業活動の基礎となっています。
弊社では、学生時代にアルバイトをしていたため、工場への抵抗感などもほとんどありませんでした。ただ、文系出身であり、食品営業とは全く異なる「職人の世界」です。最初は戸惑いもありましたが、周囲の職人に教えてもらいながら現場のノウハウを懸命に学び、入社から5年後に代表取締役に就任しました。
ーー現在、どのような事業を展開されているのですか。
岸田全弘:
国内での「真鍮の熱間鍛造」と、海外の協力工場で製造した製品の「輸入販売」という2つの柱で事業を展開しています。私が社長に就任した当初は、国内の真鍮鍛造が事業の中心でした。しかし、業界全体の生産量が減少し、価格競争も激しくなる状況に、「このままでは未来がない」と強い危機感を抱いたのです。それを打破するため、約20年前に自ら中国へ赴き、現地の工場と生産ネットワークを構築しました。その結果、現在では海外貿易が事業の半分を占める「ハイブリッド型」のビジネスモデルへと成長しています。
町工場が生き残る条件は「事業承継」と「営業力」

ーー貴社の製造スタイルや強みについてお聞かせください。
岸田全弘:
最大の強みは、自社製品を持たない「提案型・受注生産」のスタイルにあります。お客様が抱える課題に対し、国内や中国の協力ネットワークを活用して最適な製品をつくり上げています。
また、製造工程で最初に「金型」をつくる点も特徴です。金型製作には多額の費用がかかるため、一度取引が始まると他社への乗り換えが容易ではありません。これが、既存のお客様からの継続的な発注や高い定着率につながっているのです。さらに、メリハリのある労働環境も私たちの強みです。かつての町工場のように夜遅くまで働くことはありません。朝8時から夕方5時までの時間内で生産性を高め、定時退社を実現しています。
ーーこれからの時代、中小の製造業が生き残るための必須条件は何だとお考えですか。
岸田全弘:
次世代へ引き継ぐ「事業承継」を確実に行うことが絶対条件です。その上で、町工場にとって最も重要なのは「営業力」だと考えています。以前の町工場は、特定の大手企業からの受注に100%依存するケースが珍しくありませんでした。しかし、その状態では相手の言い値で仕事を受けるしかなく、先方の業績が悪化すれば共倒れになります。営業努力が不要で楽な側面もありましたが、今の時代にそのやり方では生き残れません。大切なのは、多くのお客様を持ち、多様な業種の仕事を受ける「顧客の分散」です。どれほど高い技術があっても、それを価値に変える営業力がなければ会社は存続できないのです。
人生を変えた「出会い」とビジネスを支える「人脈と人を見る目」
ーー中国進出の成功や協力工場との強固なネットワークはどのようにして築いたのですか。
岸田全弘:
中国に進出したきっかけは、業界の知人からのアドバイスでした。「日本で今のままやっていては駄目だ、中国を見てみろ」と導いてくれた人がいたのです。その人との出会いが、まさに私の人生を変えてくれました。
会社経営において、人脈は非常に重要です。さまざまな人との出会いを経験する中で、人生を変えてくれるような良い相手に巡り会えるかどうかが鍵になります。現在、中国をはじめ多くの協力会社と提携していますが、パートナーシップを結ぶ際の基準はほとんどが「紹介」によるものです。国内でも同様に紹介というつながりは非常に強く、それを飛び越えて関係を築こうとしてもうまくいきません。
ーー人脈づくりや信頼できる相手を見極めるうえで、大切にしていることを教えてください。
岸田全弘:
社会人として、また経営者同士の付き合いにおいて、ビジネスの場だけでは見えにくい「相手の人間性」を日常的な振る舞いから観察することを非常に重視しています。具体的には、仕事以外のプライベートな時間を共有する中で、その人の「人となり」や性格をしっかり観察します。特に一番よくわかるのが、お金に対する考え方や使い方です。たとえば、ちょっとした支払いの場面ですぐに対応するか、あるいはルーズかといった金銭感覚から、相手の誠実さや責任感を推し量ることができます。
さらに、自分がメインではない時間(相手の話を聞く姿勢や、周囲への配慮など)の態度から、自己中心的な人間かどうかも判断できます。経営者は個性が強い人が多いからこそ、利害関係のない何気ない場面での行動や振る舞いを通じて相手の本当の人間性を見極めることが、強固な人脈づくりのために欠かせないのです。
ーー最後に、今後の展望や注力していきたい分野についてお聞かせいただけますか。
岸田全弘:
次期社長である息子たちが中心となり、新規開拓やDX、生成AIの活用など新しい取り組みを進めています。これからの時代に合わせた手法で、会社を牽引してほしいと考えています。新規開拓の面では、ホームページからの問い合わせをきっかけに、全く付き合いのなかった異業種からの依頼が増えました。たとえばマンホール内部の部品など、「用途は詳しくわからないが自社でつくれる」という案件は非常に面白いですね。
今後、国内の人手不足はさらに深刻化し、国内生産を続けることが難しくなる時代がくるかもしれません。だからこそ、すでに15社以上と提携している中国の生産拠点を軸に据える方針でいます。日本のお客様へと、高品質な製品を提供し続ける体制を維持することが、事業継続の鍵になるでしょう。
編集後記
大手食品メーカーの営業職から一転、父親の病を機に家業を継いだ岸田氏。業界の先細りという危機的状況を冷静に分析し、いち早く中国に活路を見出した。その行動力は、前職時代に培われた地道な飛び込み営業の経験と無関係ではない。「技術だけでは生き残れない。大切なのは営業力と顧客の分散である」。この力強い言葉には、幾多の困難を乗り越えてきた経営者としての揺るぎない信念が感じられた。次世代へバトンを渡し、新たな技術を取り入れながら進化を続ける同社。今後どのような異業種へとモノづくりの裾野を広げていくのか、さらなる躍進に期待が高まる。

岸田全弘/1961年、大阪府生まれ。1984年に近畿大学経済学部を卒業。同年、キューピー株式会社に入社。約9年間マヨネーズ、缶詰などの食品を販売。1993年、株式会社岸田工業所に入社。1998年、同社代表取締役に就任。