
自動車部品メーカーの技術職から一転し、30歳で未経験のまま家業である株式会社丸泰へ飛び込んだ伊藤寛章氏。「既存事業の延長では会社は生き残れない」との危機感から、全く異なる領域での新規事業に次々と挑んできた。コロナ禍の挫折を乗り越え、現在は年間稼働率95%を誇るグランピング施設などを成功に導いている。「圧倒的な非日常体験」を軸に、本業である建築のノウハウと新規事業で培った集客力を掛け合わせ、持続可能な地方創生にも独自のアプローチで挑む同社。失敗を恐れず地道に行動し「甲子園」を目指す熱意ある組織のつくり方と、新たな挑戦への原動力に迫る。
既存事業の延長ではない「新たな柱」を求めて
ーーまずは家業へ入社された経緯と、当時の心境を教えてください。
伊藤寛章:
純粋に「どちらの道に進むほうが面白いか」を考え、挑戦の道を選びました。前職では自動車部品メーカーで生産技術を担当しており、祖父が創業した現在の会社から入社を打診されたのは私が30歳の時です。サッシなどの建築関係は全くの未経験でしたが、思い切って飛び込みました。
入社後は無我夢中で営業に取り組みましたが、2年ほど経過した頃、業界の現実に直面します。一人前になるには10年以上かかる世界。仮に私が必死に努力し、トップセールスに成長したとしても、会社全体の売上高から見ればごく一部を維持するに過ぎません。また、父から「商材は30年経てば廃れていく」と言われていた通り、既存の事業だけで今後も会社を支え続けるのは困難でした。会社を存続させるためには、5億、10億円規模の新しい柱をつくらなければならないと強い危機感を抱き、新規事業の立ち上げへ舵を切りました。
ーー新規事業の立ち上げは、当初から順調に進んだのでしょうか。
伊藤寛章:
立ち上げは、まさに試行錯誤の連続でした。知人が東京・浅草で展開していた「忍者カフェ」にインバウンドの可能性を感じ、私自身も高山で店舗を構えますが、オープンからわずか2週間でコロナ禍による最初の緊急事態宣言が発令されてしまいました。
誰も予測し得なかった未曾有のパンデミックにより、オープン1ヶ月目にして、見込んでいたインバウンド需要は完全に消失。期待していた外国人観光客の客足は文字通りゼロになってしまったのです。そんな先行きの見えないスタートとなり、オープン初月は売上がなんと月5,200円。私がずっと店に立って提供できたのは、ドリンクが2、3杯のみで、来店したのは「暇だから」と顔を出してくれた近所の知人2人だけ。非常に厳しい状況ではありましたが、エジプトからオンライン面接を経て呼び寄せた店長候補のスタッフと共に、この苦境を必死に耐え忍びました。
それでも逃げ出さなかった理由は、「自分がやる」と決断した以上、途中で投げ出すのは格好悪いという意地があったからです。諦めずに体当たりで試行錯誤を繰り返す中で、私たちが提供すべき価値の「軸」が明確になりました。それは単なる飲食や宿泊ではなく、「圧倒的な世界観での非日常体験」と思い出に残る「映える写真」をセットで提供することです。この軸をさまざまな形で展開すれば、どのような場所でも勝負できると確信しました。
年間稼働率95% 本業との相乗効果が生む「オンリーワン」

ーー具体的にはその後どのような事業を展開されたのでしょうか。
伊藤寛章:
その軸を体現する事業として立ち上げたのが、長野県阿智村でのグランピング施設「mokki(モッキ)」です。日本一の星空が見えるラグジュアリーな空間という、唯一無二の価値を徹底的に追求しました。
しかし、土地探しは困難を極めました。阿智村の道をくまなく走り回り、できそうな場所の目星をつけて地元の不動産会社を回ったほか、銀行ならば地元の土地情報を持っているのではないかと考え、何軒も電話をかけましたが。しかし、唐突な土地探しの問い合わせだったため、「銀行にお電話されていますが、間違い電話ではありませんか?」と怪しまれ、全く相手にされないこともありました。それでも熱意を伝え続けた結果、ある信用金庫の担当者様を通じて、グランピングに興味を持っておられた阿智村の村長をご紹介いただいたのです。村長へ直談判したところ、なんと30年間手付かずだった村の遊休地をお借りできることになりました。
周囲からは「冬は寒くて人が来ないから稼働率はせいぜい30%だろう」と心配されましたが、冬ならではの星空の美しさやサウナの魅力を打ち出しました。結果として予想を大きく覆し、現在では年間を通して稼働率95%を超える施設へと成長しています。
ーーその事業の成功は他の事業にどのような影響がありましたか。
伊藤寛章:
異業種への参入は本業に対しても非常に大きく作用しています。地方創生と謳う事業は、国や県からの補助金に依存して数年で撤退し、結局失敗に終わってしまう事例が少なくありません。本来、その土地が持つ独自の文化や魅力をしっかりと引き出し、センス良く発信できれば人は集まるはずなのです。
私たちは自社で「集客する知見」を持ちつつ、「建築・建材の専門家」でもある点が最大の強みです。屋外施設を建設する際にも、「防犯上、外に面するドアは鉄にする」「長持ちさせるために杉ではなくヒバを使う」など、建築屋だからこそできる専門的かつ実践的な提案が可能です。この深い建築のノウハウに、新規事業で培った集客力やコンセプト設計を掛け合わせることで、補助金に頼らない持続可能な地方創生が実現できると考えています。
「甲子園」を目指し 執念で実行できる組織へ
ーー今後、どのような方と共に働きたいとお考えですか。
伊藤寛章:
私はよく「甲子園に行きたい人だけを集めたい」と伝えています。休日に趣味で草野球を楽しむ生き方を否定するわけではありません。ただ、私たちの会社に入るからには、甲子園出場を目指すほどの高い意欲を持ち、自身の力を存分に試してほしいのです。
特に新規事業の立ち上げでは、理不尽な事態が次々と起きるものです。当初の計画通りに進むことなど皆無に等しく、無数の未知の事象が発生するでしょう。だからこそ、考えすぎて行動が止まる人よりも、「やると決めたらやり抜く」という執念を持って、愚直に実行できる人が向いていると感じています。
ーー組織づくりにおいて、今後の目標をお聞かせください。
伊藤寛章:
これまでは、私が先頭に立って新規事業を牽引してきましたが、今後は社員主導で事業が進む組織へと変化させたいと考えています。社員自身が「これをやりたい」と熱意を持って提案する。そして、自分の人生を懸けて「自分はこの事業をやり遂げた」と自信を持って誇れるような仕事をしてほしいと願っています。
ーー最後に、会社の未来に向けた展望をお話しいただけますか。
伊藤寛章:
今後、AIなどの技術が進化し単純作業が自動化される中で、私たちが生き残る道はただ一つ。「オンリーワン」の魅力を持つ存在になることです。自分たちにしかできない仕事や、他にない魅力的な施設を生み出し続ける必要があります。人員を増やすのではなく、「世の中から必要とされるオンリーワンの魅力ある会社」をつくり上げることが最優先です。魅力があれば、自然とお客さまも集まり、共に働きたいと願う仲間も増えていくでしょう。結果として会社が成長し、売上高100億円という数字も後からついてくると信じています。これからも、自分たちにしか生み出せない価値を追求し続けます。
編集後記
既存事業の枠組みにとらわれず、次々と新たな事業を生み出す伊藤社長。「甲子園を目指す」という言葉の裏には、働く社員への深い期待と、人生を豊かにしてほしいという願いが込められている。失敗から逃げず、全力で現場を駆け回って見つけ出した「非日常体験」という確固たる軸と、本業である建築の強み。この強力な掛け合わせが、地方に新たな熱狂を生み、同社をさらなる高みへと押し上げていくことだろう。

伊藤寛章/1983年生まれ。名古屋工業大学卒業後、大手自動車部品メーカーで生産技術を担当。2013年、株式会社丸泰に入社。その後2018年より4代目として代表取締役社長に就任した。BtoBの建材・建築企業であった同社でBtoC事業である宿泊業・サウナ・体験型カフェなどを立ち上げる。現在は「300年続く企業」という目標を掲げ、永続的に安心・安全を通じてお客様との信頼関係を築いていく体制を整えている。